色ざんげ(宇野千代著 小説)

2020-08-25 00:00:16 | 書評
以前、岩国に行った際、有名な錦帯橋と岩国城の観光のついでに文字通り足を伸ばして訪ねたのが作家宇野千代の記念館。作家活動は東京ではあったが、没後に生地である岩国に記念館が生まれた。そして館員(館長?)の女性の方から丁寧な説明を受けたので、是非、作品を読もうと思って、少し時間が経ってしまった。

彼女の名前は、実はその前に別方向から知っていた。洋画家の東郷青児の事実上のパートナーだった時期があった。自宅に押し掛けてそのまま同居したとザックリ書かれていた。そんなことがあるのかとは思ったが、東郷青児のことを調べていて、実家が遠く戦国時代の薩摩の豪である東郷家で、島津家と融和して有力家臣となり、幕末までにいくつかの家に分家し、その一つが海軍大将の東郷平八郎で、別の一家が東郷青児というような話であり、宇野千代を調べていたわけではなかったので深掘りしなかった 。


実は、1年ほど前にある雑誌で、宇野千代の一番面白い小説として紹介されていたのが、『色ざんげ』。てっきり東郷青児との愛欲生活を書いた、あるいは彼を含めた自らの数多くの男性遍歴を綴ったのだろうと予測していたのだが、何しろ1ページ目から予測は粉砕された。

主人公は一人称で書くのだが、「ぼく」である。「ぼく」が妻子を棚に上げて、何人もの女性と交際を重ねるわけだ。そしてすぐにわかるのが「ぼく=湯浅譲二」はパリから帰国したばかりの洋画家である。つまり「ぼく」のモデルは東郷青児なのだ。宇野千代の小説設計図ってすごいな!と思わせるわけだ。

この本は、実際のページ数よりも読みごたえがある。20~30ページごとに章はかわるのだが、章の中に段落がない。さらにいうと行変えもない。句読点はある。ページが文字で埋まっている。しかも、書かれている内容は濃密な恋愛で、そこには愛情もあれば打算もあり、夜行列車を使って東京から広島まで往復したりする。正妻と同居しているのに、愛人から電報が届いたりする。

また、一人の女性との関係が終わって次の女性に移るという源氏物語的進行ではない。一人目のストーカー的女性(高尾)は、わりとあっさりと表舞台から消えるが、二人目の女性(つゆ子)とは粘着的関係が続き、女性が姿を消してから三人目(とも子)が現われ、この三人目には慶応大学の医学生という恋人がいるのに洋画家と結婚式を挙げるのだが(実は本妻との離婚手続きは金銭的にまとまっていない)、一方でいなくなった二人目が再登場して、結局、この二人目と心中を決行。メスで頸動脈を切ろうとしたが、両人とも失敗。そして小説はほどなく閉幕。

宇野千代は東郷と同棲中に彼の帰国から宇野と会うまでの経緯を詳しく聞いていたらしく、東郷と離別後に本作を書き上げた。同棲に至った経緯は、たまたま宇野が書いていた小説に、主人公が喉を切って自殺する場面を書きたいと言って、編集者の仲介で、東郷の自宅近くの飲食店で取材をしたそうだ。退院後、まだ2か月で包帯を首に巻いているというのに、まったく無神経だ。そして、さらに編集者が先に帰ったあと、東郷の自宅を訪れ、そのまま居ついたそうだ。わたくしは猫である、か。

実は、宇野と別れた東郷は、そのあと小説中の二番目の女性(つまり心中失敗の相手)と一緒になった。まあ、芸術家や小説家は戦前でもこれぐらいは許されたわけだ。