三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「八・一五」五一年後の「ポストコロニアリズム」 3

2013年12月15日 | 個人史・地域史・世界史
■三 「戦後」・「ポストコロニアリズム」という虚偽
 フランスの国籍をとったブルガリアうまれのJ・クリステヴァは、フランスのアメリカ・アフリカ・アジア侵略にたいする根本的な批判をしないで(できないで)いいかげんな発言をくりかえし、日本の侵略責任を問おうとしない日本のポストモダニスト、ポスト構造主義者たちに支持されてきた。その著述は、二〇年あまり前から日本でも翻訳書がだされているが、一九九四年に日本語訳がだされた『彼方をめざしてーーネーションとは何かーー』(せりか書房)では、J・クリステヴァは、「フランスという国の輝かしい伝統」を語り、アルジェリア、「インドシナ」、ギニア……を植民地支配し、反撃する住民を殺戮したフランスの「伝統」を、「輝かしい」といっている。
 ヨーロッパでもUSAでも日本でも、ポストモダニスト・ポスト構造主義者たちは、ヨーロッパ諸国やUSAや日本の近現代の侵略史をまともに総括しようとしないで、あれこれ発言をつづけていた。数年まえから、フランスやイギリスで「ポストコロニアリズム」ということばがつかわれはじめた。このことばは、日本にもさっそく輸入され、「八・一五」の五〇年後からつかう日本人インテリがでてきた。「ポストコロニアリズム」ということばは、しばしばカルチュラルスタディーズとむすびつき、現在の植民地侵略にたいする対決の姿勢をあいまいにしたままつかわれている。この用語の使用者は、直接的な植民地支配を過去のこととしている。
 「ポストコロニアリズム」ということばがフランスで流行しはじめてまもなく、テ・アオ・マオヒ(フランス植民地支配下のポリネシア)で、フランス政府は水素爆弾の爆破実験をくりかえした。テ・アオ・マオヒが「ポストコロニアリズム」の世界であったなら、その地と海でフランス政府は核実験をおこなうことができず、あえて実験を強行するなら、フランス本土でやらざるをえなかっただろう。
 ヨーロッパ大戦後「五〇年」という歴史の枠組みでは、ドイツ民衆は、ナチス時代の侵略とユダヤ人虐殺の責任をいくらかはとることができるかもしれないが、アフリカでの大虐殺の歴史的責任をとることができない。ドイツが、タンガニイカやナミビアを植民地にしていたとき、マジマジ烽起やヘレロ族の烽起のさい、ドイツ人はなにをやったか。サン族にたいしドイツ人はなにをやったか。アウシュヴィッツの本質は、すくなくとも一九世紀末にさかのぼらなければつかめない。
 フランスでもドイツでもイギリスでもコロニアリズムの問題は、現在の問題である。
 近現代史において、日本人に戦後(「敗戦後」であろうと「終戦後」であろうと)も植民地後もなかった。
 日本人にとって、「八・一五」は歴史的画期ではなかった。
 「八・一五」以後も、日本民衆のおおくは、侵略の歴史を終らせようとしておらず、天皇(制)を存続させ、抑圧民族として過去と現在の侵略によって日常生活を維持・向上させている。七三一部隊の研究は、破棄されず、「八・一五」以後の日本の医学の「進歩」のデータとされた。
 「八・一五」以後もそれまでの、政治・文化・思想……がひきつがれた。
 一九九五年に、韓国で、盧泰愚、全斗煥が逮捕され、一九七九~一九八〇年のクーデタ、民衆弾圧、収賄の責任追求が開始された。だが、日本では、あいかわらずヒロヒトのアジア民衆虐殺の責任追求はなされず、ヒロヒトが世界の平和を願っていたかのように宣伝するアキヒトは、「終戦後五〇年」の七月末~八月はじめに、長崎、広島、沖縄、東京の四か所に「慰霊」しにいき、八月八日に「国がためあまた逝きしを悼みつつ……」という「歌」を「日本遺族会」にわたしてアジア太平洋の各地に侵入しおおくの民衆を殺害した「皇軍」の戦争目的を「国がため」といってその遺族を激励した。

 酒井直樹は、一九九五年秋に発表した論文で、
   「一九四五年まで、日本政府は、朝鮮においてまた台湾において、その住民をどうにか
   「日本人」に仕立て上げようと努力してある程度の成功を収めていたのではないだろうか。
   敗戦後いろいろな形で否認されることになるにしても、台湾や沖縄、朝鮮などの居住者
   が、「日本人」として認知され自らをそう同定することに喜びを見い出さざるを得なくさ
   せる歴史的社会的条件が制作されつつあったのではないのか」
と書いている(「丸山真男と戦後日本」、『世界』一九九五年一一月号)。だが、このとき、酒井は、同時に、朝鮮でも台湾でも、「日本人」とされることを拒否した人びとがいた事実についても、酒井のいうような「歴史的社会的条件」の「制作」を阻止する民衆の運動・たたかいの歴史についても語ろうとしていない。酒井は、日本帝国主義者の皇民化策動の「ある程度の成功」なるものを、断定型をさけ、逃げ道を用意した文体で語るが、その策動の崩壊の「歴史的社会的条件」を分析しようとはしない。ここで酒井は、「日本政府」の「成功」の「歴史的社会的条件」を説明するために、「台湾や沖縄、朝鮮などの居住者」の心理をもちだしている。
 酒井はその論著で、そのような説明をくりかえしているが、そのうちとくに悪質なのは、次のようなものである。
   「「認知」の欲望を通じて植民地主義は支配するのだ。そして、いったんこの欲望が刻印
   されると、支配者に対する糾弾、批判、抗議の行為がすべて「求愛」の所作の意味合いを
   もち始めるのである。……自己の独立への欲望は「認めて欲しい」「憐れんで欲しい」と
   いう自己憐愍を伴う自己同一性への欲望にすぎなくなってしまう。たとえそれが暴力的で
   敵対的な形をとるとしても」(『死産される日本語・日本人』新曜社、一九九六年、二二八
   頁)。
 酒井は、「植民地支配者側」にたいする「被支配者側」の「欲望」なるものを想像し解釈して、このようなあくどい暴言をならべている。ここで酒井はまず、「「認知」の欲望を通じて植民地主義は支配するのだ」と断定する。「植民地主義は支配する」というが、「主義」が何をどのように支配するというのか。このような非論理的な、証明しようのない独断を前提として、次に酒井は、「支配者に対する糾弾、批判、抗議の行為がすべて「求愛」の……」というのである。酒井は、日本人侵略者にたいする被侵略者のたたかいを、日本人侵略者の立場にたって日本人侵略者の論理を説明するために被侵略者の心理をかれにつごうよく解釈している。
 酒井は、「 国体(ナシヨナリテイ)は脱構築されなければならない」と語り、あたかも日本ナショナリズムを克服しようとしているかのようであるが、じっさいは、日本ナショナリズムにとらえられ、国民国家日本の過去と現在の植民地支配・侵略の事実を認識しようとしないで、いいかげんな発言をくりかえしている。酒井は、「戦前の皇民化教育」を「帝国主義的(エステテイツク)温情主義」だといい、「天皇制は平等の原則の感傷的な形象化の制度である」などといっている。

 日本の植民地支配にたいするたたかいは、「八・一五」以前も以後も、さまざまなかたちですすめられている。
 一九四二年三月一二日、金周元は、京都の民家の塀に、
    「天皇陛下を殺す」、「日本人皆殺せ」、「朝鮮大正義」
と書きつけ、不敬罪で逮捕されたという(朴慶植編『在日朝鮮人関係資料集成』一巻、八五〇頁)。
 一九四五年六月三〇日の花岡烽起の五〇年後、一九九五年六月二八日、戦士とその遺族が、強制連行・強制労働にたいする損害賠償を要求して、鹿島建設を被告として、裁判提訴した(花岡第二烽起。一二月二〇日第一回公判)。 強制連行され北海道の強制労働の場から「逃亡」し、「八・一五」ののちなお一三年間「逃亡」しつづけた劉連仁氏が、今年三月二五日に、四万人の中国人強制連行にかんして日本国の責任を問い、日本国に二〇〇〇万円の賠償を要求する訴訟を提起した(七月一五日、第一回口頭弁論)。劉連仁氏はいま八二歳。
 一九九〇年代のはじめから、キ ムチョンミは、くりかえし、日本の侵略の時代がつづいている事実を証拠を示しつつくわしく分析し、侵略の構造のなかの「共生」ではなく、侵略の構造を破壊する共闘をよびかけている(「東アジアにおける反日・抗日闘争の世界史的脈絡」、『中国東北部における抗日朝鮮・中国民衆史序説』第一編、現代企画室、一九九二年。「侵略の時代をおわらせるために」、『水平運動史研究ーー民族差別批判ーー』序章、現代企画室、一九九四年。「東アジアにおけるインターナショナリズムの歴史」、「侵略の構造を破壊するために」、『故郷の世界史ーー解放のインターナショナリズムへーー』第一章、第三章、現代企画室、一九九六年)。
 「明治維新」以後、天皇制のもとに構築されてきた国民国家日本の侵略の構造を破壊する共闘をよびかけているキ ムチョンミの論述のわずかな部分をとりあげ、しかも誤解し、絓秀美は、
   「キ ムの『故郷の世界史』が重要なのは、それが、ナショナリズム=ナルシシズムの「脱
   構築」を、日本におけるポストコロニアリティの問題として、今ここで実践的に迫ってい
   るからなのだ」
と解説している(「反復されるクリステヴァ的転回」、『図書新聞』一九九六年六月八日)。
 「ナショナリズムの脱構築」をかたりつつ絓は、日本の現在の他地域・他国侵略を分析している『故郷の世界史』を、「ポストコロニアリティ」の枠内におしこめようとしている。
 藤岡信勝、和田春樹、高崎宗司らの問題は、現在の転向の問題であり、「八・一五」五〇年をすぎた現在の日本の思想・社会状況の反映である。かれらの転向・変質をもたらす土壌は、「ポストコロニアリズム」ということばがあるていど流行し、たとえば『死産される日本語・日本人』のような論著が日本人インテリに肯定的に「認知」される土壌と共通している。「ポストコロニアリズム」をかたる日本人は、「維新政府」が北海道と名づけたアイヌモシリが日本の植民地であるという歴史的事実を否定するデマゴーグであり、国民国家日本の現在の植民地支配・他地域・他国侵略を承認している。
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