2月11日は「建国記念の日」です。
この日、初代の天皇・神武天皇は奈良の橿原で天皇になる儀式をし、昭和15年(1940)は、その式典から数えて2600年目(皇紀2600年)にあたるといいます。
(もちろんこれは神話の話で、2600年前は縄文時代(狩猟時代)で、天皇は存在しません。)
氷丘小学校の『創立80周年記念誌・くすの木』に、当時のようすを伝える1枚の写真が掲載されています。
この年は、日独伊三国同盟・大政翼賛会の結成等、日本は着実に戦争準備を整えました。
皇紀2600年の式典も戦争に備えて、国民の意識を高め、団結を強める意味がありました。
皇紀二千六百年(昭和15年)
1940年12月10日、紀元二千六百年奉祝の記念式典が全国で実施されました。
また、加古川小学校でなされた「紀元二千六百年奉祝式典に関する訓話」は、この日を 「一億一心の理想八紘一宇(はっこういちゅう)の大精神の実現に各自の本分に邁進せんことを、お誓いし上げる日」と位置づけています。
そして、この日、加古川町でも、次のような奉祝行事が実施されることとなりました。
「・・・当日、 午前十一時から加古川駅前の広場で奉祝式典を行いまして、11時25分の万才奉唱の時刻には、小学校児童の皆さんも青年学校の生徒も在郷軍人も一般町民の人々も皆一斉に心から万歳を唱へることゝなっています。
一世一代の一日歳式の後、全員のラヂオ体操を実施し、尚其の後で旗行列を行ふことになっています」(加古川小学校長訓話より)
紀元二千六百年奉祝を大きな結節点として、人々の意識は、当人たちは必ずしも自覚していなかったとはいえ、大きな変容を遂げ、翌年の1941年、戦争に突入しました。
写真は、氷丘小学校で行われた紀元二千六百年奉祝のようすです。(no5165)
*写真:『創立80周年記念誌・くすの木』からの転載
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