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韓国政府の不参加で中途半端な6月民主抗争記念式…「民主化の歴史をおとしめる

2023年06月13日 | 韓国で
「The Hankyoreh」 2023-06-12 08:22
■韓国政府の不参加で中途半端な6月民主抗争記念式…「民主化の歴史をおとしめる」
 記念事業会が後援した団体が「政権退陣」広告出したことを理由に、政府不参加 
 後援撤回でも方針変えず…国の記念日制定後で初

【写真】10日午前、ソウル中区の明洞聖堂で開催された第36周年6・10民主抗争記念式で、参加者たちが「広野で」を歌っている=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 6月民主抗争が2007年に国の記念日(6月10日)に指定されて以来初めて、「6・10民主抗争記念式」が政府の参加なしに行われた。記念式を主催してきた行政安全部は、主管機関である民主化運動記念事業会が尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領退陣のスローガンを掲げた行事を後援したことを問題視し、事業会が後援を撤回したにもかかわらず記念式への不参加を撤回しなかったことから、尹錫悦政権は「自由民主主義」に対する後進的な認識をあらわにしているとの激しい批判が起きている。6月民主抗争は軍部独裁に抗して1987年6月に全国で起きた民主化運動で、大統領直選制改憲を引き出した大韓民国民主主義の歴史における象徴的な事件だ。
 今年で36周年を迎えた「6・10民主抗争記念式」は10日、当時独裁打倒座り込み闘争が起きた象徴的な場所であるソウルの明洞聖堂で開催された。この行事は2007年以降、行政安全部が主催し、行安部傘下の公共機関である民主化運動記念事業会が主管してきた。当初は、今年もハン・チャンソプ行安部長官職務代行が出席し、記念演説を行う予定だった。しかし行安部は行事前日の9日に突如として「民主化運動記念事業会が後援した進歩団体の行事の広告に『尹錫悦政権退陣』との文言があった」として不参加を通知してきた。広告の文言が分かった後の8日、民主化運動記念事業会は説明資料で「当該団体が協議なしに大統領退陣要求などの政治的内容を入れた。(当該団体の2023年民主化運動精神継承協力事業)公募選定取り消しを通知し、支援金も執行しない」として収拾に乗り出したが、行安部が立場を曲げなかったことで記念式は「主催者のいない中途半端なもの」となった。
 政府の記念式不参加は、保守政権である李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)両政権でもなかった。そのうえ、発足以降数回にわたって「自由民主主義」の価値を強調してきた尹錫悦政権が、実務団体の公募事業が気に入らないとの理由で民主化運動の最も象徴的な記念式に参加しなかったことで、これまでの発言の真意さえ疑われると評する声まであがっている。自由言論実践財団のイ・ブヨン名誉理事長は「韓国社会の民主化運動の成就を完全に無視したことは、尹大統領が普段から叫んでいる『自由』という価値がどれほど選択的かをよく示している」と批判した。また「尹大統領は保守政権の大統領としては初めて5・18光州民主化運動記念式に2年連続で参加したが、その真意すら疑われる」とし「光州(クァンジュ)精神を改めて胸に刻もうとしたのではなく、単に票を意識した政策の一環だったようだ」と語った。韓国外国語大学のパン・ビョンニュル名誉教授(史学科)も、「政権批判を口実として法律で定められた記念日の行事に出席しないというのは、政府自らが民主政権ではないと認めたもの」だとし、「国民の大半が共有する民主的価値を無視した行動」だと指摘した。
 民主化運動記念事業会側の他の団体からの批判も激しい。5・18民主化運動ソウル記念事業会のチャン・シンファン会長は「国の記念日に政府がこのように幼稚で偏狭な態度を示したことに少なからず当惑した」とし、「民主化運動記念事業会に対する追加的な特別監査も予告しているが、腹いせにしか見えない」と述べた。イ・ハンニョル記念事業会のハン・ドンゴン理事長は「政府支援金を受け取って政権退陣の声をあげたのは適切なスローガンではなかったかもしれないが、なぜそのような声があがっているのかを振り返ってみるのが民主主義国家のなすべきこと」だと述べた。パク・ジョンチョル記念事業会のパク・レグン理事も「国の記念日への出席は政府の任務だ。不参加の理由も納得できないが、後援が問題だったとしても、それは記念式不参加とは別であるべきだ」と指摘した。
 建国大学法学専門大学院のハン・サンヒ教授は「6月民主抗争は、現行憲法体制で言うところの民主秩序の基本的な価値をなす歴史的な事件」だとし「現行憲法体制を基盤として発足した現政権ならば、当然6月民主抗争の憲法的な意味を尊重し、改めて胸に刻むべき。記念式への不参加は公式に6月民主抗争の憲法的意味をおとしめるもの」だと批判した。
 全国民族民主遺族協議会のチャン・ドゥヨン事務局長は「政権退陣スローガンを小さく広告に掲げたと言って激怒し、特別監査を予告して記念式に参加しなかったのは『政府を批判すればただではおかない』と言っているのと変わらない」とし「そのような時間があるなら、政府は国民生活のための政治をしてほしい」と語った。
クァク・チンサン、パク・チヨン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2023-06-11 19:13


「The Hankyoreh」 2022-01-10 07:29
■「6月抗争の炎」李韓烈さんの母ペ・ウンシムさん死去…息子の遺志継ぎ民主化の闘士に
「民主主義はただやって来たのではなく、血と涙と汗にまみれてやって来た」

【写真】故李韓烈烈士の34回追悼行事がソウル西大門区の延世大学の「韓烈の園」で行われた昨年6月9日午後、ペ・ウンシムさんが発言している=資料写真//ハンギョレ新聞社

 1987年の6月民主抗争の導火線となった故李韓烈(イ・ハニョル)烈士の母、ペ・ウンシムさんが9日に死去した。享年82。
 ペさんは3日に心筋梗塞で倒れ、病院で治療を受けていたが、8日退院していた。退院後は無理なく会話を交わすなど健康を回復したかに見えたが、翌日に再び倒れた。家族がペさんを発見し、すぐに病院に運んだものの、再び起き上がることはなかった。息子の意志を継いで民主化と人権のために闘ってきたペさんは、息子の死から35年を経て息子のもとへと旅立った。他の地域に住む家族が全員病院に到着し次第、解剖するかどうかや葬儀の手続きなどを決める予定だという。
 1987年6月9日の李韓烈さんの死は6月民主抗争の炎となり、全国へと広がっていった。息子の死はペさんの人生を完全に変えた。平凡な主婦だったペさんは、息子の果たせなかった夢のために民主化運動に身を投じた。ペさんは「ハニョルの名において」全国民族民主遺族協議会(遺家協)に参加し、全泰壱(チョン・テイル)烈士の母、故イ・ソソンさん(1929~2011)や朴鍾哲(パク・ジョンチョル)烈士の父、故パク・チョンギさん(1928~2018)らと共に、民主主義と人権のためのデモや集会が行われる現場なら全国どこにでも駆けつけて協力した。
 ペさんは遺家協の会長を務め、1998年から422日間にわたって国会前のテントで座り込みを行い、民主化運動補償法と疑問死真相究明に関する特別法の制定を引き出してもいる。2009年には、龍山(ヨンサン)惨事のことを聞いて被害者の家族と共に涙を流し、龍山汎対策委員会の共同代表を務めて協力した。ペさんは民主化と人権運動に献身した功労が認められ、2020年6月に6・10民主抗争33周年記念式で文在寅(ムン・ジェイン)大統領から故イ・ソソンさんらと共に国民勲章牡丹章を授与された。ペさんは受章の席で「33回目の6月10日に送る手紙」を朗読し、「二度と民主主義のために人生を犠牲にし、苦しむ家族が生じない国になってほしい」と切実な願いを語っている。
 ペさんは2018年6月、李韓烈さんが通っていた延世大学と李韓烈記念事業会が共同主管して延世大学で開かれた李韓烈烈士第31回追悼祭で、「民主主義はただやって来たのではなく、人々が血と涙と汗にまみれて、一歩ずつやって来た。(烈士たちの)死は無駄にならず、歴史に長く残ると信じている」と述べている。

ホ・ホジュン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2022-01-09 10:48
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