神戸で数時間

2010-11-03 00:00:14 | あじ
先週、神戸に数時間いた。

今回は新幹線で行ったのだが、神戸に空路で飛んだときには思うことだが、六甲山の上を東から西に飛んで行くわけ。そして、神戸の市街地の上を通り過ごしていくわけだ。

「乗り間違えたか!」と一瞬思ってしまう。途中下車不可だ。

しかし、だいぶ先まで行ってから、Uターンしてくるわけだ。そのため、神戸沖を西から東へと戻りながら高度を下げていく。だから飛行距離は岡山空港までと同じぐらいじゃないのか。

chukagai

元町の目的地で仕事をしたあと、大急ぎで中華街へ。いつもこんな感じでメシが食えず、肉まんの立ち食いかなんかになる。もっとも横浜の中華街は人が溢れているので、立ち食いすらできない。おそらく横浜、神戸、長崎の日本三大中華街を比較すれば、味や歴史や風俗など博士号がいくつか取れるのだろう。いや、それぞれの味と歴史と風俗の関係を比較しなければならないだろうから、途方もなく大仕事のような気がする。

そして、新神戸駅。新幹線で帰る前に夕食を取ることにする。毎週の駅弁は飽きた。

で、神戸と言えばステーキではないかと、『みかど自由亭』というレストランに入ると、980円の「ステーキ丼」がある。もちろん神戸ビーフが980円で食べられるわけもなく、「オーストラリア牛」と明記されている。「神戸ビーフ9800円」と偽って書いても売れるような気もするが、すぐにバイト店員にチクられて、廃業に追い込まれるだろうか。



しかし、ステーキが焼ける間に、この店の「うんぬん」を読んでいると、かなり歴史の中に生きてきた店であることがわかった。「後藤新平」とか「みかどレストラン」とか「食堂車」とかが関係するらしいが、よくわからない。

しばらく前に「駅弁革命」という書評を書いたのだが、日本食堂が駅弁や駅構内のレストランを経営していたような気もする。帰ってから調べるとかなり複雑だった。

まず、歴史は二つの会社に始まる。といっても経営者は後藤勝造という実業家。神戸駅の近くに「後藤旅館」を始める。1900年より少し前の時代だ。その後、勝造の知人が後藤新平であり、彼の発案で「自由亭」ホテルと改名。自由というコトバからか板垣退助が愛用していた(本当は板垣の改名案だったかもしれない。いや自由党の方がホテルの名前を借用したのかもしれない)

一方、勝造は神戸駅に「みかど食堂」を営業していて、これが成功していて、ホテル名を自由亭から「ミカドホテル」と改称の上、1906年にはホテル新館を建て直す。

しかし、このホテルは勝造の資金繰りが悪化したことにより、手放されることになる。売却先は商社の「鈴木商店本店」。ところが、鈴木商店は1918年に起きた米騒動で、2万人の群衆に襲われて、あえなく焼失してしまったわけだ。会社自体は、その後生き延びて、紆余曲折の末、日商岩井となり、双日グループとなる(昨日のエントリで登場した吉崎氏も、なぜか日商岩井出身だ)。

そして、レストランの方だが、ついに食堂車の営業を開始。神戸、門司、函館と鉄道の要所の駅構内のレストランと食堂車の二本立て営業になる。

が、このうち食堂車部門を日本食堂に譲渡。レストランに特化するも、2003年に神戸駅構内食堂を閉鎖。

そして復活したのが新神戸の、このレストランということだそうだ。


ところで、ステーキ丼の方だが、オーストラリアビーフでも十分においしい。神戸ビーフと偽ると犯罪だが、神戸風ビーフと記載すれば十分に5000円でも通りそうな気がする。