ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

お爺さんが語る郷土の歴史(171) 赤松一族の興亡(1)・志方の城山:赤松一族の城跡

2018-05-09 07:23:21 | お爺さんが語る郷土の歴史

    志方の城山:赤松一族の城跡

 城山(写真)は、標高271.6㍍の山で、特に登るのに躊躇するほどの山でもありません。

 以前にも数度この山に登ったことがあります。

 一番最近では、昨年の4月1日登りました。73才(当時)のお爺さんにとってはしんどい登山でした。

 以来登っていません。

 城山登山は、頂上の写真が欲しかったからです。

 城山について、いろいろの書物をあさってみました。

 が、「城山」は、名前はよく知られているわりに謎だらけの山のようです。

     中道子山

 この270㍍の城山の本当の名前は「中道子山(ちゅうどうしさん)」です。

 中道子の「子」は「寺」が変化した読み方のようです。

 もともと、この城山の頂上の一角に「中道寺」という寺があったようです。

 安楽寺(細工所)の由来に「西暦811年、弘法大師(空海)の孫弟子の真詔上人が詔勅を受け、大日如来像を彫刻し中道子山上(今の城山)に一宇を設立し、真言宗無量寿院と号す」とあり、安楽寺は、無量寿院から始まるとしているとしています。

 安楽寺さんにお叱りを受けそうですが、安楽寺だけでなく、寺伝は一般的に「あやしげな」記述が多いので、数字・固有名詞はここでも若干疑っておきます。

 ここでは、中道子の「子」を寺としましたが、城山の南に湯ノ山街道が走っています。

 中道子の「じ」は「寺ではなく路」で、城山は湯ノ山街道に沿ってある山(中道路)からきているという説もあります。   

    志方町の大パノラマ

 城山は東志方の東北部に位置し、南は平野をへだてて飯盛山、高畑の前山に対しています。

 北は札馬(さつま)の谷をへて、大沢、畑の山に伸びています。

 頂上付近の「風の道」という細い道を行くと目の前に志方の大パノラマが広がっています。

 城が似合う山です。

 山頂には赤松城址の石碑があります。(no3451) 

 *写真:城山(加古川市平荘町一本松辺りから城山を望む)

 ◇きのう(5/8)の散歩(10.274歩)

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