2013/06/26 記
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雨の一日。母が明日の大学病院の定期検査に備えて、白髪を染めてくると言い出し、美容室まで送る。ここの美容室は、我が家から近い。故・祖母の整髪のころからのお付き合いだ。
施設のデイサービスに祖母は通っていたが、月2回施設のカットサービスのあるときに合わせて、ショートステイしていた。基本的に入所者のみを対象にするサービスだが、ショートステイの時も、実際には洗髪・カットサービスを利用させてもらっていた。ところがショートステイ用ベッドの空きがなかったり、予約が多くて、入所者だけのサービスの回もあるので、なかなかサービスが受けられなかった。
そんなとき、祖母を車椅子に乗せて整髪サービスをしてもらったのが、この方のサロンだ。やがて車椅子移動も祖母の負担が大きくなって、逃げるこの方を追いかけて、我が家に出張を無理にお願いしたことを思い出した。
母もやがて車椅子で送ることになるのだろうか。
私は東日本大震災のとき、「美容券」制支援という方法を編み出した。今後起きる災害の回復期支援の方法としてメモしておくのもいいだろう。
3.11の震災が起こった直後、茅ヶ崎からも美容師さんたちが、避難所を回って、美容サービスを行っていた。ところがひと月も立たないうちに、そのサービスは中断せざるをえなかった。その問題点は2点ある。
・集団の中の美容行為の防疫上の問題点と免許の条件。
・地元同業者の復興活動との衝突。
この上の件は、美容営業は衛生環境を条件として許可になっており、避難所ではその環境が整わない。また、免許が都道府県が出しているので、取得県を超えるときは、営業申請が必要という四角四面の制限がふりかかってきたからだ。しかしそのボランティア活動中止を求めていたのが、地元同業者組合で、市役所を動かしていた。支援者としては青天の霹靂。これは、営業活動ではなく、生活支援のボランティア活動であって、特に女性・高齢者にとって、気持ちの切り替えになる大事な活動であること。他の被災地支援の実績もあることという説得をかさねることによって、カットのみ許可となった。
ところが後者の問題点は、茅ヶ崎の美容師組合としては、同じ同業者組合が反発していることを無理押しするわけにはいかないということで、一般的なガレキ処理等をして帰ってきた。
地元では、被災した若手美容師さんたちが共同スペース(店)を借りて、営業活動を始めていた。別個に避難所巡回している方もいた。
私は中間支援者として、「美容券」制という案を茅ヶ崎の美容師さんの同業者組合に提案した。
##「美容券」制支援の誕生##
・被災地の同業者組合と、支援者の地域のプロの同業者組合をつなぐ。
・組合相互の確認の上、「美容券」を発行。
・支援者地元(例:茅ヶ崎)の美容室にて被災者向け「美容券」をお客さんに趣旨説明カードを添えて販売。「美容券」には、購入者は次回マッサージ無料というようなお得サービスをつけて、被災地の間接支援とする。
・美容券半券を添えて、合計金額を被災地同業者組合に送る。
・美容券を受け取った被災地美容師が、避難所で入所被災者に無料カットサービスを行い、茅ヶ崎からのサービスであることを紳士協定で利用者に告げる。被災地同業者組合は、茅ヶ崎のカンパを活動費の一部とする。支援する湘南のお客さんには、その様子を知らせる。
この間接代行サービス方式は、他にも使える。別のメリットは、支援者の被災地への交通費分が、実質戻ってくる。
盛り上げやアレンジは、自由。美容・弁当配布等、被災地地元と組むと相性がいい。
ご利用あれ。
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母の白髪染めは、時間がかかる。美容師さんのご主人に無理をお願いして、母を帰りに車で送ってもらう交渉成立させ、私は橋本に訪問指導。帰宅ご軽くゴーヤとなすの味噌炒めを母に食べさせ、すべてゴーヤが残って、なすの味噌炒めを食べていた。容赦ない偏食、参っている…。
NHKハートチャンネルで、中邑賢龍氏の番組を観た。私の主張は実を結んでいる。4年前の空転のダメージが蘇ってきた。バオバブの樹主催講演会(11月)は、参加しよう。これが実態であることをかみしめている。
このまま、眠らず母の検査に付き合う予定。
夜間傾聴>ひとり
済み)
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雨の一日。母が明日の大学病院の定期検査に備えて、白髪を染めてくると言い出し、美容室まで送る。ここの美容室は、我が家から近い。故・祖母の整髪のころからのお付き合いだ。
施設のデイサービスに祖母は通っていたが、月2回施設のカットサービスのあるときに合わせて、ショートステイしていた。基本的に入所者のみを対象にするサービスだが、ショートステイの時も、実際には洗髪・カットサービスを利用させてもらっていた。ところがショートステイ用ベッドの空きがなかったり、予約が多くて、入所者だけのサービスの回もあるので、なかなかサービスが受けられなかった。
そんなとき、祖母を車椅子に乗せて整髪サービスをしてもらったのが、この方のサロンだ。やがて車椅子移動も祖母の負担が大きくなって、逃げるこの方を追いかけて、我が家に出張を無理にお願いしたことを思い出した。
母もやがて車椅子で送ることになるのだろうか。
私は東日本大震災のとき、「美容券」制支援という方法を編み出した。今後起きる災害の回復期支援の方法としてメモしておくのもいいだろう。
3.11の震災が起こった直後、茅ヶ崎からも美容師さんたちが、避難所を回って、美容サービスを行っていた。ところがひと月も立たないうちに、そのサービスは中断せざるをえなかった。その問題点は2点ある。
・集団の中の美容行為の防疫上の問題点と免許の条件。
・地元同業者の復興活動との衝突。
この上の件は、美容営業は衛生環境を条件として許可になっており、避難所ではその環境が整わない。また、免許が都道府県が出しているので、取得県を超えるときは、営業申請が必要という四角四面の制限がふりかかってきたからだ。しかしそのボランティア活動中止を求めていたのが、地元同業者組合で、市役所を動かしていた。支援者としては青天の霹靂。これは、営業活動ではなく、生活支援のボランティア活動であって、特に女性・高齢者にとって、気持ちの切り替えになる大事な活動であること。他の被災地支援の実績もあることという説得をかさねることによって、カットのみ許可となった。
ところが後者の問題点は、茅ヶ崎の美容師組合としては、同じ同業者組合が反発していることを無理押しするわけにはいかないということで、一般的なガレキ処理等をして帰ってきた。
地元では、被災した若手美容師さんたちが共同スペース(店)を借りて、営業活動を始めていた。別個に避難所巡回している方もいた。
私は中間支援者として、「美容券」制という案を茅ヶ崎の美容師さんの同業者組合に提案した。
##「美容券」制支援の誕生##
・被災地の同業者組合と、支援者の地域のプロの同業者組合をつなぐ。
・組合相互の確認の上、「美容券」を発行。
・支援者地元(例:茅ヶ崎)の美容室にて被災者向け「美容券」をお客さんに趣旨説明カードを添えて販売。「美容券」には、購入者は次回マッサージ無料というようなお得サービスをつけて、被災地の間接支援とする。
・美容券半券を添えて、合計金額を被災地同業者組合に送る。
・美容券を受け取った被災地美容師が、避難所で入所被災者に無料カットサービスを行い、茅ヶ崎からのサービスであることを紳士協定で利用者に告げる。被災地同業者組合は、茅ヶ崎のカンパを活動費の一部とする。支援する湘南のお客さんには、その様子を知らせる。
この間接代行サービス方式は、他にも使える。別のメリットは、支援者の被災地への交通費分が、実質戻ってくる。
盛り上げやアレンジは、自由。美容・弁当配布等、被災地地元と組むと相性がいい。
ご利用あれ。
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母の白髪染めは、時間がかかる。美容師さんのご主人に無理をお願いして、母を帰りに車で送ってもらう交渉成立させ、私は橋本に訪問指導。帰宅ご軽くゴーヤとなすの味噌炒めを母に食べさせ、すべてゴーヤが残って、なすの味噌炒めを食べていた。容赦ない偏食、参っている…。
NHKハートチャンネルで、中邑賢龍氏の番組を観た。私の主張は実を結んでいる。4年前の空転のダメージが蘇ってきた。バオバブの樹主催講演会(11月)は、参加しよう。これが実態であることをかみしめている。
このまま、眠らず母の検査に付き合う予定。
夜間傾聴>ひとり
済み)