黄庭堅・伏波神祠詩巻 永青文庫にて

2009-12-27 00:00:47 | 美術館・博物館・工芸品
eisei1永青文庫は目白にある小さな美術館である。しかし、実は国宝8点、重文31点を含む美術品6,000点、歴史文書48,000点を含む超巨大アートセンターなのである。

しかし、展示スペースの限界もあり、収集品のほんの一角が年数回の特別展で現代の陽の目を受ける。

なぜ、このようなお宝が集まっているかと言えば、この地が「細川家」であるということである。

細川家は足利氏の親戚筋にあたる室町時代の名門である。足利氏に次ぐ当時のナンバー2の家柄。その後、応仁の乱の時代にはいくつかに分岐し足利幕府の弱体化の原因にもなるが、細川忠興が戦国時代に大活躍して重要大名の席を確保する。その後、色々あって熊本城の城主となり、現当主である細川護熙氏の代になり、念願の全国統一を果たした、が、あっと言う間に首相の座から滑り落ちた。人呼んで「第一次小沢内閣」である。

一方、明智家から忠興の正妻として迎えたガラシァ夫人は、旦那との折り合いがイマイチで、血縁の続いた子孫には細川隆元氏がいる。

そういう関係で、このコレクション類を概観すると、大きく3種類あるのではないかと思うわけだ。

まず、忠興に繋がる室町時代の細川家から伝わる名品群。これらの中には、「歴史」の中に登場する名品が含まれている。次に、江戸時代の細川家がコツコツと収集したもの。そして、元首相の祖父である細川護立氏が昭和前期頃に国内や中国から収集した東洋美術。映画からの知識で恐縮だが清朝末期に豪族たちが没落していく過程で、お宝を格安で換金売りしていたようだ。そういうものが流れていたのだろう。

では、名家であるならば、豪邸に住まわれていたに違いないと思うのだが、実はこの美術館の建物は細川家の邸宅ではなく事務所だったわけだ。邸宅の方の敷地は分離して「和敬塾」という男子大学生の独身寮になっている。歴史を遡れば、村上春樹氏も一年間居住して、その保守的な塾風に耐え切れず、脱出(あるいは追放)。大邸宅は現存していて、時々公開されている。


そして、今回の特別展は、『黄庭堅・伏波神祠詩巻』。11世紀の中国の禅僧であり、名書家の作品。本当は新年になって別の展示を観に行こうと思っていたのだが、近くにある別の観光スポットの方に慌しく行かなければならなかったので、これはこれとして。

eisei2伏波神祠詩巻は、現代的に言えば「詩集」である。黄庭堅は詩の作者ではなく、既存の詩(祝詞)を巻物に書くわけだ。日本も中国も漢字文化だが、私見だが中国の書は文字の形や線の太さに個性があるように思っている。日本語の漢字は基本的には仮名と漢字の組み合わせの中で、中国語とは役割が違うということもあってか、むしろかすれを利用した筆の勢いとか、文字の大小といった空間の中の墨の使い方といった方向を感じる。

それ以上は書道10級の腕前がいくら眺めてみても何もわからない。

気がつくのは、この詩巻の冒頭と末尾に約80の朱鑑が押されていて、それがこの作品の今までの所有者を特定することになるそうだ。購入した人が、「私が買った」という証拠の印を押すわけだ。

細川の印が押されているのかどうかはわからないが、張大千(1899-1983)という著名なコレクターの印影が最も新しいものだそうだが、この張氏は謎の人物として知られ、もう一つの顔は「贋作者」ということだそうだ。

eisei3書の他には、文房具類も展示されていた。もちろん鉛筆や消しゴムではない。まず、文房四宝といって、筆、墨、硯、紙を重用する。さらに文房十友に範囲を拡大すると、筆洗、筆筒、硯屏、水滴、筆架、書鎮ということになるそうだ。よくわからないものもある。

現代の自分の机の上には何があるかと言えば、パソコン以外の文房具といえば、メモ帳と3色ボールペン、電卓、USBメモリー。あえて言えば紙屑類。金融機関から定期的に送られてくる残高報告書とか、大叩きしたゴルフのスコアカードとか。さらに、決して開くことがないだろうDVDとかCDとか。