巡回先のブログで 「稲田元防衛相、杉田議員発言の根は、全て安倍氏の思想背景にある。」(かっちの言い分 2018/07/30)を読んで毎日新聞を確認してみました。画像で記録しておきます。
「杉田水脈 を検索して人生観の多様性に気付く」、とメモした「杉田水脈」の件について 「自民党・杉田水脈議員のLGBT差別発言への弁護を試みる自民党系の地方議員の例」(村野瀬玲奈の秘書課広報室 2018/07/30)に関係して 「杉田バッシングをする前に、先ずは全文を読め」(私的憂国の書 2018/07/29)が全文紹介した 『杉田水脈 「LGBT」支援の度が過ぎる(新潮45 8月号)』も読みました。
杉田氏が論文の最後に書いている・・・『「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。』
私は杉田氏自身の問題を直感しました、杉田氏の言う 「常識」や「普通であること」 とは 彼女自身がそう考えているだけ であって、それは全ての人々に普遍的ではない、それに気付かず自分自身の考え方が万人が共有する不変の真理であるかの如く論じるところから全ての問題が生じるのです。多くの行政・議員の論理展開にも似たようなものがあり、杉田水脈氏も情報弱者の一人に過ぎない。
国民を情報弱者の位置に留めておくことで行政は思い通りの計画を進めることができる、マスメディアを手中に収めることは政治・行政を我がものとする基本でしたが、今はネットがある。私は政治・行政によるネット規制を最も警戒しながら1995年以後を過ごしてきました。
・・・と書くような私自身の「常識」が「世間の非常識」なのだと知ることはこれまで何度も経験しているので、こんなコメントも世間の非常識かも知れないと思いながら記録しておきます。【2018-07-31 16:00 追記】
2016年に党の考え方が公にされていたことを杉田水脈氏は知らなかったのか、知っていても「自身の常識」という信念に基づいて述べたのかを自由民主党が明確にする必要がある。『「配慮を欠く表現がある」として杉田氏を指導』すれば終る問題では無い。
政党構成員それぞれの「個人的意見」は多様であっても当然だが、政党としての基本ベクトルとの一致は必要なはずだ。ベクトルが異なるのが明確なら構成員からは外すしか無い。
構成員は当選するために政党の看板が必要で、政党は彼等のベクトルに関係無く多数派を維持するために抱え込んでいる、その政権政党は官僚と一体化して官僚が構築する施策を自分達の政策だと銘打って進めるだけ、国政から地方行政まで全て同じシステム、結局は公僕による国民の支配、そんな実相が見えている。
そういう官僚主権に甘んじる議員を選出してきたのは国民だということ、それに気付き、どうすべきかを考えたい。
◇ 自民党の幹事長が杉田発言を「この程度」という認識に基本的人権の重大欠如を見る(かっちの言い分 2018/08/02)
・・・今度は和歌山県か、次から次へのバカモンの正体とそれらを国政に送り込む地域が明らかになる日本国。