湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

6/20 障がい者にとっての災害対策活動の温度差とは

2013-06-21 06:09:34 | 地震津波災害ボランティア
2013/06/20 記
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2013/06/20 記
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災害看護の黒田裕子さんと再会できそうだ。慈恵医大の看護学科の**さんとふたり、それぞれ別々だが懇話会の講師の件に進展があるといいのだが。

講師選びは、少し憂鬱になっている。本当の意味で被災地の生活再建のネットワークの状況を語ることができる方は、現場簿の方だ。ざっくり見通しを見せてくれる黒田さんのような方も必要だが、私たち支援者は、現場感覚に触れる必要がある。ところがそれを第一義的に考えて講師選びをすると、おそらく茅ケ崎側からの関係者参加は無残なことになってしまう恐れが強い。

それはいいかえれば、被災地と茅ケ崎の距離感、災害と関連活動の緊迫感の差異のようなものだ。被災地の諸活動に携わっている方の実践を、その土地と社会の抱えている問題として、問いかけの背後に透けて見えてくる普遍的な課題を感じ取っていない実情といえよう。しかし、このブレスのようなものをじっくり聞き取る場が必要なのだ。下手に一般啓蒙に取り込まれずに、ケアの支援関係者が実情と見通し、局面打開の知恵をつかみとる場が、別個に必要なのだ。

実践の語りに触れてもらいたいと思いつつ、こわい。この地元生活支援関係者に話すが、どうも噛み合っている感覚がつかめない。黒田さんや慈恵医大**さんが状況打開の契機になるといいのだが。

SNSで知り合った関東の自閉症協会のある役員さんと、メールで意見交換をした。そのなかで、もやもやとしていたものが少し晴れてきたのだが、ドキュメント映画「先祖になる」が描いていた地域に「ともに生きる」と言ったとき、そこに共感と併行して冷え冷えとした違和感があった、その「違和感」の中身が要援護者支援の災害ボランティアに投げかけられているもの、つまり、健常者が「頑張って」地域復興に尽力しているときに、「足手まといにならないように」息を潜めている人たちがいるという現実だ。障がい者や身辺自立困難な高齢者等、社会的弱者の悲しい立場だ。団結の絆という熱気が強いほど、存在が薄らげていくひとたちのことだ。この方々は被災という非日常の不便と困難を吹きさらしに浴びているにも関わらず、固く口を閉ざしている人たちだ。

要援護者の救援・支援を語るとき、支援者が抱くイメージは、身体的困難・生命活動維持への困難を語る。ところが精神障がい・発達障がい・知的障がいの領域の方は、ハンデを負いつつも健常者に追従することで、急性期を乗り越える。健常者が差し出す枠に従って避難していけば、あとは「迷惑をかけないように」生きていけば、山場は乗り越えられると考える立場だ。

この気持ちが広がってる障がい領域の方は、実際被災時命の危険に直結する身体障がいの方々とも歩調が合わないだろう。支援者の関わりがこういう立場の差を踏まえて、そこを融合推進していく活動を生み出さねばと思うのだ。

自閉症協会の##さんは、安全避難よりも避難後の避難生活に課題を感じるという。活動推進、孤立当然と思ったほうがいい。

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サポチガの昼食会のとき明かしたが、震災津波被災のとき、かなり役に立つスマホ・アプリを探っている。(天サイまなぶ君ではない。)そこで困っているのは、アプリの信頼性を如何に担保するかだ。製作者が個人なのだ。この方が、ウィルスやいたずらを仕掛けていない信用できる方の製品だと如何に証明したらいいのか困っている。

犬のモナの問い合わせが夜中にあった。大型犬と知って破談となった。つい最近もどうような問い合わせがあった。今年はこれで4件目だ。しかし住宅事情もあるので、やむを得ない。


夜間傾聴>ひとり+医療従事者ひとり


(校正2回目済み)

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