樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

日本初の探鳥会

2020年08月20日 | 野鳥
1934(昭和9)年6月2日~3日、日本野鳥の会の創設者・中西悟堂によって、富士山の裾野で日本初の探鳥会が挙行されました。悟堂は愛鳥思想の普及を国民運動として盛り上げるため、鳥類学者だけでなく社会的な影響力を持つ文化人にも広く声をかけました。詩人の北原白秋、言語学者の金田一京助・春彦親子、民俗学者の柳田国男、さらに新聞社や放送局の関係者なども招待し、総勢約40人が参集しました。



金田一春彦が「私はそういう会に参加したのは、その時一回だけである」と書いているように、文化人のほとんどは鳥に関心があるわけではないので、いきなりバードウォッチングを教えても楽しめません。そんな参加者でも鳥に興味を持てるよう、悟堂は周到に準備します。
姿が見えない時は声で楽しませたり、鳥を呼び寄せるため、口笛などで鳥の声をまねする名人を招きました。また、富士山の野鳥に詳しい現地の案内人も数名呼び寄せました。参加者が全員集まるまでの間の余興として、レコードでブッポウソウの声を聞かせたり、案内人に富士山の鳥の話をさせたりもしています。
下見も念入りで、金田一春彦は次のように記しています。「中西先生は、こういう人たちの期待に応えようと、前日、前々日から出張して、付近の山道をまわり、どこに何の鳥の巣があり、卵がいくつあるというようなことを確かめておられた。また、名士といっても強健な人、足弱の人、鳥について玄人はだしの知識のある人、ほとんど無知の人がある。そういうバラエティーを考えて、案内のコースを、三通りも四通りも考えておく慎重さだった」。
こうした準備のおかげで参加者はそれぞれに楽しんだようで、キビタキやセンダイムシクイのさえずりに耳を傾ける者、声を音符で記録する者、鳥の巣をスケッチする者、植物図鑑を取り出して草花を調べる者もいたとか。現在私たちが実施している探鳥会のスタイルは、この日本初の探鳥会がベースになっているわけです。
蛇足ながら、『待ちぼうけ』『この道』などの童謡を作詞した北原白秋(下)は意外にも酒好きで、前夜の宿で中西悟堂をつかまえて夜中1時頃まで飲んでいたそうです。


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Unknown (kazuyoo60)
2020-08-20 18:54:37
データは時々保存しています。完全に壊れる前の日に画面の下6割に筋が入ったのです。サポートでは機械的な故障かもしれないと、修理は高額になるとのこと。保証は3年で、3年5か月経っていました。毎日使いたいと思って、すぐに、新機種を頼みました。データ保存、見辛い画面で、足りない分をコピーしました。終了せずにスリープだともう2日くらい使えたかもしれませんが、仕方ないです。
NECダイレクト、すぐに送ってくれると思ったら注文生産ですって。8/14に届けてくれて助かりましたが。
日本野鳥の会、有名な方の寄り集まりですね。
>案内のコースを、三通りも四通りも考えておく慎重さだった
楽しんでもらうためには、これほどの準備をなさった方でしたか。
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kazuyo様 (fagus06)
2020-08-23 08:21:32
妻から「kazuyoちゃんは昔からパソコンは詳しかった」と聞いておりましたので、多分適確に対処されたのだろうと推測しておりました。
私だったらパニックに陥っていたと思います。先日も、キーボードを掃除したら、入力文字が暴走したので、あわててパソコンレスキューの方に電話しましたら、「キーボードを買い換えた方が早い」と言われてそのようにしました。
いずれにしても、時々ストレスになりますね。
野鳥の会は創設当時は有名人が多く、また皇族や元貴族も多かったようですね。
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Unknown (guitarbird)
2020-08-25 05:01:36
おはようございます
俳人の水原秋櫻子も中西悟堂と親交があり探鳥会に参加したことがあると本で読みましたが、でも、この初めての時にいたかどうかは忘れてしまいました(また読まなきゃ)。
しかし、その当時ブッポウソウの声のレコードがあったというのが少々驚きました。
当時は何でも録音してレコードにするというのも流行ったのかな、とも思いました。
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guitarbirdさんへ (fagus06)
2020-08-27 09:15:00
水原秋櫻子はこの時の探鳥会には参加していないようです。確か、俳句の季語の中の鳥を改訂するために、悟堂の弟子であり秋櫻子の弟子でもあった人を介して親交が始まったと記憶しています。
俳句の季語の鳥がでたらめであることを知った秋櫻子が、鳥を勉強するために悟堂に教えを請うたようです。
ブッポウソウの声を聞かせるためには、蓄音機も必要でしょうから、相当準備にエネルギーを費やしたはずですね。
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