柏餅は鯉のぼりと共に「子どもの日」の定番アイテムになっています。でも、童謡『せいくらべ』で、「柱の傷はおととしの 5月5日のせいくらべ 粽食べ食べ兄さんが測ってくれた…」と歌われているように、もともと端午の節句に食べるのは粽でした。
粽は中国の英雄・屈原の命日(5月5日)に供えたのが始まりで、端午の節句に粽を食べるという風習も中国から渡ってきたものです。その粽がなぜ、いつごろ柏餅に変化したのでしょう?

柏の葉は紅葉しても落葉せず、若葉が出る頃になってようやく落ちます。日本ではこの現象を「子どもが生まれるまで親は死なない」と見立て、柏の葉を子孫繁栄のシンボルにしたようです。柏餅が生まれたのは意外に新しく、江戸時代後期。おそらく、子孫繁栄の意味を込めて餅を柏の葉で包み、祝い事として配ったのでしょう。
端午の節句の頃に(旧暦ではなおさら)柏の葉はまだ開きませんから、当時は5月5日に柏餅は食べられなかったはずです。現在の風習が生まれたのは、柏の葉を翌年まで保存する技術が生まれて以降でしょう。

(庭のカシワも展葉したばかり。左の茶色が去年の葉)
つまり、柏餅は葉の保存方法が発明されて以降、中国伝来の端午の節句に結び付けられて5月5日に食べるようになった。同時に、「子孫繁栄」のシンボルが「子どもの健康」のシンボルに転化した…。それが私の推測です。
柏餅の葉は初夏に摘み、蒸した後、塩漬けにしたり、乾燥して真空パックで保存するそうです。この分野でも国産品はコスト競争に負け、ほとんどが中国産や韓国産とか。日本ではわずかに青森県で作っているだけで、外国産が1枚2円に対して国産品は1枚4円。それでも香りが違うらしく、高級和菓子店は国産の葉を使うそうです。
なお、西日本はカシワが少ないのでサルトリイバラの葉に包むとか、「柏餅」ではなく「いばら餅」と呼ぶそうですが、私はまだお目にかかったことがありません。
粽は中国の英雄・屈原の命日(5月5日)に供えたのが始まりで、端午の節句に粽を食べるという風習も中国から渡ってきたものです。その粽がなぜ、いつごろ柏餅に変化したのでしょう?

柏の葉は紅葉しても落葉せず、若葉が出る頃になってようやく落ちます。日本ではこの現象を「子どもが生まれるまで親は死なない」と見立て、柏の葉を子孫繁栄のシンボルにしたようです。柏餅が生まれたのは意外に新しく、江戸時代後期。おそらく、子孫繁栄の意味を込めて餅を柏の葉で包み、祝い事として配ったのでしょう。
端午の節句の頃に(旧暦ではなおさら)柏の葉はまだ開きませんから、当時は5月5日に柏餅は食べられなかったはずです。現在の風習が生まれたのは、柏の葉を翌年まで保存する技術が生まれて以降でしょう。

(庭のカシワも展葉したばかり。左の茶色が去年の葉)
つまり、柏餅は葉の保存方法が発明されて以降、中国伝来の端午の節句に結び付けられて5月5日に食べるようになった。同時に、「子孫繁栄」のシンボルが「子どもの健康」のシンボルに転化した…。それが私の推測です。
柏餅の葉は初夏に摘み、蒸した後、塩漬けにしたり、乾燥して真空パックで保存するそうです。この分野でも国産品はコスト競争に負け、ほとんどが中国産や韓国産とか。日本ではわずかに青森県で作っているだけで、外国産が1枚2円に対して国産品は1枚4円。それでも香りが違うらしく、高級和菓子店は国産の葉を使うそうです。
なお、西日本はカシワが少ないのでサルトリイバラの葉に包むとか、「柏餅」ではなく「いばら餅」と呼ぶそうですが、私はまだお目にかかったことがありません。