突然の地震は昭和21年12月21日の早朝に発生した。死者は、1、300人をこえた。
潮岬の沖合いを震源とするマグニチュード8.2の巨大地震・南海地震である。
この時期、日本は敗戦により占領されていおり、マスコミの自由な報道も禁止されていた。
そのためか、地震の被害・規模が大きかったにもかかわらず詳しく報道されていない。
ある新聞は、加古川地方のようすを次のように伝えている。
「・・・21日早暁、突如、加印(かいん)地方(旧:加古郡・印南郡を含む地方)を襲った強震は空前のもので、何れも戸外に飛び出し、酷しい寒気と異常な恐怖に震えつつ夜の明けるのを路上に待ったが、調査の進むにつれ損害は意外に大きく、加古川町では居屋河原町(いやがわらちょう)の洗濯業・入江源栄さん(40)、寺家町一丁目小間物商・三木さんの隣家の白木栄太郎さんが見るも無残。・・・」
この時の南海地震のエネルギィーは、すべて放出されていないとのことである。最近、さらに大きな、次の南海地震が近いと、さかんに報道されている。
*挿絵:娘が描いてくれたもの
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