鳩山会館へ

2009-12-28 00:00:02 | 市民A
hato1本年9月16日の鳩山内閣誕生後、観光スポットになった東京音羽の鳩山会館。ちょっとのぞいてみようと思っていたのだが、近くにある旧細川家敷地にある永青文庫(美術館)の新年からの特別展と一緒に、と思っているうちに、どんどん政権の地盤が沈下しはじめ、もう一つ厄災が発覚すれば即、失脚確実となってしまった。

贈与税を納税し、除夜の鐘を108回聞いた後、ちょうど元旦の朝に、108日間の政権に試合終了のゴングが鳴る可能性すらあるし、その後で元首相会館に行くのも新年早々縁起じゃない。

ということで、すっ飛んで行ってみた。

まず、音羽通りの正門から邸宅まで、縦「くの字」型の上り坂である。よく戦国時代の天守閣にこういう作り方がある。いかにも坂の上には金の鯱が見えそうな錯覚があるが、洋館があらわれる。地下一階で一応三階建て。三階部分は二階の天井と屋根の間の空間で、倉庫ということだそうだ。これも天守閣にはよくある構造で、武器類が蓄えられている。

見どころは、主に三ヶ所で、庭園と一階の応接室、そして二階に展示されている政治家一族としての資料室。

hatoyama3まず、庭園だが、「偉大なる一郎」の中の一人である鳩山一郎元首相の立像が立つ。庭の中央は芝生になっているが、洋芝ではなく和芝である。したがって冬季には芝は冬眠する。

『養生中なので庭を歩く時は置石の上を歩いてください』と書いてあるのに親子そろって庭を走ったりしているバカ家族たちは、一生かけてもマンションから着地できないだろう。

本格的な設計とかデザインとかは感じられないのだが、要するに政治家の庭だと思う。さまざまな頂き物の樹木とかをそれぞれが邪魔をしないようにある間隔とか政治的ルールとかで植えられていると感じた。




hatoyama2次に応接間。英国風とか大陸風とかいくつかの部屋がある。通しでも使えるようになっているが、重要な案件の密談と言うのは、たいてい一人とか二人とかを部屋に通して、ということになる。鳩山一郎ご愛用の椅子まで現存している(が、傷みが進んでいて座ってはいけないことになっている)。どういう密談がなされたか、そういう情報は何も書かれていない。日ソ交渉とか自由民主党誕生秘話とかそういうことだろうか。

二階の資料室。鳩山一郎元首相と鳩山威一郎元外相に関係する資料の一部がそれぞれ別室で公開されているが、あまり生々しいものはない。ずっと前からないのか、現首相になってから隠したのかはわからない。一番気になったのは、現首相が退陣した後、彼及び弟のための資料室を作ろうとしても予備の部屋がないことだ。どうも三代の政治家を並べると、「大中小」という小学生でも知っている三連熟語を思い出してしまう。


ところで、この第二次小沢内閣ともいえる鳩山邸、第一次小沢内閣と言える細川家(永青文庫)は徒歩10分の距離である。さらに言えば彼らの大ボス、旧田中角栄邸も、細川屋敷のすぐ傍である。関越自動車道の入り口を自宅表門前に設置しようとした目白通りに面した田中家には、現在は民主党としての新人議員が居住しているが、第N次小沢内閣の首相候補群に、マッキー・タナカ氏は含まれているのだろうか。