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天皇陛下のお言葉 平成30年8月15日

2018-08-15 16:00:00 | 憲法改定

宮内庁

全国戦没者追悼式 平成30_2018年8月15日(水)(日本武道館)
 本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
 終戦以来既に73年,国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。
 戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ,ここに過去を顧み,深い反省とともに,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
Address by His Majesty the Emperor on the Occasion of the Memorial Ceremony for the War Dead (August 15, 2018)
On this Day to Commemorate the War Dead and Pray for Peace, my thoughts are with the numerous people who lost their precious lives in the last war and their bereaved families, as I attend this Memorial Ceremony for the War Dead with a deep and renewed sense of sorrow.
Seventy-three years have already passed since the end of the war, and our country today enjoys peace and prosperity, thanks to the ceaseless effort made by the people of Japan, but when I look back on the sufferings and tribulations of the past, I cannot help but be overcome with deep emotion.
Looking back on the long period of past-war peace, reflecting on our past and bearing in mind the feelings of deep remorse, I earnestly hope that the ravages of war will never be repeated. Together with all of our people, I now pay my heartfelt tribute to all those who lost their lives in the war, both on the battlefields and elsewhere, and pray for world peace and for the continuing development of our country.

戦後70年8月15日 天皇陛下のお言葉、この2015年以来ですが掲載させていただきました。

平成最後の山梨県下戦没者追悼式(2018.08.15 18:50 UTYニュース)
終戦から15日で73年です。 山梨県内でも戦没者の追悼式が行われました。 平成最後の終戦の日、戦争体験者が減少する中、どう後世に経験を継いで行くのか課題となっています。 甲府市岩窪町にある護国神社で行われた山梨県の戦没者追悼式には、遺族らおよそ130人が参列しました。 式では正午の時報に合わせて黙とうをささげ、戦争で亡くなったおよそ2万5000人の冥福を祈りました。 「戦争はお断り、こんな思いを自分もいやだが誰にもさせたくない」(夫が戦死した女性)。 「母親1人で兄弟3人を育て、特に食べ物は苦労した、もう80歳近くなるから子どもたちに(平和への)意志を継いでもらえたらと思う」(父親が戦死した男性)。 「北千島へ行く輸送船の上で終戦になった、我々の仲間はシベリアでだいぶ戦死した、尊い経験をつみ重ね、これからの平和な世の中になるよう一歩でも努力したい」(戦地へ向かう途中終戦の知らせを聞いた男性)。 終戦から73年。 戦争を知る人たちは高齢化し、年々減少しています。 県の追悼式と合わせて行っていた、満州開拓に赴き現地で亡くなった人たちの慰霊祭は、参加者の減少から今年を最後に取りやめ、護国神社が継承することになりました。 また県の遺族会の会員数はおよそ5500人と、この10年で3分の1にまで減少しています。 「孫などにあとを引き継いでもらいたいと思う、後継者に平和の尊さ、悲惨な戦争は2度と繰り返してはならないという思いを継承していかなければならない」(県遺族会久保川博芳理事長)。 平成最後の終戦の日。 戦争経験をいかに後世につなぐのか、大きな課題への取り組みが今問われています。

平成時代最後の8月15日

2018-08-14 23:13:32 | 政治・社会

毎年この日に合わせて山梨縣護國神社を参拝しています。画像は平成24_2012年8月15日に参詣したときに撮った参道です。8月15日に限らず甲府市北部方面に出かけた時、時間があれば立ち寄ってお参りします。

平成24年8月15日の山梨縣護國神社

山梨縣護國神社の参道脇にある「父の像」を知って以来、この像にも敬礼してから帰るようになりました。「後に続くものを信ず」と語りかけているような気もするのです。

父の像

今年は是非とも拝聴したい講演会がありますので、不規則な私の生活時間では15日の参詣ができるか分かりません。
正午の 全国戦没者追悼式 中継で陛下のお言葉拝聴だけは必ず。

原発と憲法9条 小出裕章さんを迎えての8.15集会
日時:2018年8月15日(水) 13:30~
会場:山梨県男女共同参画推進センター 甲府市朝気1-2-2
講師:小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
演題:原発と憲法9条
   質疑・意見交換
主催:NPO法人山梨平和ミュージアム
参加費・800円

平成30年度中央東線高速化促進広域期成同盟会定期総会@アピオ 8月20日

2018-08-14 20:50:35 | 街づくり
日時 2018年8月20日(月) 13:30~14:20
会場 アピオ甲府 1階「寿の間(山梨県昭和町西条3600)
内容
 1 挨拶
 2 来賓祝辞
 3 議事
  ・平成29年度事業報告・収支決算報告
  ・平成30年度事業計画(案)・収支予算(案)
  ・役員の改選
  4 その他
  ・総会終了後、午後2時30分頃から講演会が開催されます。
  ・事前の申込不要で、どなたでも参加できます。

【講演会】 14:30~
  講師:山梨大学大学院 教授  佐々木 邦明 氏
  演題:「中央東線の高速化を進めるためのエビデンス」

主催 中央東線高速化促進広域期成同盟会

リニア中央新幹線事業に関する情報を調べていて、長野県ホーム - 県政情報・統計 - 広報・県民参加 - 発表資料(プレスリリース)(2018年8月14日 長野県企画振興部交通政策課鉄道企画係)から知りました。
山梨県では、昨2017年の開催広報が 中央東線高速化促進広域期成同盟会 に記載されています、山梨県リニア交通局交通政策課が担当されているようなので、そのページか 平成30年度の新着情報 で広報記事・・・


リニアは電気を使わず浮上すると説明した?山梨リニア見学館

2018-08-12 23:38:25 | リニア中央新幹線

たまたまネット巡回中に気が付いたので画像でキャプチャーし、とりあえずリニア情報ブログでメモしておきましたが、山梨県政に関わるので、こちらにも載せておきます。

山梨県立リニア見学センター

“八月や六日九日十五日” これに 十二日 を付け加えたいと私は思っていますが記事に書くだけの知識はありません。先年299号線を通った時に場所は知りましたので御巣鷹山の方角に黙祷したのみでした。
33年前(1985年)、この事故があった時、オジサンに言われて学校で使っていた日本地図を見せながら一緒に群馬県を探しても判らなかったのを思い出します。
私が山梨県に来てからですが、どこかでこの事故機が大月市の上空を通ったと記された記事を読んだ事から思い出が甦り、あらためて地図を確認し群馬県上野村の場所を知ったのです、なんだ299号線沿いではないかと・・・

現在リンク集に追加して時々開いているのは・・・・
「日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ」公式ブログ 『1985年に起きた日航123便墜落事故を、当時日本航空スチュワーデスとして勤務していた著者・青山透子が、事故の真相を追い求めて綴ったノンフィクション』 です。

◇ 水島朝穂先生が8月13日付け「直言」 「遺物」から迫る日航123便事件——隠蔽、捏造、改ざんの連鎖 で青山透子さんが2018年7月末に刊行された図書についてお書きになりました。【追記 2018.08.13】

戦後の日本史には、ニュースなどで知っただけで忘れてしまったような事でも、魑魅魍魎のうごめく不可解な事が沢山あるものだと、私は感じるようになりました。
報道記事を読んで終りでは無く、その元になった資料、データなどを確認して「資料、データに語らせる」というスタンスで自分の記事を書くようになってきたのです。現実・現場を知らない私に出来るのはそんなことしか無いから・・


公明党山口代表の翁長知事ご逝去についての発言内容に唖然とした

2018-08-11 00:41:19 | 沖縄

公明、山口那津男代表、辺野古移設「翁長知事も異を唱えられないと思う」(産経新聞 2018.8.8 23:41)が掲載した『公明党の山口那津男代表は8日夜、沖縄県の翁長雄志知事の死去を受け、コメントを発表した。全文は以下の通り。』が元記事である。
産経新聞でこの記事が出ている事を10日の夜になってネット巡回中に知り、公明党本部が掲載している元記事を確認しようとアクセスしてみた。しかし、久しぶりのアクセスでサイト構成にも不慣れなので確認できなかった。
ふと思い付いて公明党ホームページにリンクされている Facebook と Twitter も確認したら、公明党広報 Twitter に下図のような記事が出ていた。

公明党広報 Twitter

公明党広報が自分達の代表者発言を伝えるのに産経新聞記事を転載している事が何を示すかは判らないが、公明党代表の公式発言に相違ないと判断して 公明党広報の当該記事 から引用しておく。

(米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設について)
 移設反対運動のリーダーを失い反対運動を支えてきた人たちの運動が今後どうなるのかにもよります。政府としては長い間、沖縄県民の声を丁寧にくみ取りながら、普天間基地の危険を取り除く選択肢は辺野古移設であるとの合意を作り、進めてきたつもりです。ほかに現実的な選択肢がみられない以上、これからも丁寧に県民の理解を求めながら危険を取り除くための努力をしていかなければならないと思います。総じて、沖縄県の皆さまの基地負担を軽くしていくことが、政府の責任であると思っています。翁長知事も異は唱えられないと思っています。

公明党に所属する優れた議員さんがおられる事を私は知っているが、先年の安保法制の不法成立事件以来、公明党そのものは全く見放している。

公明党広報 Twitter に投じられたコメントは多数あるが、その中から一つの記事を知った・・・
「翁長知事が死去 生前に語っていた沖縄への想い」(2018/8/8 BuzzFeed - バズフィードジャパンの元記事にリンク・・・Yahoo!転載は消滅)
4ページに分割された記事の最終ページ「翁長知事が目指していたもの」を読みながら涙がこぼれそうになった・・・心からご冥福をお祈りします。

【追記】バズフィードジャパン記事に書かれていたこと・・・【翁長知事は2017年末、BuzzFeed Newsの単独取材に応じていた。以下、インタビューで語ったことを改めて掲載する。・・・と記されている記事】
 献花に向かう安倍晋三首相と、その様子を見つめる翁長雄志知事をうつした写真が話題を呼んだ。その時、翁長知事は何を考えていたのか。
 「じっと安倍さんのことを見ながら、沖縄戦で亡くなった人たちのこと、将来の沖縄の子や孫のことを考えていたんですよ。このままではいかんな、と。私からすると、安倍さんを見る目は厳しいものにならざるを得ないのです」
・・・私はこの写真の事は知らなかったので、ネットを調べて元情報が確認できた。
写真東京新聞写真部_Twitter_2017年11月24日『本紙の「沖縄の視線」(再掲)が 東京写真記者協会 の本年度のグランプリ(最優秀賞)に選ばれました。献花に向かう安倍首相を見る沖縄県の 翁長知事 の厳しい目が印象的です。』
さもありなんと思う。
写真◇ 2018年8月8日記事にもリンクしておく-東京新聞写真部_Twitter 『沖縄県の 翁長雄志知事 が8日、亡くなられました。ご冥福をお祈りします。6月23日の沖縄全戦没者追悼式で、安倍首相を見つめる翁長雄志知事です。』
翁長雄志_ Wikipedia(おなが たけし、1950年10月2日 - 2018年8月8日)
 

JR東海が山梨県版の環境影響評価中間報告書を提出し県民意見を募集中

2018-08-07 23:08:15 | 街づくり
翁長雄志知事が死去 67歳(琉球新報 2018年8月8日 19:41)
【号外】沖縄県の翁長雄志知事が死去 最後まで辺野古新基地反対貫く 67歳、膵臓がん(沖縄タイムス 2018年8月8日 20:18)
2018年8月8日午後6時43分、入院先の浦添総合病院で逝去されたとの号外です。心からご冥福をお祈りいたします。

JR東海の広報によると中間報告書の送付先は、山梨県知事、甲府市長、都留市長、大月市長、南アルプス市長、笛吹市長、上野原市長、中央市長、早川町長、富士川町長、昭和町長 となっていますので、以下のように縦覧情報を確認しました。

JR東海から中間報告の送付を受けた自治体の広報は8月1日付けの記事になっています。全市町が確認できたので本日のブログ記事にしました。
以下はいずれも 『「中央新幹線(東京都・名古屋市間)環境影響評価書【山梨県】(平成26年8月)」に基づく中間報告書(その1)』の縦覧について あるいは同じ意味の記事タイトルになっています。
縦覧期間は2018年8月1日~31日、意見書の提出期限は9月14日、委細は各自治体ページに記載されています。
◇ 山梨県庁 中央新幹線(東京都・名古屋市間)の中間報告書(更新日:2018年8月7日)
甲府市
都留市
大月市
南アルプス市
笛吹市
上野原市
中央市(トップページからリンク) | 同文で別ページがあります
早川町
富士川町
昭和町

2018年07月31日にJR東海から山梨県版中間報告が公開されました。
「「中央新幹線(東京都・名古屋市間)環境影響評価書【山梨県】(平成26年8月)」に基づく中間報告書(その1)」の送付及び縦覧について(PDFファイル)
◇ 山梨県環境影響評価条例第38条第1項に基づく中間報告書
中間報告書(その1) | 本編 9.7MB(PDFファイル) | 別冊(発生土置き場における事後調査) 42.7MB(PDFファイル) | 資料編 36.0MB(PDFファイル)
これらの印刷版が各地で縦覧されているのです。PDFファイルをダウンロードしてご覧ください。
中間報告の基本にあるのは 環境影響評価書【山梨県】(平成26_2014年8月)、これは環境影響評価書(2014年4月)に国土交通大臣からの意見を取り入れた補正版です。

以下の画像はJR東海報告書の資料編から拾い出したもので、少しずつご紹介するつもりでしたが、急な用事が発生してこの件に使う時間が無くなりましたので2点で終りにします。いずれ自分のサイトで整理する予定です。
(小さな画像をクリックすると別ページに大きなサイズで表示されます、このブログではこの方法を採りました)

現況
完成後のイメージ

山梨県富士川町、北西方向を見て南アルプス山系/主要な眺望点を天神中條天満宮とされた想定画像

【前記事に続き、想定画像を引用-その2】

編注・この想定画像で防音防災フードと防音壁の区分については山梨県庁による地域指定が確定するまで未決定です。
現況
完成後のイメージ

甲府市上曽根町 画面左遠方は坊ヶ峰のアンテナ群/日常的な視点場を文珠稲荷塚古墳(南東向き)とされた想定画像

【資料編PDFファイルから「リニアで変わるやまなしの姿」想定画像を引用してご紹介-その1】

編注・ 坊ヶ峰のアンテナとリニア軌道の位置・高さと、地域世帯のテレビ受信の関係が気になりますが、既にCATVによる視聴なら関係無いでしょう。

8月15日に小出裕章さん講演会@甲府市の山梨平和ミュージアム

2018-08-07 12:00:14 | 政治・社会

8月15日(水) 小出裕章さんを迎えての8.15集会(山梨平和ミュージアム・ブログ)

原発と憲法9条 小出裕章さんを迎えての8.15集会
日時:2018年8月15日(水) 13:30~
会場:山梨県男女共同参画推進センター 甲府市朝気1-2-2
講師:小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
演題:原発と憲法9条
   質疑・意見交換
主催:NPO法人山梨平和ミュージアム
参加費・800円

2012年1月8日、山梨県甲府市・コラニー文化ホール(山梨県立)で開催された小出裕章さんの講演会をご記憶の方も多いと存じます。
Facebook〜山梨と福島はつながっている〜 子どもの未来のために知ってもらいたいこと【小出裕章氏講演会】
YouTubeの記録動画 が視聴できます。
参加された方の感想記のブログ記事が今も拝読できます。
小出裕章教授の講演会、甲府。( 八ヶ岳Yesファームblog)
小出裕章助教授講演会@甲府(天下泰平)

小出裕章さんの講演会@甲府市、原発のウソ、私のブログ記事ですが、以下のような事を書いていました・・・・
 「子どもの未来のために知っておくべきこと」が語られたと思います。
 「原発のウソ」は原発震災に関連して私が読む初めての本・・・
 一般県民の思いを地域行政や議員がどこまで理解しているか、そこに絞って見ていきたいと思っています。
 出してくる情報のいい加減さは行政の能力を計る尺度でもあり、それを信じてしまう国民のレベルでもあると思う
 2000人の聴衆で満席だった今回の講演会、さすがに風林火山で鍛えられた山梨県民力は凄いと思いました。


リニア、山梨県版の環境影響評価中間報告書への意見募集は2018年9月14日迄

2018-08-06 01:20:22 | 街づくり

このページは 2018-08-06 に公開したものを縦覧期間最終日の 8月31日 が過ぎた後、関係市町の広報ページを再確認して 9月2日更新、さらに意見提出締切日前日の 9月13日に更新しました。9月14日に当初の日付に戻して保存します。
今後の経過は リニア情報サイト で記録していく予定です。

文化放送の大竹まこと ゴールデンラジオ!「大竹紳士交遊録」 の 【9月11日 武田砂鉄(フリーライター)】 はリニア中央新幹線事業のことが語られています。13分9秒の音声だけの番組-ポッドキャスト(Podcast)配信-ですが、始まって1分30秒頃から番組が終るまで話が続きます。
画像の無い番組ですがリニア事業を理解されていれば大井川とか残土処理とかトンネルとかの話を聞きながら現地情報が思い浮かぶと思います。放送5分過ぎには実験線の水涸れのことまで話されています。

武田砂鉄さんのホームページ と Twitter があります。

私も何処かで読んだ記憶があるのですが、番組の最後でJR関係者の話としてリニア新幹線やろうと言うのは事務系だけで技術系の人は疑問をもっていると武田さんが語っておられました。
【ゴールデンラジオのページから9月11日番組が確認できなくても MP3 データファイルが活きていれば、 直接読み出しで聴けるかもしれません。この音声再生にはお手元のパソコンで MP3 再生として指定されているツールが開くはずです。】

◇ 山梨県議会・平成30年9月定例会会期並びに議事予定(会期17日間)(案) 9月19日(水)開会、9月25日(火)~28日(金)が代表質問・一般質問日です。事前に各議員の質問項目も公開されるので今回の案件について質問があるかどうか確認できます。来年は統一地方選の年です。
知事の部屋 では今回の中間報告に対する知事意見が送付されたことが記載されると思います。知事記者会見にも注目したいと思います。この件で新聞社側からはどんな質問があるか・・・

岐阜新聞にこんな記事がありました・・・【美乃坂本駅】リニア駅予定地のスナック 迫る移転 感謝と決意(2018年09月01日)
ふと思い付いて久しぶりに岐阜県庁サイトを確認したら、驚くべきページが設定されていました
リニア中央新幹線工事情報、これこそ私がやろうと思っていたことですが、先を越されたと思うよりも、まさに地域行政のなすべき事をきちんとやっていて 「情報を随時お伝えします」に岐阜県政を見直しました。これはこれとして私がリニア情報サイトで整理しているそれぞれの工事情報は継続します、時間が無くて更新が遅れていますが・・・

この記事にしたJR東海の中間報告に関する県民からの意見書は直接JR東海に届ける事になっています。しかしこの中間報告は 山梨県環境影響評価条例【第三十八条】と 山梨県環境影響評価条例施行規則【(中間報告書の作成) 第五十七条 ~ (中間報告書についての知事の意見の提出期間) 第六十二条】 によるものです。

私は全くドシロウトなので県条例・規則の運用のことなど理解することはできませんが、今回の意見書提出方法を知った時の最大の疑問として、山梨県条例に基づく地域の人々の意見が県政には届かず、知事意見は県民各位の思いとは別に事業者に向けて発せられるシステムになっているように思えたことです。

やまなし創造提案便(県政へのご意見・ご提案) という制度があります。
県民各位におかれましては、JR東海に届けると同時に「やまなし創造提案便」にも投稿なさる事がよろしいかと存じます。JR東海に意見を言うつもりはないが、この中間報告から疑問に感じたことは県政に知らせたいとお考えの方々も、この「やまなし創造提案便」に投稿なさるのも良いかと思えます。
主権者である県民の皆様のご意見は、このルートを通じて知事に届き、知事意見にも反映されるかも知れません。
この記事は 2018-09-02 08:30 の日付で公開していたものです。14日締切が迫りましたのでもう一度投稿日更新しました。念の為確認したら下記リストの富士川町はページが消えていました。私は意見書は提出しません。山梨県提案便にも投稿する予定は全くありません。自分のサイトに記録していくのみです。

このブログ 2017年9月9日記事で 「北陸新幹線 トンネル工事で崩落、あわら で あわや」 を書きました。この記事に読者の方からコメントを戴いたのですが、整備新幹線とリニア中央新幹線の比較として地元負担と地域行政の視点からのご意見で、未熟な私にはとても参考になりました(投稿ハンドルは広床さん)。

私はどちらかというと現行の法制度などを度外視して、自分が組み立てるならこのようなシステムになるという視点で考える事が多いのです。そして現実に突き当たってから調べ始めたら「何だこれは?」という現行システムへの疑問にまで及んでしまいます。自分にはどうしようもありませんから、とりあえずは現状に準じるだけで終ります。
これはWebサイト作業で何度も体験しているので Microsoft Windows® は使い続けて良いだろうかという迷いにも至っていますが、それはまた別な話・・・

JR東海が山梨県向け環境影響評価中間報告書の縦覧と意見募集 このページは 2018-08-06 に公開したものですが、8月31日までの縦覧期間が終了したので自治体記事を確認しました。その状況があまりにも情けないので9月2日付けとして再掲しました。
住民目線で仕事をするつもりなら、少なくとも意見書提出期限の9月14日が過ぎるまではページは公開しておくべきです。自分達の仕事は縦覧期間で終りだと考えた自治体に「リニアで変わるやまなしの姿」を語る資格はありません。

年度上半期最後の9月に入って自分の仕事を片付けねばなりませんのでリニア中央新幹線事業問題のフォローも出来ずにいますが、今回の中間報告は山梨県条例に基づくものです。それで情報確認をしてみたら驚きましたので、リニア情報ブログやWebサイトとは別にこちらのブログにも書いておく事にしました。やまなし、ホントに大丈夫ですか、情報の扱いをおろそかにしているから、色々な事がおかしくなるのではありませんか。

JR東海から中間報告の送付を受けた自治体の広報は8月1日付けの記事になっています。
以下はいずれも 『「中央新幹線(東京都・名古屋市間)環境影響評価書【山梨県】(平成26年8月)」に基づく中間報告書(その1)』の縦覧について あるいは同じ意味の記事タイトルになっています。
縦覧期間は2018年8月1日~31日、意見書の提出期限は9月14日、委細は各自治体ページに記載されています。【× 印は9月2日に確認し広報ページが削除されている自治体です】
× 甲府市
都留市 『JR東海ホームページ(http://jr-central.co.jp/)でも、中間報告書を公開しています。』 これを記した職員の方はご自身では当該ページに行き着けなかったに違いないと思えます。
大月市 縦覧場所は大月市役所ですが来庁できない市民にJR東海の公開ページを知らせる記載はありません。このページが9月2日に残っていたのは職員の更新(削除)忘れだろうと思います。
× 南アルプス市
× 笛吹市
× 上野原市
× 中央市(トップページからリンク) | 同文で別ページがあります
早川町 このページは早川町でのリニア新幹線事業の状況をまとめているページです。今回の中間報告書ネット公開ページに直接リンクせず、JR東海ホームページ(トップページ)へのリンクなのは町職員には該当するページが分からなかったからでしょう。他の情報から分かるようにJR東海から送付されたPDFファイルを町サイトにアップロードしてあるのは、JR東海のネット公開資料は見たことが無いからだと私は思っています。

富士川町 今回の中間報告についてJR東海ページにリンクしていますが、これは外れです。評価書補正版のページまでは行きつけても、今回の中間報告について記載はありません。JR東海サイトの構造を理解している人以外はここで諦めてしまうでしょう。富士川町職員ですら中間報告のJR東海公開ページは見ていないと思えます。
昭和町  意見書送付先を確認するなら最適です 昭和町ページの最下部で適切なリンクがされています。唯一昭和町だけでした。JR東海の公開資料は全てがPDFファイルなので、通常ページへのリンクが最適なのです。そこからPDFファイルを開くかダウンロードして読むのは読者それぞれの仕事です。
ちなみに、8月7日に山梨県庁がこの中間報告を項目毎に分けたPDFファイルとして一覧ページを公開した後、その県庁ページ 中央新幹線(東京都・名古屋市間)の中間報告書 にリンクした自治体はありませんでした。県庁から関係自治体に連絡が無かったからとも思えますが、情報共有精神が欠如した山梨県公務員の世界こそが山梨県衰亡をもたらしているガンだと常々思っています。

ちなみに、この中間報告書はリニア事業工事としての南アルプストンネル山梨工区の起工から3年分の事業の進捗状況などが整理されている資料でもあると思えます(走り読みですが)。本来なら地域行政がさまざまな事業進捗状況を随時広報して、人々の希望を育てていくものだと思いますが、山梨県内でその気合いは全く感じられません。私の時間が出来たら中間報告書その他の様々な情報からリニア中央新幹線事業がどのように進行しているかを整理していく予定です。


2018年長崎平和宣言骨子が報じられていました

2018-08-05 22:04:55 | 安保法制
◇ 長崎市【主題ホームページ】 平和・原爆
令和元年長崎平和宣言(宣言文)(長崎市 2019年8月9日)
【2019-08-09 更新追記】

長崎平和宣言骨子 核廃絶、責任ある行動を 各国に核禁参加呼び掛け(共同通信 2018.7.31 16:00)は長崎新聞記事を共同通信が全国向け発信しているものです。以下に要点をメモし、画像を引用しておきます。

長崎平和宣言骨子 長崎市の田上富久市長は(2018年7月)30日、長崎原爆の日(8月9日)の平和祈念式典で読み上げる長崎平和宣言の骨子を発表した。

平和宣言は被爆者や有識者らによる起草委員会が5月から3回会合を重ね、内容を練った。田上市長が9日の式典で読み上げ、10カ国語の翻訳版も市ホームページに掲載、世界へ発信する。

市役所で記者会見した田上市長は「核廃絶は世界が目指すことの原点で、最終ゴールだということを改めて思い起こしてほしい」と今年の力点を説明した。

日本国憲法に関しては・・・9条改正を巡って平和宣言の起草委員会で9条堅持を訴えるべきとの指摘が相次いだが、田上市長は「まずは国民的議論がなされるべき」と述べ、改憲の動きに触れないことを明らかにした。
2018年7月30日 市長記者会見(臨時) | 記者会見_YouTube動画
被爆73周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(長崎市 2018年8月9日)
平成30_2018年長崎平和宣言(宣言文)(長崎市 2018年8月17日)【サイト更新でリンク切れました 2019-08-09 確認】
長崎平和宣言

 73 年前の今日、8 月 9 日午前 11 時 2 分。真夏の空にさく裂した一発の原子爆弾により、長崎の街は無残な姿に変わり果てました。人も動物も草も木も、生きとし生けるものすべてが焼き尽くされ、廃墟と化した街にはおびただしい数の死体が散乱し、川には水を求めて力尽きたたくさんの死体が浮き沈みしながら河口にまで達しました。15 万人が死傷し、なんとか生き延びた人々も心と体に深い傷を負い、今も放射線の後障害に苦しみ続けています。
 原爆は、人間が人間らしく生きる尊厳を容赦なく奪い去る残酷な兵器なのです。

 1946 年、創設されたばかりの国際連合は、核兵器など大量破壊兵器の廃絶を国連総会決議第1号としました。同じ年に公布された日本国憲法は、平和主義を揺るぎない柱の一つに据えました。広島・長崎が体験した原爆の惨禍とそれをもたらした戦争を、二度と繰り返さないという強い決意を示し、その実現を未来に託したのです。
 昨年、この決意を実現しようと訴え続けた国々と被爆者をはじめとする多くの人々の努力が実り、国連で核兵器禁止条約が採択されました。そして、条約の採択に大きな貢献をした核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。この二つの出来事は、地球上の多くの人々が、核兵器のない世界の実現を求め続けている証です。 しかし、第二次世界大戦終結から 73 年がたった今も、世界には 14,450 発の核弾頭が存在しています。しかも、核兵器は必要だと平然と主張し、核兵器を使って軍事力を強化しようとする動きが再び強まっていることに、被爆地は強い懸念を持っています。核兵器を持つ国々と核の傘に依存している国々のリーダーに訴えます。国連総会決議第 1 号で核兵器の廃絶を目標とした決意を忘れないでください。そして 50 年前に核不拡散条 約(NPT)で交わした「核軍縮に誠実に取り組む」という世界との約束を果たしてください。人類がもう一度被爆者を生む過ちを犯してしまう前に、核兵器に頼らない安全保障政策に転換することを強く求めます。
 そして世界の皆さん、核兵器禁止条約が一日も早く発効するよう、自分の国の政府と国会に条約の署名と批准を求めてください。
 日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない立場をとっています。それに対して今、 300 を超える地方議会が条約の署名と批准を求める声を上げています。日本政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求めます。
 今、朝鮮半島では非核化と平和に向けた新しい動きが生まれつつあります。南北首脳による「板門店宣言」や初めての米朝首脳会談を起点として、粘り強い外交によって、後戻りすることのない非核化が実現することを、被爆地は大きな期待を持って見守っています。日本政府には、この絶好の機会を生かし、日本と朝鮮半島全体を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の実現に向けた努力を求めます。

 長崎の核兵器廃絶運動を長年牽引してきた二人の被爆者が、昨年、相次いで亡くなりました。その一人の土山秀夫さんは、核兵器に頼ろうとする国々のリーダーに対し、こう述べています。「あなた方が核兵器を所有し、またこれから保有しようとすることは、何の自慢にもならない。それどころか恥ずべき人道に対する犯罪の加担者となりかねないことを知るべきである」。もう一人の被爆者、谷口稜曄さんはこう述べました。「核兵器と人類は共存できないのです。こんな苦しみは、もう私たちだけでたくさんです。人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません」。
 二人は、戦争や被爆の体験がない人たちが道を間違えてしまうことを強く心配していました。二人がいなくなった今、改めて「戦争をしない」という日本国憲法に込められた思いを次世代に引き継がなければならないと思います。

 平和な世界の実現に向けて、私たち一人ひとりに出来ることはたくさんあります。
 被爆地を訪れ、核兵器の怖さと歴史を知ることはその一つです。自分のまちの戦争体験を聴くことも大切なことです。体験は共有できなくても、平和への思いは共有できます。
 長崎で生まれた核兵器廃絶一万人署名活動は、高校生たちの発案で始まりました。若い世代の発想と行動力は新しい活動を生み出す力を持っています。
 折り鶴を折って被爆地に送り続けている人もいます。文化や風習の異なる国の人たちと交流することで、相互理解を深めることも平和につながります。自分の好きな音楽やスポーツを通して平和への思いを表現することもできます。市民社会こそ平和を生む基盤です。
 「戦争の文化」ではなく「平和の文化」を、市民社会の力で世界中に広げていきましょう。

 東日本大震災の原発事故から7年が経過した今も、放射線の影響は福島の皆さんを苦しめ続けています。長崎は、復興に向け努力されている福島の皆さんを引き続き応援していきます。
 被爆者の平均年齢は 82 歳を超えました。日本政府には、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、今も被爆者と認定されていない「被爆体験者」の一日も早い救済を求めます。
 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界と恒久平和の実現のため、世界の皆さんとともに力を尽くし続けることをここに宣言します。

 2018 年(平成 30 年) 8 月 9 日
長崎市長   田上 富久  

広島市 は7月豪雨災害の復旧で大変な状況のなかで8月6日の平和記念式典です。「原爆・平和」 のカテゴリーがあります。
◇ 中國新聞に 「原爆の日」特集 ページがあります。

「八月や六日九日十五日」、先日記事を書きながら思い出してメモしていましたが、月遅れのお盆が終るまで、仕事の手は抜けないまでも歴史から学び来るべき時を考える心は忘れない日々にしたいと思っています。


2018小江戸甲府の夏祭り@舞鶴城公園 8月11日開催

2018-08-04 17:05:27 | 開府500年
2018 小江戸甲府の夏祭り
 日時・2018年8月11日(土・祝日) 11:00~21:00
 会場・甲府市舞鶴城公園、山梨県庁噴水広場

甲府市は、2019年に「こうふ開府500年」、2021年には武田信玄公生誕500年という節目を迎えます。 甲府500年の歴史の中で、かつて江戸から学者や文化人、歌舞伎役者が盛んに往来し、その賑わいと文化の成熟性から「小江戸」と呼ばれるほど、ひときわ輝きを見せた時代がありました。

小江戸甲府の夏祭りは、当時の賑わいとともにあった「甲府城(現・舞鶴城公園)」を舞台に、城下町の雰囲気を楽しむお祭りとして開催されます。
無料の臨時駐車場は、舞鶴小学校、富士川小学校跡地、地図外の西になりますが甲府市役所西庁舎(旧穴切小学校)が開放されます。10:00~22:00
◇ サブ会場の山梨県庁噴水広場では、大型ウォータースライダー&子ども縁日 開催とのことです。
PRイベント 8月10日(金) 15時~19時 甲府駅南口駅前広場

案内図・2018小江戸甲府の夏祭り

多彩なイベントの詳細情報を甲府市公式サイトからご覧ください・・・画像をクリック
2018小江戸甲府の夏祭り
今の武田神社がある土地に躑躅ヶ崎舘(つつじがさき やかた)が武田信玄の父信虎によって築かれたのが永正16年(1519年)、それから数えて500年です。甲府とは甲斐府中の略称。

武田屋形の大手口は武田神社の東でしたので「甲府市大手」という住所で残っています。周辺には武田二十四将の屋敷跡が点在しています。甲府市公式サイトで 信玄公のまち 古府を歩く|武田二十四将の屋敷跡 を参照してください。
この地域では甲府市が「武田氏館跡整備事業」を行なってきました。私は現況を未確認ですので確認したらホームページを整理する予定です。

JR中央線北側の地域には武田家に縁ある寺院も多いので 府中五山(甲府五山)と武田史跡 をご覧ください。

JR甲府駅や山梨県庁の敷地は明治維新後に破壊された甲府城の跡地です。住所の町名「甲府市丸の内」として名残があります。地中には甲府城遺跡が残っているようです。
山梨県庁としては遺跡調査はしますが、そのまま保存する施策はとらずに公共事業を優先しているようです。
山梨県防災新館建設中に発掘された石垣の保存展示と甲府駅北口広場で発掘した石垣
石垣遺構 石垣遺構

江戸時代の街の繁栄は甲府城の南側地域になります。その名残は 甲府市道路愛称名 として工町、魚町、桶屋町などから判ります。
甲府市岡島百貨店の南側を通る国道411号(城東通り)で身延線の金手(かなんて)駅南側やその東方向で善光寺駅南側辺りの道路クランクは甲府城の防衛構造を示します。直角曲がり角は突撃部隊の速度を落します。
これらの事からも甲府市は武田時代と徳川天領時代の二重構造を残しているので市街地そのものが観光地なのだと私は考えています。それだけに、徳川時代から続いた街が失われてしまった甲府空襲のような事態を二度とまねいてはならないと考えています。