ブロガー名刺

2004-10-02 16:53:48 | 市民A
7a3140a7.jpg10月になった。ブログを始めてから3ヶ月くらいである。最初自分のHPの中にDiaryを立ち上げた時には、あまりブログ(weblog)のことは知らなかった。しばらくして、比較検討のうえLivedoorblogに入会し初期のHP上のDiaryも移植した。特にトラックバックの仕組みは外からは理解しにくい。有名新聞でブログが紹介されていたことがあったが、間違い記事が多いのは自分でブログをやっていない(あるいはブログROMの)記者なのだろう。当時(3ヶ月前)のイメージではインターネット人口の1/10がHP人口でブログ人口はさらに1/10位ではないかと想像していた。10万人以上100万人以下。何しろ急増中なのでよくわからないが100万人に近づいていくのではないかと感じている。

急成長期のデータはあてにならないのだが、気になるのはブロガーを対象とした調査では約80%は他人のブログを読まないということらしい。これは、本質的にライターとリーダーは素質として別物なのか、あるいは単に新規参入者は自分のブログを管理するのに手一杯で他人のブログに目を向ける余裕がないだけで自分の基本スタイルが確立されれば、余裕が出てくるというような、統計の中に埋め込まれた時間軸のズレであるに過ぎないのだろうか。いずれにしても、ブログライターがいなくなるとブログはなりたたない。

色々とブログを見て回るといると、本当にすばらしく一生懸命に作られているブログに出会うことがことがある。多くは趣味系の世界にあるのだが、あまりに完成されていてどうコメントすればいいのかわからないこともある。TBやコメントが書き込まれていないと、本当に心配になる。読者がいるのかいないのかで判らない状況で、作り続けることは気力がいる。僅かな金額で使える不安定なアクセス解析で数字は把握できるが、読者の声までは見えない。ゲーム理論ではないが、気にいったブログはなるべくブックマークして、たまには控えめな愛読者であることをシグナルとして発したほうがいい。

実は、9月は自分の中で「読者拡大月間」と決め、読者展開をはかっていた。方法としては、A.なるべく、他人のブログを読み、コメントする。さらに迷惑がなさそうならTBさせてもらう。B.検索サイトを利用する(実際にはAの効果と複合的になる)。C.HP側から入ってくる人への対応。D.毎日のUP時間をなるべく変えない。E.友人や知人で興味のある人に紹介する、などであるが、その一環として「ブロガー名刺」を作ってみた。友人たちの飲み会などで配っている。
意外に知らない。「ブログ?、ブロガー?、何・・・。」飲み屋の酔っ払いにTBの説明するのは困難だ。せいぜいHPの日記のようなものと説明するまでだが、感じは違う。ここで説明不要だろうがもともと日本発のHP日記がイラク戦争を契機としたWarBlogという形に発展し、逆輸入されたようなものだ。おおむね形式は統一されていて、他のblogにもあまり形式的な抵抗なく参加できる(easyさが気に食わない人たちはブロガーでなくウェブラーと自称するらしい)。ともあれ、紙にURLを書いて名刺の形にすればクリックしてもらえる。もちろん、愛読者になるかならないかは知らない。また追随してブロガーになった人は今のところ一人だけであるが、この人物は律儀で良質なブログを追及しようとしているSailing out from Edo-bay

次の問題は、ブログの社会的地位の話だ。書く側や読む側のルールの問題に近づく。ブログの中には、より社会性を持った「マスコミ対抗型」や「マスコミ補完型」に近いものがある。悪貨が良貨を駆逐するのが現代のイエローペーパー群とすれば、良貨が悪貨を駆逐するのがブログである。いくつかのブログには色々な経路でよく辿り着く。あざらしサラダ氏や極東ブログ氏がそのタイプだ。それぞれ自らのブログライターとしてのルールを開示している。
また大西宏のマーケティング・エッセンスのように世間のできごとや報道に自分の意見をぶつけていくタイプも多い。どちらか と言うと私もそういうタイプかもしれない。自分なりに気をつけているのは、「事実」「推測」「他人の意見」「自分の意見」をなるべく明示するように努力をしている。しかし、自分の技術にも、日本語の文法にも能力の限界があるのでどこまでできているのかはわからないし、論文のような味気ないものにはしたくないというのが悩みである。世界の不条理に挑むのも好きだが、自分の感性を外に出すのも大事だ。

アクセス解析でわかる時間帯を見ると、朝9時台10時台に結構、勤務先からヒットされている方が多いことがわかる。仕事より優先で読んでいただけるとは落涙の極みなのだが、先日、名刺をお渡したある方から、「livedoorblogはインターネット制限にかかり、会社からは読めない」と言われてしまった。要するに「2ちゃんねる」と同じ扱いである。見られたくない情報を制限するという会社の考えはわからないでもないが、未来性を感じない話だ。彼は単身赴任で自宅PCの準備がないということで、並行して同じ内容で作っているHP上のDiaryを見てもらっている。もちろんコメントもTBもないのでいささか感じが違う。本来はDiaryを廃止してblog側にLinkすればいいのだが、今でもトラブルが多く今一つの不信感が残っているので並存させている。

気になることがある。ブロガー人口が増えてきて、世代が厚くなっているようだ。団塊ジュニア以降の20代の方や10代の学生の方のブログを見ていると、なんだか応援したくなる。しかし、PC世代でなく携帯世代の方のブログは読みにくい。携帯料金を下げるためのパケット型文法だ。題名なし、改行なし、省略多数。妙な文法が一般化する前に、携帯料金体系を変えないと、日本語はとんでもない方向にいってしまう。

ともあれ、「ブロガー名刺」など配っている以上、この「ブロガー」の評判が失墜すると大変だ。最近では「アナリスト=自分の発言の記憶がない人」という公式ができたそうだが、ブロガーだけは評価が上がることを期待している。自分でできることはわずかなのだが。

「ごくろうさま」をイチローに

2004-10-02 16:53:01 | スポーツ
イチロー選手にもっとも贈りたいことばは「ごくろうさま」だ。きょう1日だけのことではなく、この1年のことでもなく。きょうまでの人生のすべてに対して贈ることばだ。

新記録が「日米の国籍の違いを乗り越えた偉業」と言うには、異論や反論があるかもしれないが、「遠い過去と現在とを結びつけた偉業」と言えば、完全に正しい。

昨金曜日の酒席ではどこでもイチローのことが話題になったのだろう。隣のテーブルでも誰からともなく、「もう会社から引退しようと思っていたのだけど、イチローが引退するまでは辞めずに頑張るよ」「私も同じ事考えていたのですよ」「えっ。私もですよ・・・」

個人的には気分はよくわかる。自分の気力上の仮想ライバルにするのは結構だ。でも、いつまでも会社にいるのは老害である。頑張る気持ちは会社以外にぶつけよう。

イチローのことだから、自分の引退の時のことも考えているのかもしれないが、きょうのおめでたい日に、これ以上考えないことにする。「イチローと一緒にリタイアする」と飲み屋で格好をつけた方々も、そのうち、別の仮想ライバルを口に出して居座り続けたりはしないで欲しい。