板東俘虜収容所跡(現鳴門市ドイツ館)へ

2019-05-27 00:00:53 | 美術館・博物館・工芸品
板東に行くことの最大の目的地は、このドイツ兵の捕虜収容所跡だった。以前、『カール・ユーハイムの奇跡の人生』を探っていて、ドイツが租借していた中国の青島から、彼が第一次大戦のドイツ人捕虜として日本に連行され、広島県の似島収容所に収容され、ベルサイユ条約後、日本に留まり東京、横浜そして関東大震災の結果、神戸にバウムクーヘンの店舗を開店し、順風も続く中、今度は第二次大戦が始まり、玉音放送の数時間前に亡くなったというようなことを調べていた。

青島で一介の菓子職人が、戦争捕虜になるというのも不運としかいえない。なにしろ、ドイツは成年男子を民間人でも予備兵と位置付けていたため、実質的な民間人を捕虜にしたわけだ。それもアジアの東端で何の抵抗力もなく大軍に包囲されたわけだ。

実は、現代のドイツ人の中にも、この第一次大戦の時の日本の行動に立腹している者も大勢いるそうだが、さらに日清戦争のあと、清から日本が奪った遼東半島を返せ!と恐喝したのが「ドイツ・フランス・ロシア」の三国(いわゆる三国干渉)。その恩を清に売って、代わりに強奪したのが青島市といえなくもない。

捕虜収容所は当初は12か所だったのだが、大型施設6か所にまとめることになり、その一つが板東だった。



大麻比古神社の駐車場からまず細い橋で川を渡り、平坦な道を20分ほど歩くと捕虜収容所跡にできたドイツ館のはずだが、人も車もいないので、聞くわけにもいかずナビを頼りに歩くのだが、途中、サルが出没。目を合わせては狂暴になるので、そっと通り過ぎなければならないのだが、最初から目を合わせてしまった。みるからに怖そうだ。



そして、到着。



この板東の俘虜収容所だが、もう一つ有名なのが、『第九演奏会』。さすがドイツ人ということで、音楽部を作って、手製の楽器で演奏会を開催していた。そして、ついに最高峰であるベートーベンの第九交響曲合唱付きを演奏したわけだ。日本で最初の第九であり、アジアでの最初ともいわれている。



実は、『バルトの楽園』という映画となって、公開されたのだが、収容所長だった松江豊寿陸軍中佐を演じたのが、松平健。顔の形が似ているので役が回ってきたのだろう。映画の中では元会津藩士たちが明治維新で青森の東側の斗南藩に送られ、その子孫が長州閥の陸軍の中で差別される話とリンクする。

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ドイツ館の中も、ドイツ兵捕虜の生活と第九関係と二種類の展示が中心である。1000人を収容するため、長屋方式の建物(バラッケ)が8棟並んでいたようだ。このバラッケは第二次大戦の時は陸軍設備だったが終戦後は大陸からの引揚者用の住宅に使われていたこともあり、有名人としては元名投手でタレントの板東英二さんがいる。板東に板東がいることになるが、実は板東には板東さんが多いのだ。

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現在、一棟が復元され、道の駅に使われている。ビールとおつまみを買おうかと思ったが、先を急ぐことにする。なお、中国最大のビール会社である青島ビールだが、ドイツ人が青島でビールを作り始め、その後、日本が引き継ぎ(というか接収)、現在は中国の会社になっている。