本日、武装解除セヨ!

2020-08-20 00:00:43 | 市民A
横浜の田舎に住んでいるのだが、タウン誌に終戦直後の米軍による銃刀狩りの思い出が載せられていた。

地元の有力者の寄稿だ。

戦後まもなく駐留軍が銃刀を回収することになり、指定された小学校の校庭に銃器を持ってくるように学校から生徒に通知があった(親ではなく生徒への指示というのは、まだ帰還兵が戻ってくる途中の時代だからだろう)。ただし、銃をもってウロウロしていると米軍に見つかると撃たれるといわれ、夜間に闇に紛れて小学校に急ぐと、途中でヘッドライトを照らした自動車が走ってきた。

自動車といえば米軍に決まっているので、土手下に飛び込み、やっと学校に銃を届けたそうだ。学校では巡査が銃を集めていて、三八式歩兵銃5挺と本土決戦にそなえて軍から配られた2挺の新型歩兵銃だけを供出して、残りは事態の急変にそなえ、隠すことにしたそうだ。

(軍が配った2挺とは、現内閣のマスクのように各戸2挺ではないだろう。学校ごとに2挺の歩兵銃を配ってどうするつもりだったのだろう。)

そして銃、防具、剣、薬莢、背嚢をある寺の縁の下に隠したそうだ。しかし数ヶ月後に確認したところ、そこには何もなかったそうで、関係者のだれも行方を知らなかったそうだ。(もちろん誰かは知っているだろう。少なくても寺の住職は知っているだろう。)


今はニュータウンが広がり、多くの旧家の解体が進んでいるのだが、時々、床下や蔵の奥から出てくるらしい。(軍刀は全国から多数発見されるので、無価値だ。)


そういえば数十年前、知人の知人の父親の趣味が、『ピストルの分解手入れ』という話を聞いたのだが、こういう戦後話の延長線上だったのだろうか。