2013/06/16 記
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一昨日は法事と社会活動が重なるというあまり体験したことのない一日となった。この日の朝、一件の夜間傾聴の依頼を預かった。その少年の仲間が突然家にやってきて、玄関前をうろついているという。いじめが原因で引きこもった子だが、彼の祖母が警察に連絡を入れるが、それらしい人物がいないという話があり、私は2つの可能性を感じとっていた。朝の電話はその祖母が、今回は塾を通じず、もとの東京南部の塾の関係者からの紹介でアクセスしてきた。当人、怯えて震えているので、至急面接をして欲しいという話だった。
地域は相模原の塾や、相模大野とも違う東京南部だったので、古い友人の杉並のPSWさんに真夜中、話をつけ、様子次第で東京南部の関係者に引き継いで欲しいと依頼した。迷惑がったが、家族に精神科への偏見があるので、慎重に対応して欲しいと、無理にお願いした。またもう一方の可能性もあるので、見立てが違ったら、警察に捜査の依頼を家族を支える形で警察にのりこんで、だしてほしいと依頼した。先方が現役だから頼める、とんでもない話である。
私の事情がわからないPSWさんから、仮眠している私の眠りを断つように、まもなく経過報告の電話が入り、結局一睡も出来ぬまま、時期遅れの暑い喪服を着こんで、着替えを抱え込んで菩提寺へと向かった。
こういうときはろくなことをしない。11時からの49日法要は時間の聞き違いで午後1時からだった。母の聞き違いだった。中途半端な田舎町である。2時間の時間を潰すところがない。隣駅なら、粘れそうなパスタの店があった。茅ヶ崎周辺にはないが、食事カードが効く某チェーン店と思い、ついでに食事を済ませておこうと、その店に入って食事。ばれないように仮眠を取ることにした。
12時半に目が覚め、慌てて支払いを済ませようとしたら、食事カードの扱いをしていないという。そんな馬鹿なと一覧表を見せると笑われた。カタカナ2文字違いのローカルな店。ならばとVISAがついたカードをさがしたが、家に置いてきてしまった。現金払いしたがいかにも懐が乏しくなり、時間が迫っているというのに、近くに行きつけの銀行が無く、タクシーを使うには、現金が足らなかった。ひとに聞かせられないようなお粗末な話だったが、路線バスが偶然来て、それが天の助けとなった。
時間にぎりぎり間に合ったが、いつも父の宗教と私の家族介護と独身とボランティア(蔑みを込めて)をもって慇懃無礼な事をいう常識絶対の針の山に飛び込むこと。冷や汗を書き通しで父母の代行も済ませてきた。納骨の最中、私の専用携帯が鳴り出した。マナーモードになっていたが、振動が明らかに周囲に聞こえてしまうのだった。
電話はPSWさんからだった。警察署にいるという。見立ては精神障がいではないだろうとのこと。彼の筆跡と異なる脅迫じみた落書きもあったという。PSWさんにお礼をして電話を切った。
席をはずして話していたが、浄めの膳の席の電話だった。店の外に出て話していたが、タバコを吸いに出てきたふりをして、悪意のある遠い親戚の某は、私の電話を聞き取ろうとした。つまらない話だが、先方も某仏教系宗教の信者さん。ともかく私はセクト(宗派)の偏狭さが嫌い。坊主憎ければ袈裟までのとばっちりを受けているのだとわかっていた。爺い相手に、お馬鹿な話である。
用事が出来たのでと、膳の席を中座して、このまま帰ると伝えた。弟の分も含めて、大きなお返し(何というのだろう)の袋を3つも抱えこまされて店を出た。
このあと、17時に横浜・寿町で路上生活者の販売員さんから、ビッグイシューを買う約束があった。湘南販売が健在だったころ、公的施設や外出困難な方への定期販売分を残していた。その分を販売員さんから買うのだ。横浜往復の交通費は私持ち,販売価で買うので一銭の儲けもない資金持ち出しの話。当時の支援者の方が公的施設分の半分を自腹で買ってくれている。図書館分は寄贈だ。湘南の販売員さんが資格剥奪、支援者が仲介資格剥奪という憂き目を見たが、かと言って、購読者さんに軽々しく「やめました」とは言えないということで、巻き添えを嫌がる横浜の販売員さんから、無理を言って300円/冊の販売価で買い取って、購読者さんに黙って届けている。
着替えは中途駅のコインロッカーに入っていた。それを取り出したが、さあ、障がい者用のトイレが、いっこうに空かない。約束の時間に間に合わせるタイムリミットがせまっていた。とにかく慌てて着替えをしたが、今度はお返し(?)の荷物がかさばってコインロッカーに入らないのだ。ロッカー前で、利用者の取り出しを待つこと15分、やっともうひとつが空いて、遅刻も遅刻、30分遅刻で販売員さんと会うことができた。約束破りを、重ね平頭し、前回分1冊を買うことで許してもらった。着替えたというのに汗だく。逗子に移動し喫茶で夕食と19時半までの仮眠。
最後は逗子の Cinema Amigo という私設映画館で池谷薫監督の作品「先祖になる」を観てきた。被災した陸前高田の木挽職人・佐藤直志さんのドキュメント。20時からの1本切りの上映。JR逗子駅から、葉山一色行のバスで、富士見橋下車徒歩5分の海岸線住宅地の中に映画館はある。
入って驚いた。私以外観客がいないのだ。会場は10数人でいっぱいの席、ホームシアターにバスレフの癖のある大型スピーカーがふたつ構えている。オーナーに「ひとりでいいのかな」と問うと、「20時になったらはじめます」と平然としている。ドリンク付¥1,500-。ひとりとは、なんとも贅沢な上映会を味わってきた。今、私が上映会をやればもっとすごいことになる。「また飛田かいな」ということで、上映者だけの会になるだろう。今、活動の時局に必要な内容なら、趣旨説明巡回を踏まえて、会場の空気相手に必ず上映をするだろう。それがこの指とまれ方式の節操である。
作品は被災者・支援関係者なら、びしりと決まった近未来への暗示に、腕のいい映画人・池谷薫監督の表現に鳥肌がたった。主人公の被災した自宅は2階まで水浸しで使い物にならない。自分の息子は消防団の責任者だったが、目撃者によれば、歩けない高齢者を担いで、逃げ切れず津波に飲まれて殉死した。老夫婦と嫁の3人家族だが、主人公佐藤直志さんは、家の建て替えをすると言い張り、市行政の新築規制と自治会を立てて戦い、一方、妻と嫁は仮設住宅移転を申請、移住した。息子の死、集落の結びつきへの評価等をめぐって、家族の中でさえ意見対立が起きている。
さらには、「息子の分まで」と張り切る主人公。ところが棟上式の場で、腰が痛いらしく、無意識に腰をたたいていた。これは後で明かされるのだが、死期宣告のすでに過ぎた癌を抱えているが、無医状態の地域からCTのある病院に通い、湿布薬だけをもらうために、遠方通院していることや、余命が少ない事を知らされた。再建の様子の見え方が二転三転する。主人公ひとりが、新築の家に住んで、妻と嫁は仮設生活のままだ。
通年で記録しているので、疲労が顔に次第に出ていることに気付かされる。端材伐採した木を有効に使い、家は市の助成金でなんとか建って、新築の室内、日の出を見ながら作品が終わっていく。
陸前高田の巡回七夕・けんか七夕山車の勇壮な祭りの実行委活動が描かれる。地元代表が、挨拶も感涙にむせびながら、気仙町荒田地区のつながり維持を訴えていく。この映画は現被災者の矛盾する心情にピタリとピントがあっているのだ。
ただ一般啓蒙用にはならない。被災者と家族、支援者は改めて感じるものがあるだろう。
私はふたつの感想を持った。
この人たち(被災高齢者)を、決して潰してはならないということ。
地域が結束して気勢があがればあがるほど、姿が希薄になる人たちがいる。歩行が困難な高齢者・障がい者そして幼い子どもたちだ。男衆が熱くなればなるほど、彼らは見えなくなる。邪魔にならないようにと身をひく存在がいること。封じてはならない。
これは誰も描かない存在、心に留め置くは関係者の矜持である。
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帰りの富士見橋からのバスは、休日でも23時台まである。
ただ私は途中で着替えと荷物3つを抱えて駅の階段を走り、茅ヶ崎駅北口発23:15終バスに飛び込み、扉を叩いて開けてもらい、間にあった。
1時からは、朝の警察沙汰の報告をPSWさんから得ていた。私と同い年のラテン系っぽい人物で、頼みには、のってくれるが後が怖かった。やはり「おごれ」が出て、報告が終わったのだった、やむなし。
少年は学校不信があり、結局は警察とPSWさんがつなぎに面倒をみることになった。勿論、PSW氏遠隔操作を私がやることになるだろう。
(cf,)
●「映画『先祖になる』オフィシャルサイト」
●「逗子 Chinema Amigo」
夜間傾聴>PSW氏
(校正2回目済み)
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一昨日は法事と社会活動が重なるというあまり体験したことのない一日となった。この日の朝、一件の夜間傾聴の依頼を預かった。その少年の仲間が突然家にやってきて、玄関前をうろついているという。いじめが原因で引きこもった子だが、彼の祖母が警察に連絡を入れるが、それらしい人物がいないという話があり、私は2つの可能性を感じとっていた。朝の電話はその祖母が、今回は塾を通じず、もとの東京南部の塾の関係者からの紹介でアクセスしてきた。当人、怯えて震えているので、至急面接をして欲しいという話だった。
地域は相模原の塾や、相模大野とも違う東京南部だったので、古い友人の杉並のPSWさんに真夜中、話をつけ、様子次第で東京南部の関係者に引き継いで欲しいと依頼した。迷惑がったが、家族に精神科への偏見があるので、慎重に対応して欲しいと、無理にお願いした。またもう一方の可能性もあるので、見立てが違ったら、警察に捜査の依頼を家族を支える形で警察にのりこんで、だしてほしいと依頼した。先方が現役だから頼める、とんでもない話である。
私の事情がわからないPSWさんから、仮眠している私の眠りを断つように、まもなく経過報告の電話が入り、結局一睡も出来ぬまま、時期遅れの暑い喪服を着こんで、着替えを抱え込んで菩提寺へと向かった。
こういうときはろくなことをしない。11時からの49日法要は時間の聞き違いで午後1時からだった。母の聞き違いだった。中途半端な田舎町である。2時間の時間を潰すところがない。隣駅なら、粘れそうなパスタの店があった。茅ヶ崎周辺にはないが、食事カードが効く某チェーン店と思い、ついでに食事を済ませておこうと、その店に入って食事。ばれないように仮眠を取ることにした。
12時半に目が覚め、慌てて支払いを済ませようとしたら、食事カードの扱いをしていないという。そんな馬鹿なと一覧表を見せると笑われた。カタカナ2文字違いのローカルな店。ならばとVISAがついたカードをさがしたが、家に置いてきてしまった。現金払いしたがいかにも懐が乏しくなり、時間が迫っているというのに、近くに行きつけの銀行が無く、タクシーを使うには、現金が足らなかった。ひとに聞かせられないようなお粗末な話だったが、路線バスが偶然来て、それが天の助けとなった。
時間にぎりぎり間に合ったが、いつも父の宗教と私の家族介護と独身とボランティア(蔑みを込めて)をもって慇懃無礼な事をいう常識絶対の針の山に飛び込むこと。冷や汗を書き通しで父母の代行も済ませてきた。納骨の最中、私の専用携帯が鳴り出した。マナーモードになっていたが、振動が明らかに周囲に聞こえてしまうのだった。
電話はPSWさんからだった。警察署にいるという。見立ては精神障がいではないだろうとのこと。彼の筆跡と異なる脅迫じみた落書きもあったという。PSWさんにお礼をして電話を切った。
席をはずして話していたが、浄めの膳の席の電話だった。店の外に出て話していたが、タバコを吸いに出てきたふりをして、悪意のある遠い親戚の某は、私の電話を聞き取ろうとした。つまらない話だが、先方も某仏教系宗教の信者さん。ともかく私はセクト(宗派)の偏狭さが嫌い。坊主憎ければ袈裟までのとばっちりを受けているのだとわかっていた。爺い相手に、お馬鹿な話である。
用事が出来たのでと、膳の席を中座して、このまま帰ると伝えた。弟の分も含めて、大きなお返し(何というのだろう)の袋を3つも抱えこまされて店を出た。
このあと、17時に横浜・寿町で路上生活者の販売員さんから、ビッグイシューを買う約束があった。湘南販売が健在だったころ、公的施設や外出困難な方への定期販売分を残していた。その分を販売員さんから買うのだ。横浜往復の交通費は私持ち,販売価で買うので一銭の儲けもない資金持ち出しの話。当時の支援者の方が公的施設分の半分を自腹で買ってくれている。図書館分は寄贈だ。湘南の販売員さんが資格剥奪、支援者が仲介資格剥奪という憂き目を見たが、かと言って、購読者さんに軽々しく「やめました」とは言えないということで、巻き添えを嫌がる横浜の販売員さんから、無理を言って300円/冊の販売価で買い取って、購読者さんに黙って届けている。
着替えは中途駅のコインロッカーに入っていた。それを取り出したが、さあ、障がい者用のトイレが、いっこうに空かない。約束の時間に間に合わせるタイムリミットがせまっていた。とにかく慌てて着替えをしたが、今度はお返し(?)の荷物がかさばってコインロッカーに入らないのだ。ロッカー前で、利用者の取り出しを待つこと15分、やっともうひとつが空いて、遅刻も遅刻、30分遅刻で販売員さんと会うことができた。約束破りを、重ね平頭し、前回分1冊を買うことで許してもらった。着替えたというのに汗だく。逗子に移動し喫茶で夕食と19時半までの仮眠。
最後は逗子の Cinema Amigo という私設映画館で池谷薫監督の作品「先祖になる」を観てきた。被災した陸前高田の木挽職人・佐藤直志さんのドキュメント。20時からの1本切りの上映。JR逗子駅から、葉山一色行のバスで、富士見橋下車徒歩5分の海岸線住宅地の中に映画館はある。
入って驚いた。私以外観客がいないのだ。会場は10数人でいっぱいの席、ホームシアターにバスレフの癖のある大型スピーカーがふたつ構えている。オーナーに「ひとりでいいのかな」と問うと、「20時になったらはじめます」と平然としている。ドリンク付¥1,500-。ひとりとは、なんとも贅沢な上映会を味わってきた。今、私が上映会をやればもっとすごいことになる。「また飛田かいな」ということで、上映者だけの会になるだろう。今、活動の時局に必要な内容なら、趣旨説明巡回を踏まえて、会場の空気相手に必ず上映をするだろう。それがこの指とまれ方式の節操である。
作品は被災者・支援関係者なら、びしりと決まった近未来への暗示に、腕のいい映画人・池谷薫監督の表現に鳥肌がたった。主人公の被災した自宅は2階まで水浸しで使い物にならない。自分の息子は消防団の責任者だったが、目撃者によれば、歩けない高齢者を担いで、逃げ切れず津波に飲まれて殉死した。老夫婦と嫁の3人家族だが、主人公佐藤直志さんは、家の建て替えをすると言い張り、市行政の新築規制と自治会を立てて戦い、一方、妻と嫁は仮設住宅移転を申請、移住した。息子の死、集落の結びつきへの評価等をめぐって、家族の中でさえ意見対立が起きている。
さらには、「息子の分まで」と張り切る主人公。ところが棟上式の場で、腰が痛いらしく、無意識に腰をたたいていた。これは後で明かされるのだが、死期宣告のすでに過ぎた癌を抱えているが、無医状態の地域からCTのある病院に通い、湿布薬だけをもらうために、遠方通院していることや、余命が少ない事を知らされた。再建の様子の見え方が二転三転する。主人公ひとりが、新築の家に住んで、妻と嫁は仮設生活のままだ。
通年で記録しているので、疲労が顔に次第に出ていることに気付かされる。端材伐採した木を有効に使い、家は市の助成金でなんとか建って、新築の室内、日の出を見ながら作品が終わっていく。
陸前高田の巡回七夕・けんか七夕山車の勇壮な祭りの実行委活動が描かれる。地元代表が、挨拶も感涙にむせびながら、気仙町荒田地区のつながり維持を訴えていく。この映画は現被災者の矛盾する心情にピタリとピントがあっているのだ。
ただ一般啓蒙用にはならない。被災者と家族、支援者は改めて感じるものがあるだろう。
私はふたつの感想を持った。
この人たち(被災高齢者)を、決して潰してはならないということ。
地域が結束して気勢があがればあがるほど、姿が希薄になる人たちがいる。歩行が困難な高齢者・障がい者そして幼い子どもたちだ。男衆が熱くなればなるほど、彼らは見えなくなる。邪魔にならないようにと身をひく存在がいること。封じてはならない。
これは誰も描かない存在、心に留め置くは関係者の矜持である。
-------
帰りの富士見橋からのバスは、休日でも23時台まである。
ただ私は途中で着替えと荷物3つを抱えて駅の階段を走り、茅ヶ崎駅北口発23:15終バスに飛び込み、扉を叩いて開けてもらい、間にあった。
1時からは、朝の警察沙汰の報告をPSWさんから得ていた。私と同い年のラテン系っぽい人物で、頼みには、のってくれるが後が怖かった。やはり「おごれ」が出て、報告が終わったのだった、やむなし。
少年は学校不信があり、結局は警察とPSWさんがつなぎに面倒をみることになった。勿論、PSW氏遠隔操作を私がやることになるだろう。
(cf,)
●「映画『先祖になる』オフィシャルサイト」
●「逗子 Chinema Amigo」
夜間傾聴>PSW氏
(校正2回目済み)