三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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1000回目の水曜示威

2011年12月14日 | 個人史・地域史・世界史
 きょう(12月14日)、在韓国日本大使館前での水曜示威(第1000次日本軍‘慰安婦’問題解決のための水曜示威)に参加しました。
 あまり広くはない大使館前の道路と歩道は、参加者でいっぱいになりました。集会が終わるころは3000人をこしていたと思います。
 集会が始まってまもなく、「平和碑」が除幕されました。
 碑は、朝鮮服を着て手をひざのうえにそろえて座っている少女の像で、少女の左肩には小鳥がとまっていました。少女の影が碑の白色の台座に黒く映されており、その影は老人の姿となっていました。少女の像のそばには、少女が座っているのと同じ大きさの小さな椅子が置かれていました。
 この碑は、韓国挺身隊問題対策協議会が募金を集めて建立したものですが、日本政府は、韓国政府に対して、建立に「憂慮」を示していました。
 きょう、示威が始まったころ、大使館には「ヒノマル」は上げられていませんでしたが、なぜか、「平和碑」が除幕されてからまもなく上げられました。わたしの隣にいた女性の高校生もそれに気づいて指差して小さく「アー」と声をあげました。
 1992年1月8日に最初の水曜示威がおこなわれたときんは、まだ生まれていなかっただろう若い参加者が多かったのが印象的でした。
 夕刻7時ころ、再び碑の前に行ってみました。
 少女の足元にウールのスカーフがかけられていました。そのそばの空いた椅子の上には小さな花束が置かれていました。
 今朝、前日(12月13日)午前8時、「慰安婦」として中国湖北省や海南島につれていかれ、日本敗戦後、海南島から帰国したキムヨジさんが87歳で亡くなったことを知りました。
                                        佐藤正人
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