ハイドンイヤーだった

2009-12-03 00:00:33 | 音楽(クラシック音楽他)
haydnそういえば、ハイドンイヤーである。

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732年-1809年)。没後200年である。

大バッハは別格として、現代に残るクラシック音楽という芸術分野は、このハイドンから始まったといったら言い過ぎだろうか。

交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲。そしてオペラ。

どの分野も、大量制作である。交響曲は100を超える。全作品は1000を超えるというのだから怪物である。まあ、たくさん作ればいいというものじゃないけど、ハイドンの時代には他にそういう能力を持つ人物がいなかったのだろう。だから、独占企業みたいなものだったのだろうか。その後、我も我もと参入して、古典派という分野になる。もちろん、古典という言い方は、ずっと後の呼び方で、後の野心的な作曲家たちが、モーツアルトとかベートーベンとか総括して、たんすにしまおうとしたに違いない。

haydn1それで、ハイドンにとって不運なのは、大量に作曲したがために、後の作曲家と比較され、「格下」みたいに思われていたこと。大量生産の中国製品みたいなイメージだろうか。確かにベートーベンの交響曲なんかは、9つしかないし、それなりに一つずつ別の世界が構築されていて、「どれを聞いても似ている」というようなことはない。

ただ、当時のハイドンのファンにとっては、「どれを聞いても少し似ている」ということが求められたのではないだろうか。比較にはならないが小室哲也だってそうだった。


近くの図書館のホールで、ハイドンの「驚愕(交響曲94番)」と「時計(交響曲101番)」のDVD鑑賞会があったので、ハイドンイヤーの年末に聴きに行った。

『驚愕』はフルトヴェングラー+ウィーンフィル。『時計』は、ジェーン・グラヴァー+ロイヤルフィル。このジェーン・グラヴァーさんは、今でも珍しい女性指揮者である。となれば、二人の指揮を堪能しようと思ったのだが、これが少し間違いだった。

なぜか演奏ビデオ画像ではなく、ウィーンの町並みが紹介されるわけだ。まあ、フルトヴェングラーのビデオなんか簡単にあるわけないのだろうということに気付く。それに、図書館であっても映画みたいに公開することは著作権や肖像権とか色々と問題があるのかもしれない。

haydn2ということで、演奏の音を聴きながら、ウィーンの街に残るハイドン関係の史跡などを観ることになる。

音楽的には、ハイドンのある部分は、モーツアルトによく似ていると思うところがある。ハイドン自体が、楽曲中で盛り上がった箇所(サビ)で弦楽器の一斉大合奏をするところを、モーツアルトは適当に借用して、サビとサビの間の適当な場つなぎに使っているように感じた。そういうのもありかな。技術の伝承ということで。

ところで、実はハイドンのイメージに、先入観があった。よく紹介されていた肖像画というのがあって、雰囲気が政治家のような世間臭さが漂っていたのである。米国大統領の肖像みたいな感じである。しかも大量制作。世間にあふれる「格下感」。

ところが、彼が終焉の地として選んだウィーンには、彼の彫像や胸像などの史跡がいくつか残っているようだ。DVDではそれらが紹介されていたが、全然肖像画とは似ていない。

まず、大男だ。さらに、筋肉マンみたいだ。胸が厚いし、横幅もある。厚着をしているのがもったいないくらいだ。ギリシア彫刻みたいに裸になってもいいかもしれない。顔も大きく広く、肖像画とは似ていない。中曽根康弘みたいな顔立ちである。なかなか、このイメージのギャップについて納得できないわけだ。


haydn3調べてみると、彼の死にはエピソードがあった。ちょうど、死の床にある時に、ナポレオンがウィーンに侵攻してきた。大砲の音を聞きながら息を引き取ったそうだ。驚愕とか時計というような交響曲を書いた作曲家にふさわしい幕切れだったのだろうか。

しかも、亡くなった後、重大な事件が起きる。熱烈な彼のファンが、こっそり彼の遺体の一部を持ち去るわけだ。よりによって頭部である。バラバラ事件だ。持ち去られた頭部は、腐敗防止の処理をほどこされ隠匿されていたのだが、後に発見され、胴体と一緒に埋葬される。なんと145年後の1954年のことだ。


肖像画の顔と彫像が似ていないことと関係があるのだろうか。


ということで、今年は胴首合体後55年のメモリアルイヤーと言うこともできるわけだ。