文観(1)
再度、文観(もんかん)を紹介しましょう
2009年5月に『加古川さんぽ(加古川市内の歴史散歩(上・下二巻))を出版しました。加古川各町内の簡単な歴史でしたが、文観(もんかん)だけは、少し気張って、詳しく書いてみました。
再度、文観を追うことにします。
最初の「文観と後醍醐天皇」紹介しておきます。
文観と後醍醐天皇
以下の文は、『加古川さんぽ(加古川市内の歴史散歩(上・下二巻)の初めの文です。
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文観・後醍醐天皇の時代(南北朝時代)は、日本人の生活・考え方が最も大きく変化した時代でした。
でも、南北朝時代については、教科書でも簡単な紹介に終わっています。
霞の向こうの風景のようです。
この時代の中心になっている人物は、間違いなく後醍醐天皇でした。
その醍醐天皇を支えている重要人物の一人が、僧の文観(もんかん)です。
しかし、文観は、多くがほとんどわかりせん。
そのため、後に後醍醐天皇の護持僧になってからの活躍はある程度分かるのですが、出生や子どもの頃の文観については謎だらけです。
*(護持僧:天皇のために特設された加持祈祷をする僧職。天台・真言の高僧を選んでこれに任じられました。)
しかし、最近の歴史学では、文観の生まれは加古川市であることが事実として浮かび上がってきました。
日本史の分水嶺(日本史二つに分ける時代区分)となった南北朝時代、その中心にいたのは後醍醐天皇です。
その後醍醐天皇を支えた文観が加古川の人であったとしたら、私たちとしても黙っていることはできません。
文観さん追いかけましょう。 (no5068)