三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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国民国家日本の侵略犯罪 民衆虐殺 16

2013年12月29日 | 個人史・地域史・世界史
■日本政府・日本軍・日本企業が海南島で殺害した民衆の数と死者の名
 国民国家日本がアジア太平洋全域で殺害した民衆の数は、明らかにされていない。
 日本政府・日本軍・日本企業が海南島で殺害した民衆の数は、明らかにされておらす、犠牲者の名が明らかにされていない人も多い。
 陳宏「前事不忘 以史為鑑」(海南省政協文史資料委員会編『海南文史資料』 11〈『鉄蹄下的腥風血雨――日軍侵瓊暴行実録』上。1995年8月〉)には、
   「日本ファシストは20万人あまりに及ぶ海南抗日軍民を殺害した」、
   「過酷な徴用労役やファシズム戦争がもたらしたさまざまな災いによって、海南島全土で40万人
  以上に及ぶ民衆が非正常に死亡した。これは当時の海南社会の人口の5分の1にあたる」、
と書かれており、符和積「前事不忘 以史為鑑」(政協陵水黎族自治県委員会文史学習委員会編『陵水文史』 7〈『日軍侵陵暴行実録』、1995年2月〉)には、
   「海南島を侵略した日本軍は17・3万人あまりに及ぶ海南抗日軍民と無辜の平民を殺害した」、
   「日本軍の残酷な焼殺拉致と過酷な徴用労役によって、23・4万人以上に及ぶ民衆が非正常に
  死亡した(この中には国内の各地から強制連行されてきた数万人の死亡者は含まれていない)。
  これは当時の海南社会の人口の10分の1にあたる」、
と書かれている。
  卓冠亜「路多凍死骨――万寧一九四四年大飢饉惨况」(万寧県政協文史辧公室編『万寧文史』第五輯(『鉄蹄下的血泪仇(日軍侵万暴行史料専輯)』1995年7月〉)には、
   「日本軍の残酷な統治下で、万寧県で1944年に空前絶後の大飢饉が発生した。この年の冬
  から翌年の春までの半年たらずの間に、全県で41820人が餓死した。これは全県の人口の4分
  の1以上である」、
と書かれている。
 中共海南省委党史研究室編『海南英烈譜』〈海南出版社、2000年12月〉に抗日戦争時期に倒れた英烈7981人の名前と略歴が個別に記されている。
 だが、同じ時期に、英烈のほかに日本軍によって殺害された海南島民衆の名は、海南島の公的機関によっては、ほとんど明らかにされていない。
 わたしたちが、1998年からこれまでの15年間の海南島「現地調査」の過程で、名前を知ることができた日本軍に殺害された村民は、1500人ほどである。
 それは、秀田村・白石嶺村・昌文村・波鰲村・上嶺園村・上辺嶺村・大溝村・月塘村・旦場村・常樹村・聖眼村・光田村・浪炳村などの村民である。
 ことし11月2日に、聖眼村の温国興さんを通じて知ることのできた犠牲者の名は、聖眼村197人、文旭村20人、昌表村35人、美梅村43人、那南村32人の325人であった(このブログの12月2日の「国民国家日本の侵略犯罪 民衆虐殺 5」をみてください)。
 海南島で日本政府・日本軍・日本企業に殺された人のうち、名前がわかっているのは、1万人たらずである。
                                        佐藤正人
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