大正12年(1923)9月1日、東京を中心に未曾有の大震災がおきた。政府の一部に、壊滅した首都を東京以外の場所に移そうとする遷都論がおきた。
「今村均・回顧録」(当時の参謀本部少佐、後に陸軍大将)によれば、国土防衛上の観点から首都移転を極秘に検討し、加古川の地を候補地の一つに挙げている。
加古川が候補にあげられたのは、第一に災害が少ない地域であるということであったが、その他に「中国大陸への侵略に備え、日本の首都を西に移すべきである」との考えがあったようである。
候補地として、加古川の他に八王子(東京都)はともかく、ソウル(韓国)が、あげられている。
「遷都(八幡和郎著)」」(中公新書)では、加古川への遷都の理由を次のように述べている。
「・・・(首都の候補地は)兵庫県加古川の平地である。歴史上、大地震にみまわれたこともなく、水資源も量・質ともに条件がよい。防空という観点からも理想的である。商工業都市としての機能は、阪神に任せ、皇室、政府機関、教育施設のみを移し、ワシントンをモデルに設計する・・・」
この遷都論は、やがて各方面にもれ、動揺が起こり、立ち消えになった。
加古川の地は、他にも一度首都の候補にあがったことがある。後日紹介したい。
*写真は、関東大震災での、日比谷の惨状
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