シュリーマンの「うそ」、そして日本との関係

2015-11-08 00:00:31 | 美術館・博物館・工芸品
最近、23区内北西部の博物館や美術館に足を延ばしている(というほどのことではないが)。池袋の古代オリエント博物館(サンシャイン)で開催中の「シュリーマン展」に。

シュリーマンの業績は、ギリシア叙事詩イーリアスの中に記されたトロイ攻防戦が実在の話ではないだろうかという推論を立て、現在のトルコ領の中に、その攻防を含め、古代ギリシアと古代トルコが1000年以上、何度も戦争を繰り返していた遺跡を発見したことである。

本展では、その発掘作業でつかわれた道具類や、発見の喜びが書かれた手紙や、各国で出版された発見記や記念品などが展示されている。

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ただ、気になったのが、彼の語っていた夢の話で、「こどもの頃にイーリアスを読んでからずっと、トロイを探すことを目標としていた」というのが、ウソだったことが最近明らかになったということ。虚栄家だったとされる。彼によれば、「その目的のために、おカネを貯めてきた」ということのようだが、もしそうだとすると、それも大問題になる。

順を追って考えていくと、

彼は1822年にドイツ(プロイセン)に生まれる。家が貧乏だったため、1841年に、ベネゼラに移住を決意する。しかし、乗船した船が嵐で難破し、オランダ領の島に漂着。目的地行きは取りやめになり、オランダ系商社で頭角を表す。

そして、ロシアとアメリカに営業所をつくることになる。そして行ったビジネスがクリミヤ戦争でロシア軍に武器を密輸することだった。推定するに、終わったばかりの米国南北戦争で不要になった大量の武器をクリミヤ戦争のロシア軍に横流ししたのだろう。大儲けだ。

そして、問題はクリミヤ戦争のあと、1865年に清国や日本を訪問している。幕府崩壊の少し前だ。本人は「知識を深めるため東アジアに行った」ことになっているのだが、時期的におかしい。外国人には大変危険な時期だったはずだ。今のシリアに観光旅行にいくようなものだよ。

証拠はつかんでいないのだが、清国で不要になったアヘン戦争などの使用済み武器を維新直前の日本で売ろうとしたのだろう。しかし、あいにく日本人は中古品が嫌いだ。なんでも新品を欲しがる国民性だ。実際には幕府も薩長も英仏両国から新品を買い求めることになる。

結局、シュリーマンは手ぶらで帰国するしかなかったのだろう。

そして、発掘作業を始める。各種遺跡については、発掘された各種のお宝をトルコ政府に断りもせずベルリンに運んでいた。このため、トルコ政府は今は返還を要求しているが、そう簡単にはいかない。なにしろ、それらの遺跡は第二次大戦の終戦前後に関係のないソ連が持っていってしまい、現在はプーシキン美術館にある。ナチ党員の助命の反対給付だったのだろうか。現在のロシアは、戦争で勝ち取ったものは返さないという主義だそうだ。次の戦争で負けたら国土は分割され、ゼロになるだろう。

*ところで、日本には多くの古代オリエント遺産があって、美術館も多い。浮世絵遺産なんかは海外流出したのにオリエント遺産がたくさんあるのはなぜなのだろうと、考え込む。