湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

6/9 心のチャージの一日

2013-06-10 05:18:15 | 地震津波災害ボランティア
2013/06/09 記
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父の特養から衣類の追加を求められた。母と茅ケ崎駅前で衣類を購入したが、さて衣類に名前を入れなくてはならず、マジックインクでは、滲んで消えてしまうので、糸で刺繍することになった。衣類は生徒より言うことを聞かない。指を針で刺して慌てながら、なんとかカタカナを付けることができた。ただ靴下だけは別布に描いて、その布を縫い付ける作業が必要だった。男にやらせるのは酷だと母がグチるが、それは間違いだ。今、やれる者がやる。介護を何十年やってきたと思っているのかと母に反論する。母は黙ってしまった。介護は試金石なのである。

衣類をさっそく特養に届けた。父に面会するが、父が嚥下生涯を起こしてから、食べ物を持ち込めなくなったのだが、さて無口な父ととにかく話題が尽きてしまう。結局時間切れで退散してきたのだが、在宅介護のときは、食事・排泄・清拭・着替えなど様々な関わりがあって、それでなんとなく間が持てていたというか、格闘技のような日々だったから、ともあれ平穏のとき、手持ち無沙汰で、間が持たないのだ。

相模大野校で個人指導と父母面談を済ませて、ふとたまらなくなって湘南台で降りた。ここから茅ケ崎駅行きに乗ると、私が塾兼自然教室をやっていた遠藤地区を通る。誰も聞いていないミニFM局を2年半車載局の形で、子どもから引き受けたテープを、塾が終わってから、ぽつねんとひとり、週2回流し続けてきた場所を通った。買い出しがあるので湘南ライフタウンで乗り換え、駒寄に出た。

時は流れ去っている。しかし、私はここに根を下ろそうとし、介護の必要性と茅ヶ崎の教室の不祥事の引責で塾を閉じたのだった。古戦場に来てどうするのだと思うが、介護は両親を送り出せば、自分が厄介になって終わりを告げる。その有限の時間を噛み締めるために、ここを通過したのだとわかる。

この有限を自覚するから、いわゆる市民活動からはぐれていくのだということがわかる。懇話会とQR個人医療データカードのふたつを当座の核にしつつ、実を育てていくかが鍵なのである。

相模大野校に残していた「教育と医学」誌を引き上げてきた。ただの三流進学校にする発想の貧困さよ。

社協や高齢福祉課の賛同者と懇話会を詰めたい。屋上屋であるが、世話人会呼びかけ文を書いている。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

コメント
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