桜田門外ノ変、絶景ビューと映画

2010-11-30 00:00:51 | 映画・演劇・Video
1860年3月3日に起きた桜田門外の変は、時の大老である井伊直弼を水戸藩士17名+薩摩藩士1名の計18名が襲撃を行った政治テロである。ペリー来航(1853年)から西南戦争(1877年)までの24年間の日本史は、短くもなく長くもなく、世界に例がないほど複雑怪奇な政治的力学の中で政治体制が変動していくのだが、ペリー来航によって日米和親条約、日米修好通商条約締結により開国が決定し、尊王攘夷派の勃興と安政の大獄という第一幕の終わりが、この桜田門外の変ということになる。



襲撃に成功した後、生き残った者は京都に向かい西郷が薩摩から率いてくる3000名と合流する予定だったが、映画の主人公関鉄之介は京都に近づくも、薩摩動かずを知る。さらに全国の同志の元を単身で廻るのだが、いざという時に頼りになる友はなし。故郷の茨城の田舎に潜伏するも追っ手に追われ、2年の逃亡の末、ついに越後湯沢で捕縛され、江戸で処刑される。

結局、18名のうち逃亡に成功し、明治に滑り込めたものは二人である。そのうち一名は1903年まで生存し、76歳で没する。海後磋磯之介(かいご さきのすけ)。警視庁や茨城県庁に勤める。

現在でも水戸の人たちは、幕末という時間の流れを全体で捉えるのではなく、すべてを桜田門外の変に凝縮して論ずることが多いのだが、この映画はまさに水戸好みとなっている。


しかし、こういう極限下での逃亡ストーリーは、亡くなった吉村昭に書かせてみたかった、などと的外れなことを思ったのだが、エンドロールを最後まで観ていると、『原作:吉村昭』と表示されたわけだ。

では、なぜ、最後まで逃げおおせた海後某の方を小説にしなかったのか、と思ったのだが、その後調べてみると、吉川英治が「旗岡巡査」という小説の主人公として書いていて、1940年には映画化までされていたようだ。



ところで、本質的な話ではないのだが、現在、武士を題材とした映画が流行しているのだろうか。それとも偶然なのだろうか。本作の他にも、『雷桜』『武士の家計簿』『最後の忠臣蔵』と本格的な時代映画が続くわけだ。


実は、気が弱いので流れ出る血を見るのが嫌いなのである。ところが桜田門外では、数十人が斬り合いをするし、生首を持って走ったりするわけだ。しかも逃走中に追っ手に囲まれ、腹に刀を突き刺せば、またも大出血。捕らわれて、斬首されれば、またも大量出血である。

そのたびにスクリーンから眼を逸らしたり、眼を閉じて冥福を祈ったりするのだが、タイミングが合わないと血しぶきを眼にすることになる。奇妙なことに、いつも鮮やかな鮮血であるわけだ。同じ色。たまに献血に行った時に見る自分の血の色なんて、ベトベトで濃厚な色なのだから、江戸時代の若者はずいぶん健康だったのだろうか、などと感心したりする。(勘違いだろうけど)