独ソ不可侵条約並の奇々怪々

2018-03-11 00:00:38 | 歴史
米朝首脳会談が行われるということは、何らかの基本的合意が既に決まっているのだろう。あとは細部にわたる水面下の交渉が行われるのだろうか。とはいえ、核開発というのは、一つは核兵器そのものなのだが、もう一つは核兵器を組み立てるプロセスの研究成果である。核兵器は無くても作ろうと思えば短期間で復元できる能力を得ているとすれば、一時的に放棄したとしても痛手は少ない。まさか、「科学者を米国に引き渡せ」とは言わないだろう。

ところで、「寝耳に水」とか「まさか・・」というコトバが歴史上登場したのが、今から79年前のこと。第二次大戦直前にナチスドイツとソ連(つまりヒットラーとスターリン)とが締結した「独ソ不可侵条約」。表向きは、両国が中立でかつ相手を攻撃しないという条約で、それだけでも驚愕だが、裏協定として両国がポーランドの分割を合意するという内容だった。締結は1939年8月23日。

英仏両国は驚愕したものの、もっと驚いたのは日本。ドイツは味方でソ連は敵という枠組みが一瞬にして瓦解。5日後の8月28日に平沼騏一郎内閣は総辞職する。その時のコトバが「欧州情勢は奇々怪々」ということだった。

そして、9月1日にポーランドにドイツが侵攻し、9月3日に第二次大戦が始まる。英仏とドイツが衝突。隙をついてソ連も9月17日にポーランドに侵攻する。

そして、日本は1年7ヶ月後の1941年4月13日に日ソ中立条約を締結。相互の不可侵を約束する。表向きの独ソ不可侵条約と同じだ。

ところがその5ヶ月後、ドイツがソ連に侵攻を始めたため、奇々怪々な独ソ不可侵条約は紙くずになる。有効だった期間は1年10ヶ月。日ソ中立条約の方は、もう少し長く4年4ヶ月で紙くずになった。

つまり奇々怪々な条約というのは、そもそも無理があるのに北風と南風が打ち消しあったような刹那的な誤解の上に成り立つことが多いため、その後、風向きが変わると、大破綻に終わりやすいという特徴があるということだろう。

とりあえず、日本の現政権が数日内に総辞職する可能性は少ないのだが、辞める前には1995年に起きた大事件のケリだけはつけておいてほしい。