「TTPと野鳥」「ラーメンと野鳥」の2つの記事で、近くの干拓地にはシギやチドリが来なくなったと書きましたが、その後も時々訪れています。
このエリアの地名は「巨椋(おぐら)池干拓地」。名前の通り元々大きな池(宇治川の遊水池)でしたが、戦前に国営初の干拓事業が行われて広大な農地になりました。8~9月はシギやチドリが渡来するほか、冬や春にも珍しい鳥がやってくることが多く、関西では「珍鳥の宝庫」として知られています。
その珍鳥を求めてほぼ毎日この地を巡回している地元の人もいれば、私のように時々観察に行くバーダー、めぼしい鳥の情報を得て駆けつけるフォトグラファーもいます。そうやってこの地をウロウロしている人を、私は勝手に「オグラー」と呼んでいます。
熱心なオグラーは気付いているはずですが、ある場所に以下の看板が立っていて、通るたびにニヤッとします。15年ほど前、野鳥の会と農家が協力して、毎月1回ゴミや不法投棄物を拾い集める運動をやったことがありますが、その時の名残かもしれません。
それなりに美しい干拓地は休耕田が減ってシギやチドリが減ったのですが、例年並みの種類もいます。ジシギ類を撮影するためにほぼ毎日自転車でやってくるオグラーに聞くと、「ジシギは結構入っている。タマシギも何カ所かで見た」。そのオグラーと一緒に撮影したのが以下のジシギ。タシギかチュウジシギかは特定できません。
ジシギ類とタマシギに共通するのは、稲を植えた水田の中や畔で採餌したり、身をひそめていること。私の推測ですが、こうしたタイプの鳥は休耕田の減少やネギ畑の増加の影響を受けることなく、減反政策が終了した後もオグラーを楽しませてくれるのではないでしょうか。
下は、数少ない休耕田にいたタマシギ♂とひな。お父さんと同じタイミングで羽繕いするひながかわいいですね~。映像には写っていませんが、ひなは3羽いました。
このエリアの地名は「巨椋(おぐら)池干拓地」。名前の通り元々大きな池(宇治川の遊水池)でしたが、戦前に国営初の干拓事業が行われて広大な農地になりました。8~9月はシギやチドリが渡来するほか、冬や春にも珍しい鳥がやってくることが多く、関西では「珍鳥の宝庫」として知られています。
その珍鳥を求めてほぼ毎日この地を巡回している地元の人もいれば、私のように時々観察に行くバーダー、めぼしい鳥の情報を得て駆けつけるフォトグラファーもいます。そうやってこの地をウロウロしている人を、私は勝手に「オグラー」と呼んでいます。
熱心なオグラーは気付いているはずですが、ある場所に以下の看板が立っていて、通るたびにニヤッとします。15年ほど前、野鳥の会と農家が協力して、毎月1回ゴミや不法投棄物を拾い集める運動をやったことがありますが、その時の名残かもしれません。
それなりに美しい干拓地は休耕田が減ってシギやチドリが減ったのですが、例年並みの種類もいます。ジシギ類を撮影するためにほぼ毎日自転車でやってくるオグラーに聞くと、「ジシギは結構入っている。タマシギも何カ所かで見た」。そのオグラーと一緒に撮影したのが以下のジシギ。タシギかチュウジシギかは特定できません。
ジシギ類とタマシギに共通するのは、稲を植えた水田の中や畔で採餌したり、身をひそめていること。私の推測ですが、こうしたタイプの鳥は休耕田の減少やネギ畑の増加の影響を受けることなく、減反政策が終了した後もオグラーを楽しませてくれるのではないでしょうか。
下は、数少ない休耕田にいたタマシギ♂とひな。お父さんと同じタイミングで羽繕いするひながかわいいですね~。映像には写っていませんが、ひなは3羽いました。
この看板はあのCMに由来するのか知れませんね。
生活の場所というか、農業の場所なので、農機具や肥料の袋や廃棄された野菜などがあちこちにあるので、「100%美しくは無理」という気持ちがあったのかな、と私は推測しています。
「それでも、多少は美しく保ちたい」という気持ちの表れでしょうね。
「それなりに美しく」というので昔のフジカラーのCMを思い出しました。
それなり、という言葉には、生活の場所、という意味が含まれているように私は感じました。