樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

日本野鳥の会京都支部の父

2013年11月04日 | 野鳥
『遠野物語』を著し、日本の民俗学を切り開いた柳田國男は、子どもの頃から鳥が大好きだったらしく、『野鳥雑記』というエッセイに次のように書いています。
「私は子供の頃の一冬、兄にねだって薩摩芋を一俵買ってもらって、朝々その薯を一つずつ火に焼いて、半分は目白に、半分は自分で食って暮していたことがある」。
メジロは焼き芋も食べるんですね。
また、鳥が食べそうな赤い実が成る樹をいろいろと庭に植えて観察。ガマズミは人気がない、絵画ではナンテンにヒヨドリが付き物なのにやって来ない、ウメモドキにはいろんな鳥が集まるのでたくさん買い集めて植えたと記しています。


柳田國男(著作権保護期間満了の画像)

また、家の近くの松林に集まる野鳥についても書いています。
「春の末にはエナガが来る。コガラが来る。秋も暮れんとする頃には、以前は野外に出てしか聴かなかったカワラヒワの群が、終日ギイキリキリと啼いて遊び、時にはその透きとおった羽根が日に照らされて見える」。
柳田國男は熱心なバードウォッチャーだったわけです。野鳥への関心は終生続いたようで、中西悟堂が「日本野鳥の会」を設立した際には、北原白秋らとともに発起人に加わっています。
また、私が所属する日本野鳥の会京都支部は全国で最も早く設立された支部ですが、ここにも柳田國男が関わっています。
日本野鳥の会設立2年後の1936年(昭和11)1月19日、京都日出新聞(現京都新聞)で「京都野鳥講演会・映画会・座談会」が開催され、関西支部(京都支部の前身)が結成されました。その席にいたのが中西悟堂(40歳)と柳田國男(60歳)。
日本民俗学の父であると同時に、わが支部の父でもあるわけです。
ちなみに、「余り一人で飛びまわるのも百舌鳥のようでいけない。百舌鳥は私なども実は嫌いだ」と書いています。単独行動のモズに嫌悪感を持つほど寂しがり屋だったようです。
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2 コメント

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Unknown (guitarbird)
2013-11-07 19:01:35
こんばんわ
私は東京で生まれ北海道に住んでいるせいか、京都、と聞いただけで構えてしまう人間なのですが、その上、悟堂さんと柳田國男さんというのは、やっぱり歴史がある土地だなと思いました。
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この情報は (fagus06)
2013-11-08 07:50:01
支部のホームページに歴史を掲載する際に入手しました。
野鳥の会の会員ではない方にはあまり関係ない話ですが、このブログをご覧になっている支部会員もいらっしゃるので、内輪ネタとして掲載しました。
たまたまでしょうが、京都での会合がきっかけになったようです。関西支部が京都支部と大阪支部に分かれたので、大阪支部も同じ歴史のはずです。
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