鈴木信太郎生誕120年展と大村智博士の遠い関係

2015-11-03 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
日本の洋画家は、かなり損している。日本で評価するとなると、海外の画家よりずっと下だ。理由は、それぞれが独自の作風で自分の世界を作っていて、「印象派」とか「フォービズム」とか、そういう体系的な枠組みに入っていない。

それは、「出遅れ」ということで、本格的に日本人がパリに行き始めたころに既に印象派は終わっていたわけで、フランスでは個性的な画家がそれぞれの技法で活躍していた。

日本人画家は、フランスにいても日本にいてもそれらの作風を参考に絵を描いたわけで、なんとなく模倣の匂いが漂うことが多い。

suzuki1


鈴木信太郎はもっぱら日本で絵を描いていたのだが、色彩使いに長け、いわゆる花のある絵を描く。そして旅が好きでスケッチブックには、取り急ぎといった形で鉛筆デッサンを行い、アトリエでじっくりと色をつけていく。戦前では銀座を中心とした東京の街を描き、戦後は全国各地を歩いている。

suzuki2


特に好きだったのが、長崎、奈良、伊豆川奈だったそうで、よく見ると「な」が付いた地名だ。


伊豆の海や町を多くの作品を描いていて、生涯最後の作品も別荘のあった川奈の海の見える景色である。

suzuki3


ところで、本展には、全118展と個展としては異例の大量出展となっているが、その中にノーベル賞受賞された大村智博士が収集して、今は韮崎大村美術館に収蔵されている鈴木信太郎作品が含まれている。こういう画家を集めていたのだろう。すばらしいタイミングだ。展覧会に合わせて、ノーベル賞が授与されたのだろうか。

しかし、なんとなく胸騒ぎがするのは、鈴木画伯は川奈の別荘をアトリエにしていたということと、大村博士が見つけた微生物が川奈ゴルフ場だったという奇妙な符号だ。

鈴木画伯のアトリエを大村博士が別荘として購入したのではないだろうかと、かなり大胆な推論を立ててみたのだが、事実はもっと大胆だった。

伊東にあったのは、北里柴三郎博士の別荘だったそうだ。そこに大村博士はじめ多くの弟子が出入りしていたそうだ。

では、画家の住まれていたアトリエは、窓から海が見えるという絶好スポットだったはずなので、すぐにでも入手したいという方もいるかもしれないが、多くの場合、アトリエは日光の当たらない北向きの部屋のことが多いということを忘れてはいけないわけだ。光や影が変化すると、描きにくいわけだ。(もっとも晩年のピカソのような速筆は別だろうが)