足王と言っても靴じゃない

2019-05-05 00:00:36 | 歴史
「駿足」という子供用の運動靴が売れているようで、「足王」というと新しい靴の名前のようだが、実は神社の名前。(ついでに地下足袋メーカーに「力王」というのもある。)岡山県の赤磐市にある神社で、足の神様が祀られている。岡山に用があったので、ついで旅で足を伸ばす。岡山駅からバスで30分で、神社の前に到着する。

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この神社の由来だが、一応の起源としては江戸時代の末期に稲作の神様である手名椎之命(てなづちのみこと)と同じく稲作の神様である足名椎之命(あしなづちのみこと)の二神を祀って社を建てたそうだ。豪農であったそうだ。

本来、農業労働に手と足は重要な役割を果たすのだが、鎌や鍬といった道具は、それなりに危険で事故もあったのだろう。また腰を曲げての作業では、あっちが痛いこっちが痛いということも想像できる。

いつの日か、この神社に祈願すると、足の病気が治るという話になり、参拝者が鎌を納めるようになった。たぶん神社としては大量の鎌をもらっても困るはず(数千の鎌が鎌殿と言われる倉庫の中に眠っているそうだ)。鎌をお金に換えるのは難しいだろう。

農業の必需品である鎌は、病気の根を刈るということの象徴となっているようだ。といって鎌をもってバスに乗るわけにはいかないので、少額金員にて代用したのだが。

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実際にバス停の高さに神殿はあるのだが、そこから下り階段をかなり降りていくと鳥居があり、よく狛犬がいる場所に足の石像が左右一対並んでいる。自分の足の病気の部分と同じ場所を石像に探してなぜると病気が治ると言われている。整形外科医の敵だ。

右の足首と左の膝に捻挫の古傷があるので、左右間違えないように気をつけて触ってみる。くれぐれも水虫がうつらないように気を付けなければならないが、足の裏を触ることはできないようになっている。神社ではなく皮膚科にいくべきだ。

しかし、この足の像にたどり着くまでかなり階段を下らなければならず、帰るときは今度は階段を登らなければならない。足が悪い人には酷な話だ。


ところで、この赤磐市の隣には和気町がある。歴史上、有名になったり(紙幣の肖像にもなったりした)、無名になったりする人物がいる。和気清麻呂(わけのきよまろ)という人物である。清麻呂氏は、女性天皇が破戒僧である道鏡に取り入られ、道鏡を天皇にする企てに発展したときに、姉と一緒に必死に抵抗して、それがため鹿児島県に流されたのだが、天皇が亡くなった後、道鏡が失墜し、再び都に戻り重臣となり、平安京への首都移転チームの一員として活躍する。和歌の方は、うまくなかったようだ。

この大部分が実話の中に、神話的な話があって、配流地へ籠に閉じ込められて送られるときに足の腱を切られていた(実際は足が萎えたのではないだろうか)のに、多くのイノシシが彼を背中に乗せて運んでいるうちに足が治ったということで、京都にある護王神社(和気清麻呂を祀っている)も足が病気の人が通っているようだ。

なぜ清麻呂の評価が揺れ動くのかというと、天皇制との問題がある。彼がふんばらなかったら、天皇制はまったく権威のないものになっただろうし、続くこともなかっただろう(復活はあるかもしれない)。それで、どうなったのかというのは難しいが、違う日本にはなっただろう。かといって、武家時代の為政者は天皇を煙たく思っていただろう。

こうして、1945年の夏までは、「天皇」と「政権(国家)」という二つの機能の軽重によって清麻呂の評価がなされていた。そして、現在は「国民」という軸が生まれたわけだ。つまり、「国民」「天皇(皇室)」「政権(国家)」の三権分立になったわけだ。そして、天皇と政権とは直接関係を持ってはいけないのだから、必然的に天皇は国民との関係を強化することになるのだろう。