職員の逮捕など不祥事が相次いだ京都市役所の近くに本能寺があります。織田信長が最期を遂げた場所として知られています。
この本能寺は何度も火災に遭っていて、明智光秀による焼き討ち(1582年)の後、現在の地に再興されたものの、天明の大火(1788年)で再び焼失。さらに、幕末の蛤御門の変(1864年)でまたまた焼失。
何度も火災に遭遇するので火に敏感なのか、本能寺の「能」の字の右の「ヒヒ」を別の字にしたそうです(パソコンの漢字にはないので表記不可)。このことはscopsさんのブログで知りました。
そんな本能寺の境内に、これも火災がらみの「火伏せのイチョウ」があります。
(信長の墓の横に立つ「火伏せのイチョウ」。今頃は黄葉しているでしょう。)
案内板によると、本能寺の変の後この場所に移植されたもので、天明の大火で京都が猛火に襲われたとき、このイチョウから水が噴き出て木の下に身を寄せていた人々を救ったそうです。
イチョウには各地にこうした話が伝わっていて、京都にはもう一つ有名な「西本願寺の水噴きイチョウ」があります。こちらは、安政5年(1858年)の大火で西本願寺に火が迫ったとき、門前のこのイチョウが水を噴いて類焼を食い止めたそうです。
西本願寺は現在大修理の真っ最中で、このイチョウは工事用のテントに覆われていて見ることはできませんが、テントに映った陰を見るだけでも驚くほどの巨樹です。
このほか、滋賀県木の本町の石道寺にも「火伏せのイチョウ」がありますし、おそらく日本全国に防火に貢献したイチョウが残っているはずです。
イチョウが本当に水を噴くのか疑問ですが、ある専門家は、火が近づいて周囲が熱くなったとき、イチョウが樹体内の水分を一気に蒸発させる姿が水を噴いたように見えるのではないかと言っています。
イチョウのほか、以前ご紹介したサンゴジュにも防火の効果があるようですし、ある樹木学者はアオギリが火を防ぐシーンを目の当たりにしたと書いていました。
この本能寺は何度も火災に遭っていて、明智光秀による焼き討ち(1582年)の後、現在の地に再興されたものの、天明の大火(1788年)で再び焼失。さらに、幕末の蛤御門の変(1864年)でまたまた焼失。
何度も火災に遭遇するので火に敏感なのか、本能寺の「能」の字の右の「ヒヒ」を別の字にしたそうです(パソコンの漢字にはないので表記不可)。このことはscopsさんのブログで知りました。
そんな本能寺の境内に、これも火災がらみの「火伏せのイチョウ」があります。
(信長の墓の横に立つ「火伏せのイチョウ」。今頃は黄葉しているでしょう。)
案内板によると、本能寺の変の後この場所に移植されたもので、天明の大火で京都が猛火に襲われたとき、このイチョウから水が噴き出て木の下に身を寄せていた人々を救ったそうです。
イチョウには各地にこうした話が伝わっていて、京都にはもう一つ有名な「西本願寺の水噴きイチョウ」があります。こちらは、安政5年(1858年)の大火で西本願寺に火が迫ったとき、門前のこのイチョウが水を噴いて類焼を食い止めたそうです。
西本願寺は現在大修理の真っ最中で、このイチョウは工事用のテントに覆われていて見ることはできませんが、テントに映った陰を見るだけでも驚くほどの巨樹です。
このほか、滋賀県木の本町の石道寺にも「火伏せのイチョウ」がありますし、おそらく日本全国に防火に貢献したイチョウが残っているはずです。
イチョウが本当に水を噴くのか疑問ですが、ある専門家は、火が近づいて周囲が熱くなったとき、イチョウが樹体内の水分を一気に蒸発させる姿が水を噴いたように見えるのではないかと言っています。
イチョウのほか、以前ご紹介したサンゴジュにも防火の効果があるようですし、ある樹木学者はアオギリが火を防ぐシーンを目の当たりにしたと書いていました。
樹は水分をたくさん含んでいるので、立木であれば燃えにくいのでしょう。
葉から蒸気をたくさん放出する樹種が防火樹として選ばれているのかも知れませんね。
ちょっと調べたら、イチョウ、サンゴジュのほかにもシイ、カシ、ナラ、モチノキ、ツバキ、サザンカなどは火を防ぐんですね。
カシやナラは、炭にすればすごく火持ちのいい、火力の強い良い炭材なんですが、面白いものですね。