もしもし下北沢(よしもとばなな)

2013-07-11 00:00:30 | 書評
『もしもし下北沢』を電子書籍で読む。ブックパスでダウンロードしていたものを、時間の合間に少しずつ読み進む。1ページ270字なので600ページということは、普通の単行本なら220ページ位になるのだから、よしもとばななとしては普通の小説の長さだ。

simokitazawa


そして、確かに、本を持ち歩かなくてもスマホで十分読めるので、いわゆる「電子ブック専用機」が日本で普及しないのも、よくわかる。だいたい、スマホでも普通の本の字と同じくらいの大きさの文字が読めるし、見にくければ、文字を大きくするだけだ。そして、最大のメリットは、スマホなら片手で操作できるということ。


それで、この本の内容だが、いきなり母と娘の物語なのだが、その二人にとってもっとも重要な、母の夫であり娘の父親が、ある日突然に失踪して、まもなく見知らぬ女性と茨城県の森の中で車中の一酸化炭素中毒で心中してしまったこと。

この陰惨なストーリーが冒頭から始まるのだが、うっかり勘違いして、「吉本隆明は、愛人と心中したのだったか」と思い込んで読みふけっているうちに、「そうだ。小説だ。」ということに気が付く始末だ。

それで、当然ながら、母にとっては、夫を取られたという無念さが先にくるし、娘にとってはもとより血がつながっているのだから、母親以外の女性と一緒に死んだとしても、父親を思う気持ちは残っているし、微妙に異なる二人の立場の差が、小説らしく、あの手この手と描写されていく。

文体は、誰がどうみてもよしもとばなな調であり、彼女独特のだるくて、一方、危なげに緊張して、というもので、当代最高級の小説家の一人は、筆なめらかである。


そして、不思議なもので、この小説の最後に、娘は父親の亡くなった茨城の森を見に行くのだが、知人と待ち合わせたのが、茨城県の水郷潮来インターである。私がその段まで読み進んだ時、ちょうど乗っていた高速バスが、水郷潮来インターに到着したのだが、もちろん、私は、森の中で心中するためではなく、単に所要があったに過ぎないわけだ。

しかも、近くには森はないし。