湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

4/15 **君帰る!

2015-04-15 15:57:10 | 地震津波災害ボランティア

2015/04/15 記
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**君から連絡があった。よかった…。
自宅の玄関に貼った書置きが伝わった。

彼は既に亡くなっている彼の母親の菩提寺に、墓参していた。
私は彼の成育歴を全て知っているわけではなく、母親の実家ナが++県であることは知っていても、それ以上はわからなかった。

携帯を置き忘れたので、電話番号がわからなかったとのこと。
自分の今後のことの迷いを語ってきたのだという。

障がいをかかえているので、無事でほっとした。まあ、彼にはそれが負担なのだろうけれど。

とりあえず、ご報告。

 

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4/14 **君の消息を追い、東京南部の彼の家を訪ねてみた 他

2015-04-15 04:26:02 | 地震津波災害ボランティア

2015/04/14 記
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風邪を引いた。壊れた蛇口のように水っぽい鼻水が止まらない。体温が38.1度。消炎鎮痛剤を飲んだ。いつもならPLのストックがあるのだが今回は無いので、抗アレルギー剤を同時にのんで、**君の家に向かった。やはり帰宅していなかったが、どう判断すべきか手がかりがないか、家のまわりをぐるりと歩いてみたがわからなかった。家の中に入るわけにもいかず、塾長に連絡を取り、明日まで連絡が無かったら警察に捜索願いを出す旨伝えた。私が東京南部の塾にいた頃の塾生だった子だ。

とりあえず、帰宅時、連絡するように張り紙をして、一度蒲田に戻って、**子の様子をみるために、住職に会うことにした。こちらは、家族の中の本人の位置が不安定になったことが原因だったで、近所の住職は**子の両親とも、幼いときからの地元人で、仲介に立ちやすかった。

**子は、飛田が来るのが遅いと不機嫌だったが、今夜自宅に帰すとのことで、当座の問題は解決していた。

寒気がするので、相模大野校は風邪をうつしそうだからと、休み家に戻った。

詳細はかけないが、もうひとりの子はクラス担任の強行突破があって、予断が許せないが、動きがとれなかった。

帰り道、風邪薬を買って、風邪を先にやっている母に、ニラ粥を薬として出して拒絶され、粥は糖尿病には大敵だが、半量食べて、母には好みの男爵ジャガイモを少量蒸して食べさせ、私は友人に頂いていた経口保水液を期限切れだがいいだろうと飲み、21時過ぎに約束していた電話を待ちつつ毛布をかぶった。

今回はボランティアの方は動けなかったが、中央法規出版から次の新刊をみつけた。いずれも今月の新刊。

●「知的障害者がグループホームに住めない理由(わけ)」
●「挑戦を続ける『生活クラブ風の村』-地域でだれも孤立させないしくみづくり」

 夜間傾聴>一応開店

(校正1回目済み)

 

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4/13 「わーくNo.53」配布/県会議員選挙にて/風邪をひきました

2015-04-14 05:48:20 | 地震津波災害ボランティア

2015/04/13 記
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「わーくNo.53」の周辺配布開始。今回の号は、従来の読者向けのような編集となった。初めて読む方は戸惑うかもしれない。「汎用医療個人情報QRカード」は、大災害時の緊急医療外来の混乱を軽減することと、自己表現できない方の医療情報提供、避難所運営と安否情報通信の効率化&ビッグデータ管理という複数の狙いを込めている。非常時のインターネット環境も3.11の経験からハングアップのような事態を軽減できるだろう。しかしそれでも、非インターネット環境の旧技術の活用は、考えるべきことである。こうした問題意識を持って読む方には通じるかもしれないが、ちょっと具体化問題に立ち入りすぎているかもしれないのだ。

「おくすり手帳システム」の「QRコード採用」
「家族向け備忘録」

この2系統をどう実現して行くかという話だ。

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茅ヶ崎市役所関係課・市議会・県保健福祉事務所・各分野障がい者団体・市社協・民生委員(個別配布)というところで雨足が速くなり中断。

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今回の選挙の争点は何だったのだろう。一向にわからない。従来通り継続の惰性選択の隙間に、実情不満をさらった某党の伸張という予測通りの結果に終わった。されば正論をぶつけて欲しいと願うばかりだ。

ヒラリーの出馬が、私用プロバイダで公用情報メールを行っていたことが足かせとなるというように、日本では議員の杜撰経理や職務態度が政治の流れすら影響して行くという政治なるものの路線対立が見えない情緒論で流れて行くことに、世情のつまらなさを感じている。

卑近な例では、県会の選挙で「懇話会」や「わーく」の資料を手渡そうとしたときの候補の動揺があり、疫病神なのだろうなと思った経緯がある。確かに得はないだろうがとは思うが、災害弱者支援の現場は、篤志家の現地活動と専門職の奮闘に支えられ、防災に至っては、震災以前にじわり戻りつつある。ここを越えて行く実践に出会いたい、そう思う。先の例でいえば、議員さんに何かを実現してもらおうという発想は私にはない。有志と出会い、活動を仲介してくれれば、社会実践のなかで有効性を醗酵させていく大道を通りたい。

配布して気がついたことは、相も変わらず人事異動と新規採用の新顔さんが、通信手渡し時に割り込んできて、杓子定規を振り回すことにうんざりさせられることや、はっきり読者の意思の方が出てきたことだ。記事が煤けないようにと、自戒をかけた。

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雨が強く降る前にと、JR相模原の塾に早めに入った。**君のその後が気になっていた。依然**君の消息は途絶えたままだ。気になるのは携帯を置いて行ったことだ。彼は馬鹿な行動は取らないだろうという予感があった。ただの旅であってほしいと願う。

取り出し指導の授業は、時間が遅くなると雨が強くなるので、その前に引き上げさせてもらった。糖尿病で、かかっている町医者に滑り込んで常備薬をもらった。数日分しかゆとりがなかったので、セーフ。

バーミャンで中華丼をテイクアウト。今日の夕食である。副菜があるから、これでよしとパックを2つぶら下げて、家に戻って、私はさきに食事をとり、通信指導の時間に備えた。

母は仏頂面して丼をつまんでいる。そう「つまんでいる」。ささ身とネギの白醤油炒めを白飯の上にかけて、食べない中華丼を引き上げた。全く厄介なのだ。

通信指導中、++君から電話が入った。申し訳ないけれど授業中は電話にでることができない。その旨を++君に伝えて魔ってもらった。感謝。

節々が痛むので体温を測ったら37.8度。解熱剤を飲んで、横になり、溜まっていた資料を読んだ。この姿勢を崩さず読み取るのは、裸眼になったほうがいい。1時間仮眠をとって、夜間傾聴に入った。関節が痛い。今夜は早めに切り上げる。

懇話会ゲスト依頼、福島の障がい者関連団体の協議会の方にお願いしてくる。

夜間傾聴>ひとり
     **子

(校正2回目済み)

 

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4/12 今日は疲労回復させて一日が終わったが…

2015-04-13 05:44:52 | 地震津波災害ボランティア

2015/04/12 記
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海老名で個別指導を済ませて茅ヶ崎に下りたとき、相模線の車内に折りたたみ傘を忘れてきたことに気がついた。改札を出てしまった後だったので、駅員に確認を取って構内に入ろうとしたが、遺失物係のところに行くようにという形で、車内に立ち入ることを許してくれなかった。すぐそこの車内に傘があるのに、捜すことができないのはおかしいと交渉したが、それは相手を頑なにさせるだけだった。どろりとした怒りを飲み込んでバスに向かった。考えてみれば、辻堂に用ができていたので、カードで入場し、相模線車内を捜して、東海道線に乗ればよかったのだが、機転がまわらなかったのは、疲れている証拠だった。

東京の**子の家が改築をめぐって、また荒れていた。駆け込み寺として近所の住職は事情を了解していたが、私も住職も、家の中の問題に立ち入ることはできない。ただ、**子の無茶を避ける形の支援で動こうとしていた。

春先というのは、毎年いろいろな問題が一斉に始まる。**君は塾長宅に一時居候させたが、さっそく昨夜から行方不明になっていた。彼の自宅にもいないので、塾長の奥さんがかれの挙動に不穏なものを感じ、私の元に連絡を入れてきていた。もともと**君のことは、今回の事態で出会っただけの関係なので、彼の行き先の見当など無理な話だった。

結局、彼の音信は途絶えたままだ。旅かなと思いつつ、彼は自分を追い込んでいる感触はないので、親しいメル友ひとりに問い合わせをかけただけで、待つことにした。

ここには書けない子がもうひとりいる。無茶をしなければいいがと思っている。定時制に通っている子だが、こちらは定時制の担任が調停に入っている。

早く家に戻ったので、夕食は面倒でないもので済ませ、食器を洗っていると、%%君から電話が入った。彼一流のご挨拶だった。私以上に変な奴なのだが、歪んだバイタリティに彼の魅力がある。3回ほどかかってきたが、私は疲れていたので気持ちをいれて話せなくて失礼したが、逆に私の疲れが消えていた。

嵐のような一日だった。明日、晴れて見通しがでてくるといいのだが。

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6月懇話会のゲストを福島から頼むことにした。いまのところ、電話とメールだけですみそうだが、連休明けに福島に出かける。

閖上の復興をまとめた冊子が出た。申しこみを済ませた。
●「閖上復興 思い熱く 住民有志、記念誌発刊」

夜間傾聴;なぜか開店休業

(校正1回目済み)

 

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4/11 たまった資料を整理しつつ

2015-04-12 06:12:31 | 地震津波災害ボランティア

2015/04/11 記
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「わーくNo.53」の図版を印刷するとき、プリンターの解像度が低いので、一度pdf化して、コンビニの印刷に任せる。すると図版内の文字が読み取れなくなり、手がないものかと思案している。拡大率微調整でなんとか乗り越えたので、全部数印刷を行った。配布は月曜日からとなる。

作業しながら、DLしておいた「未来への教科書#95」を見ていた。番組スポンサーの三井物産の海外経験社員をNPO法人「カタリバ」のコラボ・スクール「女川向学館」に、英語習得が拓く知識世界の広がり紹介に参加させ、モチベーション・アップを図る実践を見ていた。

昔、「カタリバ」は、年齢層の近い「ななめの関係」を提唱し、藤沢・大清水高で大学進学の意味を語り、平塚でも活動紹介を行ってきた。優れた活動だと思ってきた。東日本大震災では、大槌町の活動を聞いていたが、女川に女川向学館というまなびの場を生み出していた。

肝心要の三井物産の社員と中学生たちとの対話が紹介されていなかったが、小泉氏、肝いりの某校と同じように、若い家族の地元流出の歯止めの匂いを払拭しきれないが、博物館展示で昔はやった「ハンズ・オン」に似た、「さわり・いじってみる」というような距離感に好感が持てた、社員をである。

伸びる可能性を災害の労苦のなかで摘み取るなという実践がある。それ自身を私は否定はしない。ただ、家計破綻や、災害に残された親の介護がのしかかっている家族の中で、その谷間にいる災害弱者(子ども・生活自立しきれない高齢者・障がい者他)に働きかける実践支援がなぜないのだろうと考えてしまう。

聞き取らねばと思う。当事者家族から今年度は2回秋・冬の懇話会に認知症高齢者介護に携わる方と、復興住宅コミュニティ作りと単身者保護のこと、障がい者社会参加は6月懇話会にて関係者をゲストに招く。

災害ボランティアは、恐ろしいほどに退潮している。「先ず魁より始めよ」はいいのだが、東南海地震や首都直下型地震に、なるようになるとしか言わないのは、しんどいものがある。天井を見る。経験と実践を呼び込もう。それだけは私の役目と思っている。

夜間傾聴:塾長
     **君

(校正1回目済み)

 

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4/10 わーくNo.53 発刊/金曜災害ミニカフェと「早大&NHKアンケート」紹介/寝不足なり

2015-04-11 05:09:15 | 地震津波災害ボランティア

2015/04/10 記
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**さんの娘さんは、父の死を知らなかった。父に唯一、年賀状をくださった方だ。数年前、字体が女字に代わっていたのを最期に年賀状が途絶えていた。

「存じ上げす失礼しました。ご位牌でお別れさせていただけますか。」と言われて困った。父の宗教は仏壇がない。先祖の位牌もまるごと父に燃やされてしまった。だから我が家には手を合わせる場所がないのだが、これをどう説明したら良いのかわからない。

一度、娘さんとふたりで、父が入所していた老健を訪ねてくれた。それを思い出し、昔話を切り出すことで、話をそらせてしまった。しかし**さんは、その場の異様さすら気がつかず、太平洋戦争終結時、南方から戻ったときが、偶然父と一緒だったのだと、ひとり滔々と語り続けていた。

母が主に応対していたが、私は全身が痺れるような疲労感が、押さえ込もうとしても首筋から湧き上がってくる。母に目配せして、客から見えぬテーブルに伏せた。電話は遮断できても、訪問者は遮断できない。

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朝から前日の後遺症か、「わーくNo.53」β版を作ったが、校正が全く進まなかった。わかったことは、私の目は、縦書きが苦手になったということだ。横書きは文字にピントが合えば、眼球だけでなく首振りを合わせることで、1行は読める。ところがレンズ式拡大鏡では、縦書きは水平面も垂直面も、1行を保証してくれない。途中でピントがずれてしまうのだ。(レンズと被写体が平行ではないからだ。

今月、カメラ式の拡大機を買うことにした。じりじりと土俵際まで読書が追い込まれてきたのを感じている。このブログを書き込む際のフォントはMSPゴチの14ポを使っている。

手書き文字にも発見があった。文字の手書き中、文字は常に目視によってフィードバック補正がかけられている。書いている最中、誰かが瞬時、紙で視界を遮ると、手を動かし続けているかぎり、いびつな文字が現れる。それだけではない。脳裏に一時おいている、次の文字を間違えて書いてしまう。私の場合は、行が見えなくなった場合、今打ち込んでいる単語の次の文字を必ず先に打ち違える。

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話は前後するが、今日橋本の訪問指導中、**君の叔母さんから電話が入った。あす日本を発つので、**のことをよろしくというのだ。相続の話は時間が稼げたのだった。民生委員の++さんに、早速連絡を入れた。

なんとか金曜災害ミニ・カフェまでに、「わーくNo.53」を発刊できた。サポセン回りにしか配布できなかったが、残りは月曜日から配布できる。

今夜の番組は「NHKスペシャル・震災4年 被災者1万人の声」と、「ハートネットTV・被災地の福祉はいま(1)仮設から復興住宅へ・石巻」の2本。前者は夏木マリのナレーションが重すぎていけない。早稲田とNHKの共同アンケート。論点が更新されていて、懇談するには非常に適している。難は支援者向きだということだ。(詳細は後日)

夜間傾聴:**君

(校正1回目済み)

 

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4/9 父の同窓会と認知症 他

2015-04-10 05:13:14 | 地震津波災害ボランティア

2015/04/09 記
--------------
朝10時、浜見山に住む父の高校時代の同窓会役員の++さんが、娘さんに連れられて、突然やってきた。「もう集まることが難しいから、同窓会を解散することにした」という。大正の生まれである。話によると++さんは父のひとつ上の学年。驚いた、言葉に覇気すら感じるのだ。

しかし、奇妙なことに気がついた。この方には以前会ったことがあるのだ。え?

娘さん(と言っても私より少し上の60代後半の方だが)が小声で「すみません」というのだ。

毎年4月15日が近づくと同窓会だと++さんが言い出し、知り合いの御宅を巡回し始めるのだという。もちろん、秋口でも4月15日が近いと思い込んで出動してしまうのだという。引き金は太平洋戦争のTV番組等。天皇のパラオ訪問がきっかけだったという。父の同窓会はもう5・6年前に解散している。そうだった、そのとき訪ねてきたのも++さんだった。

事態が判明し、門の先をみると赤い軽自動車が止まっている。足が達者なので、車に収容しないと道が危ないので、ドライブと称して、一日1~2件訪問を済ませば当人が納得するのだという。

お茶を飲み、大概の年配者にも好物である「ボンゴレスープ・スパゲティ」を出して、お引取り願った。とんだお客さんだった。

しかし、父が生前、脳血栓で半身麻痺が起きていなかったら、とうに私は父の徘徊に振り回されていたろう。特養入居さえ,順待ちで、在宅介護が続いていただろう。私の片目状態(網膜色素変性症)では車の運転は危険だ。

…とにかく、眠い。朝、就寝前バナナケーキを食べたらダンピングを起こしたと母がトイレで吐き出した。朝8時。就寝から2時間後。次が++さんの朝10時。日が昇ってから夜間傾聴が終わるので、どうしようもなかった。しかし、++さんから覇気すら感じるのだから、認知症と気がつかないだろう。相模大野校の仕事の前に藤沢のネットカフェで仮眠をとった。

考えてみるとぞっとした。来週の*曜に母の介護度確認のために、市役所から判定員さんが午前10時にやってくる。母に電話を入れて、時間を午後に変更してもらってくれと頼み込んだ。なんとか時間内に出勤できたが、いつもの必殺食品を抱え込んでいた。極端な寝不足のときは、お産ではないが、「都こんぶ」とか「梅干し」を食べると調子が戻る。

明日は、金曜災害ミニカフェだ。それまでに「わーくNo.53」を出したい。**君と税務署の融通の利かなさの話をしながら,夜は明けてきた。「わーく」の校正しながらの対応である。**君、堪忍。

母、私が買った梅干しを発見。さわらの幽庵焼きとひじきの煮物&生玉子を拒否。もっぱら梅干と白飯を抱えて離さない。栄養管理、嫌になる。せめてと「清美オレンジ」をデザートに出す。苦肉の策。夜間の仕事の間に冷蔵庫を開けておどろいた。オレンジがまとめて冷やしてあった。

<入手した書籍>

●「復興<災害>-阪神・淡路大震災と東日本大震災-」(塩崎賢明・著)
●「被災弱者」(岡田広行・著)


夜間傾聴:**君
     ひとり

(校正2回目済み)

 

 

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4/8 「わーく No.53 2015/04/10 」α版完成

2015-04-09 05:40:11 | 地震津波災害ボランティア

2015/04/08 記
--------------
「わーくNo.53」のα版が出来上がった。10日には配布できそうだ。年度始めの大風呂敷論が多いのは、ど顰蹙。

------ ここから ------


(1面)
**届かぬ思いを「仮設転居期の災害弱者生活支援」に取り結ぶ**
------------------------------------------------

●いくつもの歯がゆいことがある。被災者と一括して語られている人々の足元の問題、家族生活などの避難生活の課題であり、家族の健康と家計の問題が、危険な局面にありながら、被災地に長期滞在でもせぬ限り、支援の接点をとれそうにないこと、これが一点目。二点目は、被災者の困難が均等にあるのではなく、災害弱者といわれる障がい者・傷病者・老いの衰弱を抱える高齢者・単身者等に偏在しており、被災4年目、復興住宅への移転と仮設再編という局面で、問題が顕在化していく傾向にありながら、危険の社会的認知が得られないことだ。第三は、3.11の教訓を支援者の地元の防災に活かすという切り替えしをしたとき、社会的な関心が一気に失われていく構造的な問題だ。

●東北の災害以前からの問題に、過疎高齢化と無医化、産業流出の地域疲弊があった。この課題が、3.11震災津波災害によって顕在化しているという。それは被災者の就職難や、家族喪失等によるPTSDなど、孤立挫折感が再起の足かせとなって就労意欲の枯渇や、高齢による求人先がない状況の中で、仮設の入居期限や見知らぬ復興住宅への転居強制、仮設残留による孤立化など、住環境の激変に追い立てられている状況がある。折角慣れ始めた仮設コミュニティの生活が再び解体され、高層住宅のような新規コミュニティが作りにくい復興住宅へと追い立てられている点は、20年前の阪神淡路大震災の高齢等、社会的弱者化した被災者が、現在になっていまだに苦しめられている長期化する問題が始まっている。生活難という社会的協力の得にくい課題が、支援活動に登場しているのであり、支援者の知恵のだしどころとなっている。

●ひとつは「生活難と孤立化」という課題、更には「仮設残留」「復興住宅への転入と孤立」「みなし仮設と障がい者や寝たきり高齢者の福祉医療の公共サービス復活」等の課題を、状況公開しながら、いかに支援全国ネットに乗せていくか、非被災地からの支援の形作りの企画化が課題となっている。ここで鍵となっているのは、路上生活者支援で使われた手法、住環境提供とフードバンクという活動の検討を、見守り訪問と地域健康ネットに加えて支援の形を作って行くことだ。(続)

<資料> -------------------------
■ 仮設からの転居「伴走者に」
2015年4月2日12時05分 朝日
http://www.asahi.com/articles/CMTW1504020400001.html
■ <孤独死>災害公営住宅の「見守り」急務
2015年03月27日 金曜日 河北新報
http://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/201503/20150327_13012.html

 

(2面)
<連載>個人医療情報 QRカードの検討(13)
  --QRカードを実現する2系統(病院と当事者団体)--

「SOSカードと被災対策QRコード単独QRカード」


★治療中の傷病者や、自己表現が難しい困難を抱えている障がい者向けに、被災や事故の際、周囲の方の協力を呼びかけるために、「SOSカード」を外出時携帯していく活動が、東日本大震災以降広がってきています。傷病者・妊婦の場合は自家製が多いと思いますが、関係障がい者団体からモデルが出されてこれが利用されています。聾・視覚・知的・発達・精神などの障がい分野と、高齢などの衰弱から認知症の場合まで、かなり大き目の説明図式が折りたたまれて利用されています。

★後期高齢者保険証の場合もそうなのですが、災害や事故対応のために常時携帯したいものは、健康保険証・運転免許証・金融機関ATMカード等、結構な量になってしまいます。「汎用個人医療情報QRカード」は、「身元」「医療情報」「備忘録」で構成されており、命を守る情報としては「身元」・「医療情報」は独立シールで、おくすり手帳の電子版とでもいうべきカードを構成します。

★ところが「備忘録」というのは、家族のために記録しておくべきデータです。金融機関契約番号や住基ナンバー、金庫の番号、遺言の保管場所、親戚や職場・大切な方の住所&電話番号などを含みます。これらは、「医療情報」が日常的には医療機関や薬局の間を行き来させるため、共通のカードに載せるには、プライバシー情報の管理に問題を起こしかねない情報です。常時携帯するカード類をこれ以上増やしたくないために、「医療情報」よりは大き目のQRコード粘着シートを作り、SOSカードに貼り込みます。SOSカードを比較的必要としない身体障がいや健常者・外国人の方の場合は、「医療情報」と同一のカードの裏面を利用します。

★常備携帯データは、セット管理します。(下図)QRコードの主眼は急性期・亜急性期の被災者の
傷病管理と治療の的確さの確保・迅速化にあります。しかしこのカードは避難所の生存証明や物資配給管理など汎用性があります、ゆえに「身元」「医療情報」「備忘録」の管理は工夫が必要ですし、QRカードを実現流通していく手順を考える上で、机上検討が必要なのです。(つづく)

 

(3面)
<金曜災害ミニ・カフェ レポート>

**金曜ミニカフェ/3.11被災者支援と湘南の防災 上映懇談の会/ミニ・カフェ レポート
-------------------------------------------------
「第24回 3/20 19時~20時サポセン」
*明日へ「大切なあなたへ こころで話す"風の電話"」

●3.11の震災津波によって、強引に引き離された家族の思いは色あせることがない。私が大船渡をたずねた被災3ヶ月目、訪ねたご遺族に、翻訳者のような市議さんや新聞記者さんに仲介をお願いし、聞き取りを行った。生々しい記憶の中で、印象に残っているのは、「そこにいるんだよ」
という語りだった。いやおうなしに「生」の側に残された痛みが伝わってきた。それから4年、亡くなった家族に背を押されるように生きてきた人々は、別れた場所や、位牌を相手に語りかけていたが、そこには別れた家族はいない。しかし、電話のかなたには、黙っているが相手が聴いているのだという。

●岩手県大槌町に作られた「風の電話」は、口伝えにその電話ボックス利用者を増やしていった。
大風で倒れ継続が危ぶまれたが支援者のサポートで復活した。残されたものが生きて行くには、
その生を確認して行くことが必要なのかもしれない。ここは生の儀式の場だ。

---------------------------------

「第25回 3/27 19時~20時半サポセン」
*未来への教科書#86「総集編『新しい文明』」

●八王子の北原国際病院の院長・北原茂実氏は東松島市に健康管理機能のある診療所を立ち上げて、被災地の医療に関わっている。大局的な医療の見直しと、過疎地の機能の話など、医療と健康を考える話がすっぱりと語られる。しかし被災現場を踏んでいる方の発言ではないなと思うのだ。合理主義者だなあという印象。

●あげ足を取るわけではないが、被災地に必要なのは「救命救急」であって、治療のための医療ではないという。東北三陸海岸部は人口的にも医師を常駐させるのはペイしない、(東松島は)仙台まで車で30分なのだから通えばいい。長生き社会はウクライナのように、医療を必要としない社会だ。だから健康を維持して行くヘルスケアの関わりが必要と説く。車で30分、路線バスの本数の少ない沿岸部では往復のタクシー代だけで往復1万円は越えてしまう。過疎高齢化と無医化という問題との接点すら見いだせない。一方では訪問医療・看護のシステム作りとなるが、対症療法の域を超えられない。被災という顕在化する事態のなかで、地域だけで解決して行く無理が見えてきたような話だった。講演を聴いた東工大の諸君はどう感じたのだろう。

 

 

(4面)
**金曜ミニカフェ/3.11被災者支援と湘南の防災 上映懇談の会/今後の予定
-------------------------------------------------
「第26回 4/10 19時~21時サポセン」

*NHKスペシャル「震災4年 被災者1万人の声」
*ハートネットTV「被災地の福祉はいま(1)仮設から復興住宅へ・石巻」

●「NHKスペシャル・震災4年 被災者1万人の声」は東日本大震災後4年目の被災者の実情を統計手法でつかみ出して行く。石巻のデータで企業復興74%を超えつつあるが、生活状態は一向に改善しない。地元中小企業経営も借金まみれになっている。その全体像をアンケートから浮かび上がらせる。「ハートネットTV・被災地の福祉はいま(1)仮設から復興住宅へ・石巻」は、災害によって破壊された地域コミュニティを避難生活中、仮設コミュニティが代替してきた。その仮設生活が復興住宅移転で壊されて、次の復興住宅が高層形式などが原因で、コミュニティが形成できない困難が予測されている。非被災地の私達にできることは無いのか。
------------------------------------------------
「第27回 4/24 19時~20時半 サポセン」

*ハートネットTV「被災地の福祉はいま(2)障害者たちの挑戦・岩手県陸前高田」
*ハートネットTV「被災地の福祉はいま(3)疲弊する自治体職員」

●震災4年目、被災障がい者が、むしろ社会再編の好機と考え、社会参加を試みて行く。JDFの小山貴さんたちの試み。一方自治体職員を追い詰める復興の重圧の状況を伝えて行く。


(以上)

----- ここまで -----

夜間傾聴:**君

(校正1回目済み)

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4/7 **君の保護と…/新年度の始まり

2015-04-08 05:43:17 | 地震津波災害ボランティア

2015/04/07 記
--------------

**君は、しばらく塾長宅で寝起きすることになった。孤立感を膨らませない措置だった。彼の地域の民生委員さんを無理やり引っ張り出した無理があるが、経過を共有してもらうことにした。塾長夫婦には、食費と宿泊費を出せといって、居候感を減らした。塾長夫婦は、彼に相談されたら助言するだけで、彼に時間を与えていただいた。若年者ではないがゆえの悩みもある。

相模大野校の会議を今日は欠席させてもらった。以前、引きこもり青年の社会復帰に携わっていた古株専任講師には、**君の事態の大切さはわかる。爺ぃゆえの許しだが、来週初めまで休ませてもらった。この間、無給となるが。

塾長からは、今年度、やや遠い訪問指導の不登校バイパス指導を頼まれた。お世話になった分、塾長が担当してこなしていた厄介な場所の子を分担することになった。交通費は支給されるのでよしとする。

-------

「わーくNo.053」は4ページ構成になった。新QRカードの製作レポートは、**君の件で間に合わないので、SOSカードとの整合の話を先に書くことにした。

仮設転出期の単身者孤立を避ける仙台のパーソナル・サポートセンターの試みを調査中。

急がばまわれ、とにかく、やれることをやること。


<参考>

●「知的・発達障害児向け傷害保険 賠償責任や弁護士費用を補償」(2015/4/3 朝日)

夜間傾聴:**君
     ひとり

(校正1回目済み)

 

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4/6 **君を相続相談の専門職につなぐ/茅ヶ崎市「アイデア提案コンテスト」他

2015-04-07 05:53:41 | 地震津波災害ボランティア

2015/04/06 記
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夕方の相模大野校の面談を済ませ、**君在住自治体の役所の生活相談窓口担当者と、時間外なので私的に会った。知り合いのボランティアだから会ってくれたのだ。相続問題は彼の生涯を決めて行く大きな岐路であり、直接弁護士会に誘う前にやり残しの部分があるように感じたからだった。相続の問題は、これ以上私の立ち入るべきところではないので、彼が騙されない信頼のおける専門家つなぐ必要があった。

彼には、役所窓口にまず相談し、今後のことを決めるといいということで、仲介をすることの了解を得ていた。

叔母さんのことは、ここでは書けないので割愛するが、石橋を叩いて渡る必要があった。日程を調整して連絡が彼と私のところに来ることになった。経過は民生委員さんにも報告済みである。直接民間業者が入らないように、彼にも過去の事例を紹介してある。叔母さんからそういう働きかけがあったわけではないが、例え親戚からの斡旋でも、それは断わるようにと話してある。

彼の孤立感や心の痛みは、心療内科との関係の中で友人として引き受ける。明らかな実費以外、すべて無料を通す。

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しかし今回のことは、希望の手がかりが人を苦しめる過去を踏まえたいと思う。今の彼といういびつに膨らんだ風船のような心を踏み越えてはならないのだ。ふたりの尊い命が消えている。その戒めだけは、忘れまいと思っている。

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懇話会ゲストの件が進まないので、やはり一度面会を求めることにした。郡山だが、定期的に東京にいらしているようなので、そこで調整を図った。応答待ち。

仮設転出期の単身者孤立の経験、認知症高齢者支援の発災時中断の両課題を神戸から実情を聴く段取りを並行して始めている。私の提案、高齢者関連協力者のいない状態からの提案なので、今年度は、施設の関係者巡回を今年度いれるつもり。

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茅ヶ崎市役所が「アイデア提案コンテスト」をしている。4/30締切。「QRカード」は「おくすり手帳」「住基カード」との関係を整理した方がいいという事情と、以前Ver.1.0の提案をしているので、見合わせた。

避難時の災害弱者誘導と、率先避難の研修終了資格を持たせた市の防災研修を高校課外学習に組み込むノウハウ。静岡「市民トリアージ」に学ぶ話(安田医師の関係者研修)の2点を出す。

主眼は自分なりの防災と危機管理を日常に組み込むこと。

また関係者の沈黙に出会うことは、目に見えているが、安全避難と救急法訓練の浅瀬作りを考える必要がある。しかしいずれもまた、災害弱者支援の接点を意識していくことが難しい。余計な提案になるだろうか。

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夜間傾聴:**君
     ひとり

(校正1回目済み)

 

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4/5 **の孤独と危うさ・夜間傾聴サポート 他

2015-04-06 05:41:43 | 地震津波災害ボランティア

2015/04/05 記
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今朝の夜間傾聴は大延長となった。**君の不安は極限まで達して動揺していた。唯一の血縁の叔母さんとの対面が、彼にのしかかってきた。私のところに専用電話をかけてきたのが午前5時前。発作の予感に薬を飲んだが、不安でと彼は私との絆を保とうとした。彼は塾長宅に向かわず、自宅に戻っていた。初対面の塾長夫婦に迷惑をかけまいと、自宅に戻ったのだった。

込み入った話をすることは避け、東京駅周辺の飲食店話などをしていたが、眠気が出たのか、結局8時ごろで彼の対話は終了した。塾長から9時頃、前日**君が来なかったことを心配して電話がかかり、11時には**君が「これから叔母と会います」という電話。私がその電話をしている間に、母がいつの間にかでかけていた。市内の趣味の会に行っているのだと気がついた。

**君は、眠れたのだろうか。母は12時過ぎに先方で昼食をとるという。私は結果的に徹夜となり、昼過ぎ塾長と会ってから、図書館で司書には、ないしょの仮眠。帰りに小雨の北茅ヶ崎からサポセンに立ち寄った。なんとも恥かしいことだが、社会の窓が開いている怪しいおじさんを演じていたのだった。

サポセンと茅ヶ崎図書館ポストにビッグイシューを配達し、配達はすべて終わった。

映画「みんなの学校」の紹介メールあり。詳細後日。

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<参考記事>

☆障がい者の安全避難(仙台)なかなか精神障がいや発達障がいと取り組みに出会うことは稀だ。今年3月に懇話会のゲストになってくださった田所英賢さん(全国コミュニティライフサポートセンター石巻グループ長・あがらいん運営)のところで焼き菓子を始めた。QRコードを活かす事例、被災地にも。しかし、これではねえ…。

●(障がい者の)「避難考える 仙台でパネル討論」
●「あがらいん+アゲイン=焼き菓子「あがいん」」
●「QRコードで被災情報 東松島10ヵ所に表示」


夜間傾聴:**君のみ
     他は臨時休業

(校正2回目済み)

 

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4/4 **君の岐路に寄り添うということの難しさ

2015-04-05 05:21:43 | 地震津波災害ボランティア

2015/04/04 記
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昨日、**君は疲れきって熟睡していたため、無理に慰労会をやることをあきらめていた。彼の叔母さんが帰国する件、素直に喜べない年配者の老婆心があった。彼の今後の資産管理のことだ。何十年も音信不通だったという叔母さんがどのような方か気になるのだ。

彼は心身に困難があり、安定した就労を維持することが困難だ。その持病が彼の自信を奪っている。技能鍛錬のいる父親の職業は廃業せねばならない。資産といっても一生安定生活できるほどの額ではない。廃業手続きにも同業者の眼差しがないと、買い叩かれるのは目に見えている。

彼の住んでいる地域自治体の住民相談に寄り添う了解を彼に取っていたが、叔母さんの登場で様子見になっている。

**君は、叔母さんの帰国時、空港に向かわず私と会いたいと我が家にやってきた。塾長夫婦を紹介してくれたことへのお礼を言いに来たのだ。今後も付き合ってくれるそうですと彼は喜びを隠せなかった。彼には野生の勘がある。大丈夫な人種だと判断したようだ。彼の好きな珊瑚礁のインスタントカレーを食べて塾長の家に「帰って」行った。

今日は相模大野校の方では,新入りの講師の歓迎会が行われている。私は欠席、「わーくNo.53」を書き始めている。

夜間傾聴:ひとり

p.s.
●「QRコードで被災情報 東松島10ヵ所に表示」


(校正1回目済み)

 

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4/3 葬儀は見送りのみ、焼き場は彼と塾長の奥さんのみで…

2015-04-04 05:37:13 | 地震津波災害ボランティア

2015/04/03 記
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資産があるとみると、葬儀屋はたかるねえと、私が相模原の教室に着くなり、塾長の奥さんが語り始めた。見送りに病院関係者がふたり来てくれたとのこと。彼は静かに覚悟していたかのようなドライな無表情をしていたとのこと。これはこれで危険サインではあるのだが、奥さんは彼を自分の家に戻るのを引き止めた。誰もいなくなった、加えて思い出の染み付いた家に、ひとり帰すのは、よくないと思ったその判断は私と同じだった。

骨を拾う作業は、彼自身知らなかったようなのだが、塾長が焼き場の職員任せにした方がいいのではと、**君に了解をとって、意味が通じないような承諾だったが、担当職員にその旨を伝え、骨壷にいれた状態で喪主**君に渡された。

塾長は**君に酒を飲ませ、彼は2階で寝ているという。

**君は、私をぼろぼろと表現し、休んでください、お墓は逃げないからと、気遣ってくれた。年長者として情けなかったが、代理の塾長夫婦に任せることにした。

そのかわりに、ここの教室で、お疲れさんの食事会をしようということになっていた。

彼の叔母さんが明日到着するが、夜になるので月曜日に墓地で合流することになったこと、葬儀屋が墓の斡旋等結構うるさかったこと、相続の件であれこれ言い立てていたので、この辺は私が間をおいて伴走することにした。夜間傾聴や対面相談で、あえてこれは、彼の今後とくっつけて話すことは避けるつもりだ。そんなことは百も承知。今、この壁を越えるのも方法だと思う。しかし**君の場合は、自分に無理を課す。それがみえみえだからだった。いつもそれで続かないのだ。

私も経験したことがない、資産ある引きこもり青年の人生補佐が始まる。母方の叔母さんとの面会の際、問題が起こらねばいいのだが。

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町田経由で相模大野校に向かった。今日は非番。元の事務長と待ち合わせて、**君の相続相談の予備知識を伝授してもらった。彼のガードは、やはり専門屋を挟んだほうがいいようだ。

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母親が桜の花びらを袋にいれて持ち帰ってきていた。花見だという。「猫・電車・長谷川さん」と私のつぶやき。さすがに母親には通じない。まあ、いい。

夜間傾聴:**君
     ひとり

(校正2回目済み)

 

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4/2 質素な葬儀・今後の彼のサポートを考えつつ

2015-04-03 04:56:37 | 地震津波災害ボランティア

2015/04/02 記
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塾長の奥さんから電話が入っていたが、斎場の小さな一室まで行ってきた。路上生活者や身元不明の路上死者の葬儀の場合、通夜通夜をせずに焼き場に持ち込む直葬が行われるが、**君の希望で通夜を行った…と言っても、塾長の奥さんいわく、男は邪魔でしかないからねという耳が痛い言葉もまた真実だと思う。

**君と奥さんは面識がない。私のHelpに応じて夫婦で応援にきてくれた。私は、**君をひとりにしたくなかった。皆が来る前に電話で彼と話をぶつけた。「大丈夫か」余計な遠慮を呼ぶ言葉はできるだけ剥ぎ落としたかった。彼から帰ってきた言葉は、発作数時間前の父親との会話のことだった。私の言葉に対する言葉の応答ではなく、私に聞かせたい体験を語ってくれたことは、記憶を分かち合うという親しさを届けてくれたのだと感じた。少し我が家に泊まるかというが、塾長さんにも同じことをいわれたと笑みを返してきた。

彼と塾長夫婦が張り付き、民生委員さんが覘きにきた。明日はMSWさんたち病院関係者が見送りに来てくれるという。明日葬儀を終えたら、彼が塾長宅にいき、私と合流する。

先ほど塾長の奥さんから電話が入り、彼はしっかりしていると感想が返って来た。今は気が張っているからねえと奥さんは言う。当分、夜間傾聴で彼をサポートしていく。

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**君と会った帰り、湘南台でビッグイシューの販売員さんと会い、同誌を買った。今回は「路上のうた」(700円/冊)も入っている。ホームレス川柳集だ。

「ビッグイシュー」と「路上のうた」は、早々に配達終了。あと半数は明後日配達する。

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精密部品検査などに使うリングライト付き拡大鏡は、周辺部分の歪み(球面収差)をとっていないため、特に縦書き文字の読字が行跳びを起こしたりと使いにくかった。

私の身体障害者(視覚)手帳の段階では、拡大機購入時の助成が受けられるか心配していたが、視覚障害の手帳があれば、等級に関係なく安くてに入るとのことで、月中、拡大機を買い換えようとおもう。

骨折した跡の残る足が異様につって、先ほど芍薬甘草湯で抑えたところだ。季節の変わり目が一番いけない。帰宅時間の遅れをごまかすために、冷凍かつおとイカそうめんを解凍し、夕食とした。茶碗蒸しもつけたが、深夜、腹がわめいている。

生活困難者自立支援法の資料関係を読みながら、暖めたミルクをあおった。反動で眠気が来て困っていると、**君からメールが飛び込んできた。ポートランドにいる叔母さんが帰国すると連絡があったとのこと。叔母さんとは二十年ぶりで、記憶が薄いのだとのこと。葬儀には間に合わず、翌日だという。彼の不安な気持ちが伝わってきた。

私の関係している若い子たちは、割合国際色があることに気がつく。塾長のところのアジアンは当然として、東京南部の塾はある国際団体の関係から移ってきた、いわゆる「手のかかる子」たちだったからだ。どこか未来のとらえ方が、国内オンリーの子たちとは違う気がする。私のような地縛霊びっくりのような人間とは違う。

3.11当時、避難所だったところの管理者がネットワークを組んで、経験を語り合っているという話が入ってきていて、情報収集を始めた。福祉避難所関係者をつかめないか…。

夜間傾聴:**君
     塾長の奥さん
     ひとり

(校正1回目済み)

 

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4/1 年度が切り替わり様々な制度が始まったが…まずは仕切りなおしを

2015-04-02 05:04:25 | 地震津波災害ボランティア

2015/04/01 記
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不登校・引きこもりの支援活動をしていく上で、「居場所」という舞台は、必要不可欠のように改めて感じていた。訪問支援型の支援活動は、当事者相互が協力しあうことはない。今回の**君の不幸のように、人生の大きな局面に出会ったときでさえ、今の彼を支える友人がいない。長い引きこもり生活の結果だった。

MSWさんが成人後見制度の話を切り出したらしい。しかし、彼には自己管理能力がある。ただ社会の糸が切れている常態なのだ。彼とは、東京南部の塾の講師をしていた頃からだから、15年を越えている。精神の手帳をとることを勧めていたのだが、父親の強い要望もあって、丁度一年前まで、ずるずると現状を続けていたのだった。

彼はときどき短期のアルバイトもしていた。近場のサイクリングをした時期もあった。大学進学も可能な学力もあった。それだけに、しょっちゅう、道端で動けなくなることもあって、私との携帯電話で、父親到着までのサポートをしてきた。その父親は、もういない。

相模原の者ではないので、塾長と引き合わせてこなかったが、私と比べれば、半分の時間で彼と出会えた。少々後悔している。母親はシアトルのA子の親と同業の友人で、すでに亡くなっているが、母親の妹さんが健在だ。A子に連絡をとって、間接的に妹さんに話を伝えてもらった。応答待ちだ。

葬儀は、父親の遺言どおり密葬で行い、民生委員さんと、塾長夫婦が支えてくれることになった。私は通夜に顔を出すだけ。彼を我が家の離れに住まないかと話したが、私の母の反対にあって頓挫している。彼には資産があるので、今の家を離れられないという。通夜はMSWさんも個人的に、付き合ってくれるという。民生委員さんの連絡で地域自治会の会長も見送りに参列する。直葬にはしなかった。

葬儀屋との交渉には、彼の許可を得た上で。塾長が立ち会う。雪だるまオプション追加を防ぐためだ。

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そうこうしているうちに、4月になってしまった。ビッグイシューの販売員さんと連絡をとった。明日、同誌を受け取る。

29日のワーク・ショップにビッグ・イシュー社にボランティアで入っていた++さんと会った。先方は覚えていない風だったが、引きこもり青年の居場所作りに、貧困が主因という発想は、彼のボラ体験が影響しているのではと、想像している。

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6月懇話会の交渉不成立の時の、代わりの人材を探している。障がい者関係の施設の関係者を捜しているが、障がいの領域は多様なので、困難のあり方も様々だ。私の郷里のような発達・精神障がいの領域からの候補がまずほしいと思っている。知的のほうに拡げて行く。こちらは安全避難もさることながら、避難後の第二の波(『無理解と差別の波』、ちなみに、『すべての人の命の危機の波』が第一の波だ。)が話題の中心になる。成人障がい者を取り上げたい。JDFルートから打診をしている。これは、冬期の懇話会候補にもなる。

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p.s. 透析医のひとりの下調べ。石巻赤十字病院と橋渡し可能か。

   参加者にしか見えないところでの対立経過が持ち越されて
   ふたりの共通のホーム団体に戻ったとき、その団体の場の
   極端な衝突を団体の関係者には理解できないだろう。この
   とき背景の説明は意味をもつだろうか。10余年来の空転を
   改めてかみしめている。

夜間傾聴:**君(葬儀の件他)
     ひとり
     塾長

(校正1回目済み)

 

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