加古川花火大会
明治時代、加古川はしばしば水害をおこし、その度に河川改修の要求が高まりました。
明治43年は、全国的に大水害にみまわれ、多くの死者をだしました。
国は、国の直轄事業として、すぐにでも工事を始めなければならない河川は全国に65あるとしました。
そして、これらの河川のうち20を選び「第一期河川」としました。
加古川は、利根川や木曽川とともに、第一期河川に組み入れられました。
この時選ばれた第一期河川は、以下の20河川です。
利根川(茨城・千葉)・信濃川(新潟)・淀川(大阪)・木曽川(三重)・吉野川(徳島)・九頭竜川(福井)・高梁川(岡山)・庄川(富山)・遠賀川(福岡)・荒川(東京)・北上川(宮城)・阿賀野川(新潟)・雄物川(秋田)・最上川(山形)・神通川(富山)・岩木川(青森)・富士川(静岡)・斐伊川(島根)・緑川(熊本)そして加古川(兵庫)
1911年(明治44)9月4日、官報に告示されました。
加古川は、国の直轄事業として本格的改修工事が前進することになったのです。
総改修費は、3分の2を国が負担し、残りの3分の1は兵庫県の負担でした。
1933年、当初の計画(10年)を 大きく延長し、16年の長期にわたり加古川改修工事は難産の末に完成しました。
竣工式は、11月19日午前9より加古川町大橋南の河原で挙行され、官民あわせて千人が参列しました。
その日、加古川町内は美しく飾られ、旗行列や提灯行列などで大変な賑わいとないました。
この長期にわたる工事は、600万円の巨費にものぼりました。
そして、この間に要した延べ人員は120万人で、死傷者も321人を出しました。
この大事業を記念して、改修工事完成を記念して、現在の「加古川まつり」の前進の「川祭り」を行うようになったのです。
その日盛大な花火大会が、中津・河原の河川敷で行われます。
二年続きで、コロナのため中止となりました。寂しかったですね。(no5173)
*写真:神戸新聞より