樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

SATOYAMA

2006年12月18日 | 木と文化
「里山とは何か~自然と文化の多様性~」という国際シンポジウムが、近くにある龍谷大学で開催されたので行ってきました。
龍谷大学は1639年に西本願寺の学寮としてスタートした大学で、以前は「お坊さんの大学」というイメージでしたが、最近は7学部を擁する大規模な総合大学です。
私が樹を見始めた5年ほど前にも同じようなシンポジウムが行われたので参加したことがあります。そのときの講演は日本人だけでしたが、今回はオーストリアと韓国の学者の発表もあり、英語と日本語の同時通訳をイヤホーンで聴くという本格的なものでした。

      
     (オーストリアの学者のBiodiversity=生物多様性に関する説明)

ウィーン農芸大学の教授は生物多様性について、アルプスでの事例を交えて講演しました。長くなるので省略しますが、印象に残ったことだけご紹介します。
ドイツ語や英語には「里山」に相当する言葉がなく、SATOYAMAは国際語になりつつあるそうです。自然と人間が共生するゾーンという意味でしょうか。また、「生物多様性の保全とは、生物の種類を科学的に究明することではなく、畏敬や驚異の念を持ってそれを体験することである」とも言ってました。

      
        (ホオノキの花を描いた江戸時代の図鑑と和歌)

龍谷大学からも3人の教授が講演しました。その中で私が特に興味を持ったのは、「江戸の市民が見た自然」。大隈言道(おおくまことみち)という、樹や草花の歌をたくさん詠んでいる歌人のことを初めて知りました。いろいろ面白いネタが入手できたので、おいおいご紹介します。
このシンポジウムは無料で、事前の登録も不要。いろいろ勉強させていただいて、同時通訳で外国の学者の話も聞かせていただいて、資料もいただいて…。ありがたい催しでした。
10月には京大宇治キャンパスの催しに参加しました。仕事では今も兵庫県の甲子園大学へ取材に通っています。今年は何かと大学に縁のある年でした。
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ハエが群がる花 | トップ | 家にありたき木 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
着々と (scops)
2006-12-18 21:28:17
樹のことを勉強されているんですね。

「もったいない」に続いて「里山」も国際語ですか。
日本の環境意識も捨てたもんじゃないですね。ただし昔の日本の環境意識でしょうけど・・・
ちょっと昔を見習わないといけないですね。
返信する
里山は (guitarbird)
2006-12-18 23:31:25
こんばんわ、guitarbirdです

北海道には里山はないとよく言われます。
北海道の場合、山林の脇まで開けた農耕地(か住宅)という場所が
多いからだ、というような話です。
しかし具に見るとそれに類似した環境はあって、実は、
私が行く旭山記念公園は、山と住宅街の間にあって、
適当に人間の手が入って利用されているという点で、
内地の里山に近いのかな、と思っています。
ただ木材の利用もしてないですし、農耕地でもないですが。
余談ですが、札幌には「北の里山の会」という
森林活動団体があって、その分野のパイオニア的存在で、私も慕っております。
返信する
里山も「もったいない」も (fagus06)
2006-12-19 08:20:30
だんだん昔の概念になりつつありますね。
オーストリアの学者によると、ヨーロッパでは最初は法規制で生物多様性を守ろうとしたが失敗した。次に農民にお金を払うことで保全しようとしたが持続できない。結局、環境や生物多様性の保全は、都会に住む我々が市場で何を買うかで決まる、と言っていました。
伝わりにくいかも知れませんが、里山での生産活動はすべて世界の市場につながっているので、それを消費者として支えることでしか保全できない、ということのようです。
返信する
北海道には牧場が (fagus06)
2006-12-19 08:28:56
たくさんありますね。オーストリアの学者は、アルプスの牧場や農場を日本の里山と同じ位置づけにして話していました。
生物多様性は、原生的な自然ではなく、里山や牧場や農場のような人間の手が加わった自然によって保全されるとも言ってました。
北海道の農業は日本の伝統的な形態が違うかも知れませんが、里山と同じ機能を果たしているエリアはたくさんあるんじゃないですかね。
返信する
補足 (guitarbird)
2006-12-20 06:33:02
おはようございます、guitarbirdです

補足ですが、北海道の場合についてですが
「木の利用」という面についての里山的環境、だと思います。
確かに、人間の手が入った環境という点でそれらを里山に位置づけるのは
私もその通りだと思いますが、日本語として考えると、
里山というのはやっぱり微妙に違う気がしています。
定義というか、言葉の問題なので、本質ではないし、
言葉から入ると本質を見誤る恐れはあると思いました。
その辺が難しいですね。
しかし自分に関しては、言葉がどうであっても、その環境に合ったことを考えて
進めてゆく、という姿勢は変わりませんので、お安心ください(笑)。
だけど、言葉にもこだわりたい人間なので、やっぱり、
里山「的」環境ではあっても、里山ではないとも思っています。
もちろん、考え方的には、適応できることは多いとは思います。
長々と失礼しました・・・
返信する
厳密に言えば (fagus06)
2006-12-20 08:30:43
ギタバさんがおっしゃるように、木を利用しないエリアは里山とは少し違うと思います。
里山がSATOYAMAになったとき、それぞれの国の状況に合わせて拡大解釈されているのでしょう。
しかし、外国にそういう言葉がないというのも不思議ですね。アジアの国々にはありそうな気がしますが・・・。
返信する

コメントを投稿

木と文化」カテゴリの最新記事