先月、友人から招待券をいただいて「円空・木喰展」を観てきました。木喰(もくじき)は昨年の春に別の会場で観て ご紹介もしました が、円空は初めて。
木喰と同じように、民衆のために仏像を彫りながら全国を旅した人物で、生涯に12万体の仏像を彫ったと言われ、5000体以上が現存するそうです。
(ポスターの上が円空、下が木喰の仏像)
木喰と同じような仏像を想像していましたが、実際に観てびっくり。自由奔放というか、前衛的というか、「300年以上も昔の日本にこんなとんがった彫刻があったのか!」と衝撃を受けました。
例えば、1枚の木の表面と裏面に違う像を彫ったリバーシブルの仏像や、下の写真のように樹皮がついたままの幹に目や口を刻んだ仏像もあります。その飛躍した着想には何度ものけ反りそうになりました。(撮影禁止なので図書館で借りた本の写真を撮影してご紹介します)
(1674年作の御法神像、91.4cm。まるでモダンアート)
有名な仏師が彫る仏像はヒノキかクスノキと決まっていますが、円空は木の種類を選ばず、しかも朽ちた木や曲がった木、切り株まで使っています。「すべての木には仏が宿っている」という考えがあったからだそうです。
(1674年作の観音像。58.7cm)
上の写真のように、木の生地をそのまま生かした仏像もあります。下の写真の不動明王像は、頭のうしろの木目をそのまま炎として表現しています。こういう彫り方を「生成り」と呼ぶそうですが、むしろ「木成り」と書いた方が分かりやすいですね。
(1680年作の不動明王立像。88.5cm)
木喰は「微笑仏」と呼ばれるように柔和な表情が特徴ですが、円空はこの自由奔放さが魅力なんでしょう。仏像には無知な私ですが、円空のパワーには圧倒されました。
木喰と同じように、民衆のために仏像を彫りながら全国を旅した人物で、生涯に12万体の仏像を彫ったと言われ、5000体以上が現存するそうです。
(ポスターの上が円空、下が木喰の仏像)
木喰と同じような仏像を想像していましたが、実際に観てびっくり。自由奔放というか、前衛的というか、「300年以上も昔の日本にこんなとんがった彫刻があったのか!」と衝撃を受けました。
例えば、1枚の木の表面と裏面に違う像を彫ったリバーシブルの仏像や、下の写真のように樹皮がついたままの幹に目や口を刻んだ仏像もあります。その飛躍した着想には何度ものけ反りそうになりました。(撮影禁止なので図書館で借りた本の写真を撮影してご紹介します)
(1674年作の御法神像、91.4cm。まるでモダンアート)
有名な仏師が彫る仏像はヒノキかクスノキと決まっていますが、円空は木の種類を選ばず、しかも朽ちた木や曲がった木、切り株まで使っています。「すべての木には仏が宿っている」という考えがあったからだそうです。
(1674年作の観音像。58.7cm)
上の写真のように、木の生地をそのまま生かした仏像もあります。下の写真の不動明王像は、頭のうしろの木目をそのまま炎として表現しています。こういう彫り方を「生成り」と呼ぶそうですが、むしろ「木成り」と書いた方が分かりやすいですね。
(1680年作の不動明王立像。88.5cm)
木喰は「微笑仏」と呼ばれるように柔和な表情が特徴ですが、円空はこの自由奔放さが魅力なんでしょう。仏像には無知な私ですが、円空のパワーには圧倒されました。