転落の歴史に何を見るか(斎藤健著)

2011-06-01 00:00:57 | 書評
TENRAKU著者の斎藤氏は1959年生まれ。通産省の官僚を辞め、政界に転身し、自民党公認候補として衆院選で、当選と落選を繰り返しているそうで、現在は当選中。いいかえれば、議員になるボーダーラインの人って、これ位の考え方をしているのか、ということがわかるとも言える。意外にアバウトな歴史観でいいようだ。

最近、さまざまな人が同じようなことを言っていて、幕末から明治維新を経て、日露戦争に勝つまでが、上り坂。そして第二次大戦で多くを失うまでが下り坂。そして、戦後の復興期からバブルの頂点までが上り坂で、1990年から始まる下り坂の途中にある。というような説だ。

斎藤氏は、その日露戦争からノモンハンに至る過程で日本がダメになっていく過程について、多くのページを費やしている。

そこが、一つの世代論になっている。日露戦争の時には、まだ、明治維新の登場人物が多く生存していた。明治の元勲といった人達。伊藤博文、大隈重信、山県有朋、それに明治天皇だってそうだ。そういう人たちが亡くなってしまい、戦争の目的や意味がわからないまま、士官学校卒という目的自体が戦争遂行するような考え方の人が軍部の中心になっていたというようなこと。

そして、もう一つの転落の世代論が、「団塊論」。これもよく言われているのだが、斎藤氏の論は、かなり厳しい。

団塊世代の特徴は、同世代との競争である。要するに食べることが何よりも優先されるわけだ。学校は勉強に行くところではなく給食を食べる場所のわけだ。都内には二部授業の小学校まで現れる(今や、ほとんどの小学校は老人センターになっているのに)。

そして、何よりも世代に共通の遺伝子は「否定・破壊・連帯」ということらしい。全共闘世代。その割に、何も生み出したりしないのが特徴ということらしい。著者の言葉によれば、「批判すれども対案なし」とか、「間もなく迷惑世代になる」とのことだそうだ。さらに、「もともと全共闘運動自体、方向が間違っていたではないか」という意味のことまで書かれていて手厳しい。今の菅おろしだって、そうだ。神輿を担いで1年で否定する。

たぶん著者は、もっと歴史をフォーカスして、「くたばれ団塊世代!」というような本を書いた方が売れるのではないだろうか。いくら団塊世代の人数が多いと言っても、団塊世代を迷惑と思っている人数の方が多いのは間違いないはずだからだ。