バナナのような植物は誰の家にあったのか

2015-12-20 00:00:43 | 美術館・博物館・工芸品
目白の椿山荘の裏手は神田川が流れているのだが、坂道は急傾斜だ。神田川は江戸時代から現代にいたるまで洪水の名所で、あまり安住できる環境ではないのだが、川沿いの家にバナナのような植物が生えている。この植物、英名はジャパニーズ・バナナといって芭蕉という。日本では関東にもよく生えている。実はなるがバナナではない。

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この場所が、芭蕉庵といって松尾芭蕉の人生後半の拠点である。もともと「桃青」と号していた芭蕉は、この地に移り、弟子がもってきた芭蕉の木を庭に植えたところ台風の風で、大きな葉がバサバサと音を立てることを気に入り、芭蕉と名乗ることになる。

吉本ばなながこの話を知った上でばななと名乗っているのかには興味があるのだが、今度会った時に確認してみたい(会わないのだが)。

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そして、この場所に住んだのは松尾芭蕉師だけでなく、その200年もあとに、高橋善一という人が住んでいた。東京駅の初代駅長である。弊ブログ2015年3月9日「ポッポ屋が住んでいた家」に書いたのだが、原首相遭難の現場にもいた時代の証人だが、駅長を17年間勤め、1923年に引退し、芭蕉庵の場所に住んで、余生を送る予定だったのだが、数カ月後、乗っていたハイヤーが故障し、この川に転落し、亡くなってしまった。現場を見れば、川はかなり深く、助からなかったのもよく理解できる。

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今は、芭蕉庵という公共施設になっているようで、庭園の一角には、蛙の飛込み用に古池もある。

芭蕉は、辞世の句で、自らが夢の中で枯野の旅に出ることを暗示した。芭蕉庵にも時々戻って、風もないのに芭蕉の木を揺さぶって遊んでいるのかもしれない。

旅に病んで夢は枯野をかけめぐる はせを(芭蕉)

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江戸の庵(いおり)で待つ痩せ蛙 葉(葉一郎)