2015/04/12 記
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海老名で個別指導を済ませて茅ヶ崎に下りたとき、相模線の車内に折りたたみ傘を忘れてきたことに気がついた。改札を出てしまった後だったので、駅員に確認を取って構内に入ろうとしたが、遺失物係のところに行くようにという形で、車内に立ち入ることを許してくれなかった。すぐそこの車内に傘があるのに、捜すことができないのはおかしいと交渉したが、それは相手を頑なにさせるだけだった。どろりとした怒りを飲み込んでバスに向かった。考えてみれば、辻堂に用ができていたので、カードで入場し、相模線車内を捜して、東海道線に乗ればよかったのだが、機転がまわらなかったのは、疲れている証拠だった。
東京の**子の家が改築をめぐって、また荒れていた。駆け込み寺として近所の住職は事情を了解していたが、私も住職も、家の中の問題に立ち入ることはできない。ただ、**子の無茶を避ける形の支援で動こうとしていた。
春先というのは、毎年いろいろな問題が一斉に始まる。**君は塾長宅に一時居候させたが、さっそく昨夜から行方不明になっていた。彼の自宅にもいないので、塾長の奥さんがかれの挙動に不穏なものを感じ、私の元に連絡を入れてきていた。もともと**君のことは、今回の事態で出会っただけの関係なので、彼の行き先の見当など無理な話だった。
結局、彼の音信は途絶えたままだ。旅かなと思いつつ、彼は自分を追い込んでいる感触はないので、親しいメル友ひとりに問い合わせをかけただけで、待つことにした。
ここには書けない子がもうひとりいる。無茶をしなければいいがと思っている。定時制に通っている子だが、こちらは定時制の担任が調停に入っている。
早く家に戻ったので、夕食は面倒でないもので済ませ、食器を洗っていると、%%君から電話が入った。彼一流のご挨拶だった。私以上に変な奴なのだが、歪んだバイタリティに彼の魅力がある。3回ほどかかってきたが、私は疲れていたので気持ちをいれて話せなくて失礼したが、逆に私の疲れが消えていた。
嵐のような一日だった。明日、晴れて見通しがでてくるといいのだが。
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6月懇話会のゲストを福島から頼むことにした。いまのところ、電話とメールだけですみそうだが、連休明けに福島に出かける。
閖上の復興をまとめた冊子が出た。申しこみを済ませた。
●「閖上復興 思い熱く 住民有志、記念誌発刊」
夜間傾聴;なぜか開店休業
(校正1回目済み)