ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

どうみたんだ?

2018-11-06 03:38:53 | 脳みその日常
「どうみても○○だな…」

ネットの書き込みによくあるフレーズです。気にしなければ気にならないでしょう。でも、ちょっと考えてみてください。違和感を覚えませんか?

だって、その前には何も書かれていないんですよ。いきなり「どうみても〜」と来る。

「どうみても」と書くのであれば、その前文に書き手が「どう(どのように)みたのか」を記さないとおかしい。いくつかの観点から判断して、結果的に「どうみても○○だな…」というのならまだ納得がいきます(その結論に賛成・反対にかかわらず)。

でも、いきなり「どうみても」と書き始める。これではもちろん説得力はないし、書き込んだ人の思慮の浅さを自ら示しているようなもの。

いやいや、そんな深い意味で書き込んだわけじゃない。そう思う人もいるかもしれません。でもね、文章というのはそういうものではないんです。書くという行為はその人の知性を表すだけでなく、論理的な組み立てによって初めて文章になるのです。例えて言うなら「起承転結」みたいなもの。そうしたルールを無視し、単なる思い付きで書き込むのはどうなのかなと思います。

例外的な表記の仕方がないわけじゃない。新聞記事のような類です。ここでは時間のない読者に向けて結論から入ることが多い。でも、記事をよく読むと後のほうにその結論に至った経緯がちゃんと説明されているはず(そうでないこともありますが、それは問題外)。



近年ヒドイなと思うのは、ネットに上がっているニュース記事を書く記者。プロの記者という自覚があるのなら署名記事にすればいいものを、無署名で平気で載せる。無責任極まりないですね。

また、海外のニュースについての日本語もヒドイ。機械翻訳したものをそのまま掲載するなんてのは言語道断です。何が書いてあるのか、さっぱり理解できません。

一番不思議なのは記事をネット上にアップする際、おそらく書いた記事をちゃんと読み直していないこと。読み直せば誤字脱字くらい気づくでしょうに。プロの書き手なのに誤字脱字をするなんて一番恥ずかしいこと。記者の知的レヴェルが想像以上に低いのかなぁ…。
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