押売り現る!

2004-10-22 15:22:16 | 市民A
370436ff.jpg10月18日の拙ブログで触れたのだが、愚息の引越した多摩ニュータウン隣接地のアパートでの話しである。最初の来訪者があらわれた。何と「NHK」。早過ぎるぞ・・・。まだお茶も飲んでいない。テレビ付きインターフォーンで見ると60才前後の男性のように見える。
「テレビはありませんから!」一撃で終わった。テレビチューナーはあるのだが・・・
以前、勤めていた会社の支店が、NHKの集金支店と同じフロアだったこともあり、かなり習性は知っている。完全に集金する必要はなく、支店で設定した目標額を達成すると、入口のドアを締め切ってパーティーを始める。今月は終わりだって。それと、集金額も彼らの目標だが、回収率も重要だ。テレビが無い世帯は目標外なので、ノルマに加算されない。
とはいえ、油断禁物である。

たまたま、NHKの時は引越し当日で私がいたのだが、翌日になって新聞拡張団の団員がきたそうだ。こちらはシツコイ。ノルマがきつい。というか、団員は個人営業者だ。年金や健保とかの問題が発生しないようになっている。従って、住所の確認などあいまいなのだろう。インターフォンの音量調整が終わる前にきたので、音が鳴り響く、何度も何度もシツコク。1時間にわたる攻防戦の末、とりあえず3ヶ月契約と引き換えに皺だらけのビール券3枚がポストから押し込まれたそうだ。しかしこちらもさるもの、契約は3年後からの3ヶ月間である。新聞の種類はどこでもいいと言ったところ「チョーニチ」新聞となったそうである。

で一件落着にはならないのである。こんどは新聞販売店が確認に来た。「本当に3年後にここにいるのか」と。「先のことは、よくわからない」ととぼけてしまったそうだ。どういうことかと言うと拡張団が持ってきた3年後の3ヶ月契約を買い取るかどうか、検討しているわけである。いくらで買うかというと数ヵ月分の新聞代のはずだ。部数を増やして広告代で稼ぐと言う構造だからだ。

その販売店が買い取らなければ、拡張団は違う販売店に持っていくわけだ。「ドク売り」新聞とか。しかし、新たな販売店からの確認はこないようだし、ビール券の返却要求もないし、後は2年後の引越しという不可抗力を待つだけなのかもしれない。

どうも、新規契約には販売店自体が足で回るケースと、この拡張団という組織が獲得するケースと、稀に顧客から直接、申し込むケースがあるそうだが、拡張団が新規契約の50%を越えると販売店の経営が苦しくなるらしい。要するに、獲得経費はかかるし、さらに次の3ヶ月の契約はまたもやり直しだからである。

新聞の販売をめぐる問題では、さらに秘密があるようだ。噂ではあるが、新聞社の発行部数と読者数がかなり食い違っている販売店があるらしい。販売店の公称部数は、折込広告の収入に直結するから、なかなか減った数字を明かさない。その結果、新聞社の印刷工場から販売店に送られる新聞が、束のまま古紙会社に送られているということがあるらしい。一方で資源の無駄使いだが、さらに折込広告依頼企業からすれば、とんでもない話しになる。また、その事実に気付いた「ある特定の傾向の強い」方々からいじめられている販売店もあるという噂もある。もちろん広告収入と部数の問題は、販売店レベルだけではないのだが。しかし、この手の噂を明かそうとしても、広告依頼側には証明する方法がない。その他の関係者にとっては見つからない方がいい話だし・・・結局、記事に対する、顧客の評価は部数によって判断されるべきだが、流通の途中段階でうやむやになってしまう。
ところで、今、新聞とネットの関係が微妙だ。本当はいい勝負ではないかとも思っている。かたや、届けられる情報。かたや取りに行く情報という差がある。新聞社の中でも日経はNETに熱心だ。新聞紙面とはだいぶ違うつくりだし、記事も多彩で豊富だ。一方、他の新聞社は新聞記事をリライトしているだけのようである。新聞の目次みたいなものだ。その差は、新聞の流通構造にあるとみている。

新聞発行にかかる実費と流通段階の経費の合計と新聞料金はほぼ等しく、新聞の広告収入から、新聞の記事を作成するための経費(人件費や事務所費も含め)を引くと、若干の利益が残るという構造らしい。つまり、紙による新聞を作らずに、全部ネット上で配布すれば、新聞代は無料でいいことになる。

しかし、何人かの出版人に聞いたところ、新聞を拡げ、あちこちながめるのは、「趣味の世界」だそうである。「あっちの記事を見たり、こっちの記事を見たりは新聞形式だからきままにできる」ということらしい。
また全部ネットになると広告が集まるかどうかの問題がありそうである。もちろん販売店も拡張団も不要となるのだが、販売店の建物を、新聞社が建てて、貸していたり、経営者に融資したりしているので、今さら足抜けできず、どうにもならないというのが実態かもしれない。そういう部分に投資をしていない日経が自由にNET化を考えているのと方向が対照的だ。あとは、記事の質が劣化でもすれば、新聞の価値はなくなってしまう。ペンは剣より強いかもしれないが、ペンは読者の財布よりは弱いのである。

新聞には半分以下しか真実は書かれていない。というとセンセーショナルに聞こえてしまうかもしれないが本当なのだ。広告の紙面に占める面積は5割を超えているのが現実だ。