三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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256人の生と死の軌跡をたずねて

2007年09月24日 | 月塘村
 海南島近現代史研究会は、9月29日から11月16日まで海南島で「現地調査」をおこないます。
 今回は、主として月塘村で生活させてもらい、村のみなさんのたすけをかりながら、1945年5月2日に月塘村に侵入してきた日本軍に虐殺された犠牲者256人の生と死の軌跡をたどり、村のみなさんと共同で、『海南島月塘村虐殺』とは別個の、新しいドキュメンタリーを制作することにしています。
 最近完成させたドキュメンタリー『海南島月塘村虐殺』は、ことし1月と5月に、月塘村虐殺の現場で撮影したビデオフィルムを日本に持ち帰って、日本で編集したものです。 

 こんど、わたしたちは、月塘村虐殺の犠牲者の軌跡をたどる撮影を、月塘村のみなさんとともに試み、月塘村のみなさんとともに話し合いながら編集し、共同で編集しながら、日本軍の月塘村虐殺にかかわる事実をさらに明らかにしていきたいと願っています。
 一家が皆殺しされた犠牲者をふくめ、虐殺された村人256人すべての名と年齢を明らかにした朱振華(ジュ・ジェンホァ)さんの力をおおきくかり、村人のみなさんに助けてもらいながら、256人ひとりひとりのあとをたずね、256人ひとりひとりが、1945年5月2日に突然侵入してきた犯罪者集団によって虐殺されるまでどのように生きてきていたのか、どのように殺害されたのかを追求し、映像で記録したいと思っています。

 また、こんどの1か月半の間には、月塘村虐殺の20日まえ、1945年4月12日に、月塘村を襲撃したのと同じ日本海軍佐世保鎮守府第8特別陸戦隊に所属する日本兵が多くの住民を虐殺した長仙村、および月塘村虐殺の3か月後、1945年7月30日に140人の村人を日本海軍第15警備隊に所属する日本兵が虐殺した秀田村などを再訪することにしています。
 秀田村には、140人の犠牲者それぞれの家の名と、その家の犠牲者の数が刻まれた墓碑がおおきな墓のまえに建てられています。
 こんど秀田村では、ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』(漢語版)を上映させてもらおうと思っています(このドキュメンタリーには、2003年春に証言を聞かせてもらったときの映像や日本軍に村人が押し込められ焼き殺された家の廃墟の映像などがおさめられています)。そして、「沖縄戦」のあと、日本敗戦のわずか半月前に日本軍がおこなった住民虐殺の実態をさらに村のみなさんから聞かせていただきたいと思っています。

 こんどの海南島近現代史研究会の1か月半の「現地調査」に、部分的にでも参加しようと思うかたは、連絡してください。
                                 佐藤正人  http://www.hainanshi.org/
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