ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

加古川町旧鳩里村探検(6) 木村(6)・宮本伊織の生誕400年(2012年)式典

2021-08-30 06:41:31 | 加古川町(旧鳩里村)探検

    宮本伊織の生誕400(2012)式典

 この記事は、2012年10月21日、泊神社(加古川町)木村で挙行されたときの再掲です。

 宮本武蔵の養子、伊織の生誕400年記念式典の記事です。

 10月21日が伊織の誕生日で、主催者はこの日にこだわって開催されたそうです。

 プログラムは「鬼太鼓座(おんでこざ)」の元メンバーの太鼓、武蔵円明流の演武、それに旭堂南海さんの「宮本父子伝」の講談等が披露されました。

     伊織は明石藩の家老に

 武蔵の養子の伊織は若くして明石藩の家老になり、島原の乱鎮圧に侍大将として活躍しています。

 泊神社は伊織にとっての氏神で、彼は1656年、荒廃する社殿を再建しています。

     宮本伊織・14代目当主参列

 式典では、宮本伊織から14代目の当主の方(写真上)も小倉から参加されました。優しそうな方でした。

 なお、その少し前にNHKのBSで放映された番組でBSでは俳優・高橋弘樹さん・アナウンサーの渡辺真理さんが解説者とともに参加されていました。

 その時の解説者は、国際武道大学教授の魚住孝至さんでした。

魚住さんは、稲美町出身で加古川東高校から東大に進まれた歴史学者で、おもしろい番組でした。

     宮本伊織、泊神社に燈籠を寄進

 本殿裏の伊織寄進の石燈籠があります。説明を読んでおきます。

 ・・・武蔵の死後8年目の承応2年(1653)、伊織は武蔵の出身地・米田の氏神である泊神社の老朽化がひどく、田原家の祖先供養のために社殿を新しくし、石灯ろう(写真下)を奉納した。

 この本殿裏の二基の灯籠は、宮本伊織とその一族である田原正久が寄進したものです。

 二基とも花崗岩製で、承応二年(1653)三月に寄進したことが、銘文によって明らかです。

 宮本伊織のものは、全長297センチ、田原正久寄進のものは全長165センチです。(no5187

 *写真右:宮本伊織から14代目当主

 *写真左:宮本伊織寄進の灯ろう(二基の内、右側の燈籠)

 

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