湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

6/15 (後半)被災地の声を茅ヶ崎に届けるために

2012-06-16 05:37:25 | 引きこもり
2012/06/15(補)記
-----------------

ビッグイシューが届いていた。今日は配布できないので、土曜日からと思ったら、台風が近づき、梅雨前線が刺激されて、「ここしばらくは雨だ」とのこと。土曜日は母の検査の日。改札口まで送って、東京まで押し出すが大丈夫か。教材屋の仕事が入っているので、在宅作業の予定。

椿の実が300円/kg とは知らなかった。気仙地方は椿の北限。資生堂が入り込んで椿を植えることを推進し始めた。大洋会の青松舘作業所の椿油の精製の使用販路を広げようと、あれこれいじってみたが、あまり芳しいものではなかったが、最近少し味がまとまったメニューが出来た。なんとか土曜日のカフェに間に合わないか。

大槌町に「カタリバ」が教育支援を行なってる。見学に行きたいと思う。学生さんの被災地訪問活動企画のひとつに、子ども支援も考えうる。広田半島と周辺の支援は、外出困難者中心に家事援助、外出支援に加えて、冬期子ども学習支援もありうる。基軸は看護系学生と接点を持ちたい。そのために、大槌町訪問もできないかと思いはじめている。「カタリバ」の関係者を茅ヶ崎に招待講演はまだ無理か。

次のひとを呼びたい。生活見守り支援、地域保健サポートの具体的骨格を作る流れに位置づけたい。助成金とれないか。(調査中)

1)大関輝一 氏(遠野まごころネット大船渡担当・「舫」事務局長)
2)石木幹彦 氏(陸前高田市・高田病院院長)
3)広田町農協女性部から
4)陸前高田市被災地復興特区事業「ロッツ」関係者
5)三井俊介 氏(広田町在住・SET主宰)

要は被災地の日常セイフティーネット作りと、孤立化被災者の穴を作らないために。生活見守り支援企画化の作業。


以上

(校正2回目済み)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/15 前半は私用介護話と、語っても伝わらない経験とは何かという話>すみません(前半)

2012-06-16 04:45:38 | 引きこもり
2012/06/15 記
--------------
猛烈な眠気が襲う。夜間傾聴の際、危うい相談が持ち込まれた後、生ゴミなどのゴミを捨てる日が重なるときにこれが起きる。笑わないで欲しい。片や明け方に緊張のピークがやってくる電話相談と、片や前日からのゴミ捨て禁止が自治会で決まっているからなのだ。明け方、午前4時、傾聴が終わったとき、10時台にゴミ回収がくるからと、6時以降にゴミ捨てにゴミ袋を下げて捨てにいくかということだ。実際それ以前に捨てに行くと、ゴミは回収していくが、注意の手紙が入ってくる。この2時間ほどの隙間に睡眠時間が削られる。折角いたずら防止に、モジュラージャックを抜いて就寝しても、ゴミに起こされるのではと閉口している。結局6時までブログの記事を書いて、ゴミ捨てをして寝るが、10時には起こされる。

先日の相談は、受難と苦痛の告白ではなく、受難に対する怒りと他害の告白のガス抜きだった。それが狂言のときもあるが、実際刃物沙汰を寸止めしたこともあった。大概、家庭内の出来事なのだが、引きこもりをなじる隣人がらみのこともあった。

昨日は某スポーツ活動で、彼が骨折からレギュラーをはずされたことに端を発し、他害に転じた例だった。この日、私の母を地区社協の老人会の食事会に連れ出し、会場まで付き添っていかねばならないし、父の入所している老健に「父の日」プレゼントを持っていくことになっていた。

一段落したとはいえ、こうした事例のときは、相模原の専任が後始末に向かうことになっていた。傾聴が終わった時点で、専任にメールを出した。その応答が無いと気になるものだ。結局、母を会場に送り、混雑する病院外来で仮眠を取って時間を合わせ、父の老健に持ち込むにぎり寿司を、機転の利かない若い子の店員に特注して、その寿司を持って老健に向かった。

到着時、父は排泄介助されてトイレからでてきたところだった。職員さんに挨拶をして、父を車椅子に乗せて、認知症フロアから老健のエントランスルームの一角まで車椅子を移動し、食事をさせた。父は昼食を食べた直後でもあり、初めは気乗りしない風でもあったが、好物とわかり、半身不随の片手で私から寿司折りを奪い去ろうとした。予測された行動だったので阻止できたが、まず手を拭かせることに難儀した。排泄の後である。父は素手で寿司を食べる習慣なので手を拭かせなくてはならないのだ。

寿司折りを開ける前、施設の自動販売機でお茶を買ったが、ハプニングが起きた。節電で暖かい飲み物が販売中止になっていたのだった。さらに折りを頼むとき、寿司屋の気の利かない若い店員を仲介したことで、「しゃりを硬めに」という指示が、全く守られていなかった。寿司は父の握り締める手で崩れ落ち、「沢山いれておいた」という寿司のガリは、湯のみ茶碗一杯ほども入っており、そのくせ紫(醤油)が入っていなかったのだ。これは、店員に半身不随のひとが、手づかみで食べるためのお願いだと私が説明したので、店員が余計わからなくなり、彼女の頭は「寿司ガリ(しょうが)」でサービスという思いつきに支配されて、醤油を入れ忘れたというお粗末の結果だった。

ビギナーは説明すればわかるというものではない。介護の世界では、十人十色のカスタマイズサービスが必要となり、ルーチンワークのミスが多大な影響を与えてしまう。醤油が入っていなかったことで、父への食事は食欲を満足させるものにはならなかった。たかが醤油と思うかもしれない。しかし、粉々になった寿司と冷たいお茶と重なれば、醤油は決定的なものになる。

父を認知症フロアに戻してから、散らかしたコーナーの掃除をする。目の前で掃除をすれば、父はまだ満足に食べられなかったことへの恥を感じることになる。それはまだ認知症が軽いことだが、以前、父の在宅介護を担当して退職した**さんが、うっかりこれをやって、父がその後の食事を食べなかった。相手はひとであり、この微妙な世界を演じるのが介護職員である。

帰りのバスの中、たちまち睡魔に襲われて目が覚めたら駅前だった。ドトールでコーヒーを飲み夕食の買い物を済ませて帰宅。母が「食事会の会場に知人がいた」という話にうなづきながら食事の下準備を整え、再び職場へ。帰宅時、橋本で相模線に駆け込む気力が続かず1本乗り遅れた。南口からの終バスがなく、茅ヶ崎駅北口からの辻堂駅行き終バスの1本前に乗り帰宅。食事後、再び夜間傾聴の待機に入った。生ゴミ、しかし生ゴミなのである。融通の利かない不協和音の一日が終わった。

-----

6/23 この日は、遠野で「遠野まごころネット復興支援報告会」がある。しかし会場が遠野では行くことができない。被災地側の運動がなかなか作れない悔しさのようなものをかみ締める。湘南からの運動をどうつなぐか、考えていた。同日、茅ヶ崎では、「茅ヶ崎『維新』カフェ」という企画がある。私は「維新」とか「事変」という言葉に,きな臭さと負の語感ゆえの嫌悪感があるのだが、それは歴史用語だったから。そのただれた言語感覚を流行語に持ち込んだ仕掛人がいることを思うと、乗りたくない。この言葉を自分から使おうとは思わない。まあ企画内容は別なのだが。

この「カフェ」、今回は「一心一」という団体の清掃活動を紹介する。「清掃する感謝と勇気」と題して、13:30茅ヶ崎駅北口ぺデストリアンデッキとハスキーズギャラリーを会場に、16時まで行なわれる。引きこもり青年のひとつの回答としての活動たちあげということで、仕事も夜なので、覘きにいくことにした。(追記:申込締切を過ぎていた。)失礼な話だろうが、心は遠野に飛んでいる。だから家にこもっているよりも、いいだろうという勝手な発想なのだが、お許しを。「カフェ」の企画、有料\500-である。

夜間傾聴:専任君(様子の打診、時間外、お疲れ様)


(校正3回目済み)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/14(補) 「広田半島通信」の前に~宙吊り状態続く~

2012-06-15 05:30:25 | 引きこもり
2012/06/14 記(補)
-------------------

「広田半島通信」(準備号)を出していいのやら、どうやら、判断がつかなくて弱っている。米崎町の西風道仮設・小友町のモビリア仮設から巡回文庫がスタートしていくのだが、やはり配本実績が先だろう。三井君から車の名義変更済みのコピーがまわってくるのを待っている。届出が盛岡の岩手県陸運局なので、時間がかかるだろうが、元の持ち主さんの保険に影響してくる。とりあえず、それが済み、セカンドブックレスキューから彼の元へ本が郵送されないと公表できないのかと、あれこれ思案している。今彼の住所が借間なので、間もなく転居とのことだが、段ボール箱1箱程度なので、受け取ってもらえないかと思うのだ。新住所が届くまで、棚上げとなっている。

今、私の方が8月初めまで、金策が苦しいので、9月の招待企画になりそうだが、広田町仮設在住者の方を、地元の「ほたておやき」「わかめ」とともに、即売を兼ねた懇談会を開こうと思っている。それにはまた現地に依頼に行かなくてはと思うのだ。8月前に出かけられないかと思うのだが。

来週、北里大看護学部のどなたかと、我が校の事務局長が会うとのこと。湘南側にもサポーターが欲しい。准看護師廃止の件で、看護学校が改革を求められている。その最中の提案になるので、巡回説得も難しくなっている。大学看護学部がそうなると難しいが、専門職の卵は適任ということになりそうだ。

8月にならないと、私の信用は成り立たないのだろうか。日だけがどんどん過ぎていく。もっと有効な手も打ちたい。車の件も、三井君には寄りかからない協力関係という紳士協定なので、無理は言えない。まずは「わーく」編集部の奈良**大MLの辛辣な指摘の対話公開からか。耳が痛いのだが。

書籍「3.11から考える「家族」」(真鍋弘樹著)を読む。3.11の震災があったとき、船も車も建物も流される画像に驚愕し、そのあちこちに人影が見えて、思わず目頭を押さえた。この理不尽さを著者も共有していた。私が抱える引きこもり青年も、私の家族も、歴史の隅に流されていくのだろうか。福島原発の暴走に至って、これは大戦以上に、避けては通れない社会的課題・私にとっての哲学的課題が突きつけられていると身震いした。

あのときの感覚が蘇ってきた。新聞記者特有の練れた文体は、枝葉に入り込んだ現在の私の思考を洗いなおしてくれた。さらりと読めてしまうが、心に残る書だ。

夜間傾聴:昨夜久しぶりに自分の両手をじっくり見せてもらった **男(仮名)のみ

(校正2回目済み)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/13 & 14 生活見守り支援の立ち上げに一石・陸前高田の「ロッツ」復興特区事業として

2012-06-15 04:12:20 | 引きこもり
2012/06/13 記
-------------
東日本大震災の救援活動から復興支援・生活支援に支援へと支援の質が変化するにつれ、非被災地の災害ボランティア活動は、被災地訪問型以外は表立った活動が急速に減ってきています。これからの活動は被災地に出かける以外ないというのでしょうか。これは災害ボランティアが個人の決意に委ねられていくことであり、訪問活動の周辺、災害ボランティアを支持するすそ野にあたる拡がりが削れて行くこととも言え、少し長い目で見たとき、災害ボランティア活動が衰退していく道なのだと思います。

この非被災地の湘南の災害ボランティア活動をどう再建するかということと、被災地滞在支援者や地元再建リーダーと連携して非被災地の活動に何がなしうるかということが大事な問題です。問題意識の「1」としておきましょうか。

次に被災地滞在支援者や地元再建リーダーと連携して、被災地の方々に何をなしうるかということです。それも一発的な物資と労力と娯楽提供を超えて、日常的な持続支援をどう形作れるかという問題意識です。これを「2」とします。

私はこの間「2」について、ふたつの活動提案をしてきました。ひとつは、被災地の環境整備と就労支援に加えて始まった、生活見守り支援の拡張に取り組む際、被災体験をめぐる精神医学的な視座から、「ねばならない」という頑張り、世間と私という関係の中のいわば「公的な顔」と、「である」という家族・個人生活の「私的な顔」、つまり建前と本音の亀裂というか、被災の社会的・精神的ダメージを抱えたまま「公的な顔」の限界が、家族への矛盾となってのしかかってくるボディブローが効いてくる時期の支援のあり方、非常時という事情の中で隠されてきた、家族の介護と子育ての長期戦を見据えた支援のあり方を考えねばならないということです。

産業復興支援や環境整備活動は地域の公的な顔の活動であり、家族経営、つまり命の営み、介護と子育てを軸とした活動にかぶって、我が家の私的な事情という形で社会の絆から途切れがちな分野に、被災のボディーブローが効いてくるという重いシナリオが浮き上がってきているのです。そしてそれは社会的弱者として、認知症や外出困難となった高齢者・乳幼児・在宅傷病者を抱えた主婦を中心とした私的な顔の活動への連携を描かなくてはならない時期、ここの支援活動をどう企画化していくかという問題です。

プライバシーと臨床的な関わりの微妙さは専門職の活動領域になりますが、その個別・地域サポートをどう定式化していくか。これがないと、被災地訪問型支援も非被災地諸支援も係わりようがなくなる、そういうことです。これを実行するためには、押し付けも、単純なでくの坊的な指示待ちもだめで、それゆえ、介護ヘルパーさんや、保健師さんがもっと時間があったら係われるのではないかという部分の精選をしたうえで、その領域にかかわる必要があります。

提案のひとつは、「生活見守り活動」のデザインを描き、被災経験を踏まえた長期戦の形作りを始めようということ

もうひとつは、私的生活・家族生活のセイフティーネットをつくり、被災者の「孤立化」を防ごうということ

です。このいわば戦略性に乗って、私は「定点支援(広田半島とその周辺)」と「ルーチンワーク(巡回文庫活動・学生の福祉研修派遣・外出困難者連れ出し活動・家族間交流活動推進)」をはじめています。

こうした家族生活のサポート活動は、地元滞在ボランティアや地元再建リーダーと連携した活動を作り出していかなければ、なりません。この支援ネットワーク(地元連絡会議)に参加しても、現地で話し込まれるので、私自身が頻繁に被災地に出向けなければなりません。湘南と三陸という距離感に心の苛立ちすら感じてしまう。地元に滞在して、支援活動の仲介者が必要なのです。

特に高齢者の支援に介護認定枠では、はみだしてしまうような支援、ボランティアならではの支援を立ち上げるために「連れ出し支援」を模索しています。この領域の必要性は男性よりは女性の方が実感が伝わるだろうと思います。命のサポートという領域なのですが、家事介護と子育ては女性の仕事とされてきた歴史的家族観が横たわり、それに男性の思考のネグレクトが重なっているからです。被災経験という傷がむき出しになっているところが、今までの生活支援と異なるところです。

高齢者の「買い物連れ出し」なら、高齢者のトランスファ(車の乗降移動)・ショッピングの際の付き添いと話し相手というところで、それをサポートしてくださる方と、私が始めようとしている移動ボランティアは連携しなくてはならない。これがなかなか進まない。ごまめの歯ぎしりしています。これは長時間「通院」も同じです。

高齢者の地域サポートが焦眉の課題だという社会認識は決して私だけの考えではないことに、ここ数日、陸前高田市竹駒町に薬局経営の介護サービス「ロッツ」が誕生した報道が流れていることからもわかります。介護サービスだけではなく、仮設住宅訪問をしたいというインタビュー回答が載っていました。三井君の車はまだ活動テンポが整っていません。だから巡回文庫(これも月1回では多いという状況)から始めますが、是非「外出支援」へと踏み出して欲しいと思う。周辺で活動が立ち上がってきている状況で、協力関係が結べる相手と結びつきたい。これは別途私の活動領域なのでしょうが、車を活かして外野のアマチュアからプロの領域へと踏み込んで欲しいと思うのです。

以下に、関連記事を紹介しておきます。

●「陸前高田復興特区事業 訪問リハビリ業務開始」
●「東日本大震災:医療特区第1号・陸前高田の施設、介護認定者らに訪問リハビリ営業開始/岩手」
●「高齢者教室が開講 陸前高田市小友町(6/8)」

夜間傾聴:橋本2君(仮名・中断)


(校正2回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

傾聴が20分前まで続いていました/午後書き込みます

2012-06-14 06:07:12 | 引きこもり
すみません。

陸前高田の医療特区の「ロッシ」が動き出しました。
その辺のことを含めて書くつもりです。

のちほど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/12 冊子「今後の災害ボランティアのふたつの道についてver.2」/私の提言は「都市型」か?

2012-06-13 06:19:46 | 引きこもり
2012/06/12 記
--------------
リーフレット「改訂版・今後のボランティアのふたつの道について(Ver.02)」を印刷した。職場の相模大野校は、今年からコピー機の私用がしっかり有料になり、枚数が多いものは、内容のわかる1枚を事務局に提出することになってしまった。以前から無料で印刷してはいないが、学生街なみの料金は魅力だったので常連だった。

この1枚出したのが影響して、事務長が関心を持ち、全部見せろと言い出した。読んでいるうち、北里大看護学部に知人がいるから、話をしてみるかという。私の考えている陸前高田市広田町周辺の生活見守り支援を兼ねて、夏期研修を提案してみるかという。北里大は大船渡市に海洋生命科学部の三陸研修所があったという因縁もある。学部では、すでにもう何かプロジェクトが動いているだろうなと、期待せずに承諾するという具合で、事務長にお願いしておいた。ひょうたんから駒の話だった。

私も県内某看護学校に一箇所話を持ち出していた。すでに万全整った企画の中で、受け皿が出来上がってる状態ならともかく、企画を育てるから付き合えという持ち込み方をしたのは私が初めてだと呆れる口調で、一応話は会議に報告するということになったが、その後担当者の留守が続いている。お客を招く活動の形の是非はともかく、舞台を整えて招くことの出来ない悲哀は感じている。せめて脚本だけは、諾と言わせたいところなのだが。これがトラウマになってか、PSW養成関連のところにも話の持ち出しが出来ていない。

突っ込んだ内容の話相手が欲しくて、昔、私が塾を営んでいたころ、神楽坂で教育系研究会があり、不登校・引きこもり関連の開業カウンセラーをしていた**さんが同じ部会に参加していた関係で、妙な飲み仲間になっていた。相手が一方的に飲み、私は肴ばかり食べていたという関係である。昨年、共産党系の共通の友人の葬儀で10数年ぶりの出会いをし、たまにメールのやりとりをしていた。今回、その**さんとのやりとりを再開させた。

彼の専門は児童の学校臨床で高齢者は全く担当したことがないという恒例の「枕詞」がつきながらも、面白い指摘をしてくれた。

私の抱く高齢者像は「都市型」ではないかというのだ。近所づきあいのこともそうだが、田舎の年寄りは80~90代になっても体を動かして働いている。だから、訪問支援というたて方が的外れで、喫茶・協働作業というサポートが本筋ではないのかというのだ。

このことは、仮設巡回をする前まで考えていた。元気な高齢者が多いから、「孤立」とか「外出困難」という状態の方の比率は、広田町のように地域の絆の強い地域では小さく、認知症を発症してしまった方や、半身不随になってしまった方の介護にあたっている熟年主婦向けのサポートをすべきではないかと、漠然とした迷いがあった。

事実、大槌町の自殺した主婦の場合、避難所で親の介護と家族を支えて奮闘していた方が、仮設入居を境に、自分の役割は終えたと、書き置きを残して自害してしまった。生活再建に積極的に働いていた方だったと聞く。ひとは「ねばならない」という「がんばり」の「公の顔」と、「である」という「地の」「私の顔」を使い分けて生きている。家族や仕事、財産を失い、中には病魔と闘いながら「がんばっている」。だから仮設入居を境に一本松が枯れるように折れてしまったのだと思う。

もともと高齢者の自殺者は少ない。アルコール中毒や持病をこじらせての「病死」である。しかし被災3県では、仮設の孤独死が現に出ている。仮設の中でも大型仮設の出身地域の混在型の、いわゆる絆の切れた仮設の出来事のようだ。

しかし、仮設巡回をしてみて、様相はだいぶ違っていた。仮設の玄関にぼんやりと杖をついて立ち尽くすお年寄りや、道端の縁石に座り込んで犬を抱えてぼんやりしているお年寄りが、「顔を合わせないように距離をおいて」、どこをみるでもなく寒空に出ていたからだった。こういうお年寄りは、広田町にもいらした。そこの区長さんは「出かけられないお年寄りはいない」と明言された。その区長の前を杖のお年寄りが通り過ぎていったのだが。

介護サービスの施設も徐々に活動を復活させているが、大船渡中心だったが、短時間の訪問調査でさえ、居場所や人のつながりが危うい高齢者は、仮設軟禁状態で「いる」と確信するに至った。

「都市型」の高齢者という指摘は、鋭くもあり当たらないともいえる。高齢まで働いているという点は留意すべき特徴だが、外出困難となった瞬間から、集団から切れ、仮設軟禁になっている、またはより高齢に様相が押し上げられているが、孤立はあるというべきなのだろう。もともとひとつのモデルで語りつくせるほど高齢者のことは語れない。全く身を潜めて消息不明な仮設入居の障碍者のひとたちもそうだ。見えず、話もきかないから、その問題は無いと断じるのは危険だ。

だからこそ、お節介にならない寄り添いの形、被災という共通の重荷を負った方々の「私の顔」に、応えなければならないのだと思う。

彼には、「地域混在」「大型仮設」という外部条件を主に考えているが、「外出困難」「集団企画参加困難」という内的条件をクロスさせて考えると、いわゆる島社会のような地域でも、支援の課題はあるのだと思う。ただ正面突破するわけにはいかない。だからこのことが通じる感性の持ち主たちと地域サポートを作りたいのだ。非被災地からの生活支援は難しいが、やれないことではない。

企画作りをはじめたい。手伝えと**さんに返信した。馬鹿をいえ半身不随初心者だぞと即座に往信が帰って来た。無念。

夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)

p.s. 広田産ワカメ、食卓に。肉厚で硬い。鳴門ワカメに似ている。
三陸ワカメの軟らかいものが好物だったので、少々がっかりしている。


(校正3回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/11 「広田半島通信」に込められる内容は

2012-06-12 04:59:45 | 引きこもり
2012/06/11 記
--------------

「生活見守り支援と民間交流の『広田半島通信』」の準備を始めている。この通信はオンライン配布され、事前に約束した取材員に印刷配布を依頼する。湘南側は、まずは飛田が担当。

この「通信」をふたつの企画が支える。ひとつは、支援者の議論と企画紹介、他地域の事例紹介を載せ、企画紹介も行なう「公開ブログ」を設置する。ここで

広田半島を中心にした高齢者外出支援実費、夏季看護学生研修派遣の研修派遣費用の補助の「クリック募金」を始める。三井君の巡回も外出困難者サポートの協力者作りと活動資金の補助をこれに加える。

もうひとつは、会員制ツイッターを使って、広田町・湘南の住民と支援者の連絡と意見交換の非公開の場を作る。プライバシーに抵触しない許可を取った情報を「通信」記事に加える。表面記事は、広田町・湘南の取材記事と企画予定を載せる。

要望や生の声の取材は各地域を巡回する団体や駐在員が節度を持って行う。特徴的なことは、自薦実名駐在員対話であること(飛び込みゲスト可)。災害ボランティアと被災者共有のメディアであること。企画振り返り報告・身辺情報・家族情報を主軸におく。

cf: 「広田半島通信」・「公開ブログ」・「会員制ツイッター(Path等またはメーリングリスト)」・「クリック募金」

ーーーーーーーーーーー

領域が生活支援なので、訪問看護師さんや、訪問指導員の方と連絡を取って行動する。ヘルパー2級以上の有資格、医療看護介護関係者やその学生さんの夏季研修の場を作る活動を始める。通院・買い物外出等をサポートの場を広田半島周辺に置く。

全体に漠然とした復興支援ではなく、外出困難者という切り口から、家庭の介護看護を支援し、広田半島とその周辺と言う個別性を強めた活動を通じ、湘南の市民に仲介していく。被災者の心身の孤立を防ぐことに尽力する。

手をつなぐ育成会を手始めに、被災地の障がい者の実情調査を始めている。非被災地にいても出来る活動を開発していく。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/11 「広田半島通信」に込められる内容は

2012-06-12 04:59:45 | 引きこもり
2012/06/11 記
--------------

「生活見守り支援と民間交流の『広田半島通信』」の準備を始めている。この通信はオンライン配布され、事前に約束した取材員に印刷配布を依頼する。湘南側は、まずは飛田が担当。

この「通信」をふたつの企画が支える。ひとつは、支援者の議論と企画紹介、他地域の事例紹介を載せ、企画紹介も行なう「公開ブログ」を設置する。ここで

広田半島を中心にした高齢者外出支援実費、夏季看護学生研修派遣の研修派遣費用の補助の「クリック募金」を始める。三井君の巡回も外出困難者サポートの協力者作りと活動資金の補助をこれに加える。

もうひとつは、会員制ツイッターを使って、広田町・湘南の住民と支援者の連絡と意見交換の非公開の場を作る。プライバシーに抵触しない許可を取った情報を「通信」記事に加える。表面記事は、広田町・湘南の取材記事と企画予定を載せる。

要望や生の声の取材は各地域を巡回する団体や駐在員が節度を持って行う。特徴的なことは、自薦実名駐在員対話であること(飛び込みゲスト可)。災害ボランティアと被災者共有のメディアであること。企画振り返り報告・身辺情報・家族情報を主軸におく。

cf: 「広田半島通信」・「公開ブログ」・「会員制ツイッター(Path等またはメーリングリスト)」・「クリック募金」

ーーーーーーーーーーー

領域が生活支援なので、訪問看護師さんや、訪問指導員の方と連絡を取って行動する。ヘルパー2級以上の有資格、医療看護介護関係者やその学生さんの夏季研修の場を作る活動を始める。通院・買い物外出等をサポートの場を広田半島周辺に置く。

全体に漠然とした復興支援ではなく、外出困難者という切り口から、家庭の介護看護を支援し、広田半島とその周辺と言う個別性を強めた活動を通じ、湘南の市民に仲介していく。被災者の心身の孤立を防ぐことに尽力する。

手をつなぐ育成会を手始めに、被災地の障がい者の実情調査を始めている。非被災地にいても出来る活動を開発していく。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/10 無事、車は三井君に引き継がれた (続)

2012-06-11 18:41:17 | 引きこもり
2012/06/10 記(続)
------------------

茅ヶ崎駅改札口で車の新しい持ち主の三井君と待ち合わせた。若い人らしく待ち合わせ時間間際に到着の列車で軽快に表れた。茅ヶ崎は暑いという。たしかに陸前高田と比べると1~2ヶ月は気候が違う。

セカンドブックアーチのYさんから電話があり、寒川まで車で送ってくれるとの申し入れがあった。感謝。そのYさんがすぐに現れた。ふたりとも、ソーシャル・ビジネスに関心を持っている若手である。教育・福祉系の社会活動立ち上げに腐心している私よりも、接点が多いかもしれない。何かが生まれるかもしれない。

寒川の車検整備業者のNさんの工場に向かうが、先客が入って対応できないのでとのことで、ファミレスで時間を潰しながら、今後広田半島中心に行なう巡回文庫の話を再確認。文庫配達巡回の途中で、単身高齢者・障碍者・車のない子育て母子の仮設入居者対象の移動サービスや、日常生活のサポートを本来はやって欲しいのだが、初めからそこまで要求するのは酷と思っていた。買い物・通院随行支援は、他の生活支援者と連携が必要というような条件が整っていないこともその理由だった。

いままで三井君との間で交わされた巡回文庫実施のことと、広田半島への生活支援ボランティアのガイド・仲介を進めて欲しいという覚書(紳士協定)を渡して、Yさんにも説明した。これからが本番なのだ。三井君の活動との接点の中で第一歩が始まった。見守り支援活動への共感が育ってくれることを願うばかりだ。

これから、湘南側の活動を組み上げていく。また、予算が心もとなくなってしまったが、来月末にも広田町を訪問したいと思っている。滞在型支援活動が作れない限界である。抱える活動分野が違うが、三井君という定点が、広田町支援活動に活きて欲しいと思う。

--------

先ほど三井君のツイッターを見たところ、広田町に無事着いたようだ。ほっとしている。

今夜、「広田半島通信」の件を書く。


夜間傾聴:南橋本君(仮名)>中断
     淵野辺君(仮名・サポート切れを確認)

(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/10 無事、車は三井君に引き継がれた

2012-06-11 04:51:21 | 引きこもり
2012/06/10 記
--------------
車は無事、三井君に引き継がれた。
疲れて相模大野からの帰り、藤沢で食事後ダウン。しばらく店で休んでいた。
夜間傾聴不調、中止。

詳細は後日。やっと次のページが開いた。

夜間傾聴:中止

(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/9 明日の車譲渡を控えて(覚書転載)/社会資本とネットワーキング

2012-06-10 04:57:05 | 引きこもり
2012/06/09 記
--------------

いよいよ明日、陸前高田の三井君に車を譲渡する。

巡回文庫に書籍を提供してくれるセカンドブックアーチの山本さん、支援者の方々に、三井君が茅ヶ崎にやってくる旨のメールを出した。特に車整備業者の**さんと、文庫を支えてくれる山本さんのご協力に感謝。

まだ支払い未納のものがある。車残金を**さんに、往復の交通費と岩手県陸運局のナンバープレート、譲渡手続き諸費合計3万円を三井君に渡す。

月末に、米崎町の西風道仮設に、巡回文庫を入れる本箱を贈る約束をしている。
これからは、「広田半島通信」発刊を通じ。広田町に関係している支援団体との連携を拡げていく。

以下は、三井<>飛田間で行なう、活動の契約とまではいかない紳士協定メモである。



**三井・飛田間の車譲渡に際しての覚書** 2012/06/10

広田町の外出困難な社会的弱者の足となるために、三井君の活動に協力し、新たに次の活動を三井君に託すものとして車を譲渡仲介します。地元の人々との協力を求めながら、次の活動が育つことを念願するものです。

1)広田半島とその隣接地域の仮設住宅に、高齢者向けを中心とした巡回文庫を  行ないます。配布活動を通じて、仮設入居者の生活上の不自由に触れること  を実質の目的にしているために、月に1回以上の間隔で書籍更新が行なわれ  ることを望みます。

  現在、
   小友町モビリア図書室への新中古本の配達、
   米崎町西風道仮設住宅とその隣接仮設への配達
  が決定している。その配達間隔については、三井君の状況に応じ
  広田町の配本先開拓(広田町コミセンに広田小のことを打診した)を
  含んで、徐々に拡張する。

2)配本でルーチンワークを作りながら、仮設入居者との生活上の
  外出のお手伝いを車を活用して拡げていく。このとき、買い物支援・通院
  支援等は、地元の方やボランティアの協力を求めていくのが望ましい。

3)広田半島を中心とした地域に、生活見守り支援を含む支援のハブ(結節点)  を作りたい。特に学生さん等の若い方が、三井君を中継して広田町周辺に
  宿泊しながら諸活動を行なう環境を整えたい。

4)湘南側で「生活見守り支援と民間交流の広田半島通信」を出す。ここに巡回文庫や広田町支援活動の連載レポート(記事)を書いてもらう。長さは問わない。非被災地の支援者に投稿記事を通じて語りかけをしてほしい。

 今後も飛田は、広田町を数ヶ月おきに訪問します。孤立するひとがこの町に
 出ないように、周辺ガードのなしうることを行ないたいと考えています。
 お節介にならない連れ添い支援を探っていきます。接点を保ちながら、
 お互い協力していきましょう。

以上

-------

<<小山剛氏の講演から『社会資本のネットワーク』について>>

私たちの生活を見直すと、被災時役に立ちそうな物資や、敷地内環境などがある。広く考えれば、いざというとき、お手伝いできますということも、社会に包摂されている資本であるという見方ができる。これは被災時の潜在抵抗力というべきもので、事前にその内容がわかっていれば、より効果的な防災対策をたてることができる。ところがそれらが個人で所有されているとき、そのものの価値がくすんで見えてしまう。防災ネットワークに乗せたとき、初めてその価値が効果的に配置できる。

ペットボトル水を普段使っている家庭では、より多めにストックしてもらえば、周辺の生活者の救急水源になりうる。はしごとか、ロープがあれば、野外避難生活時の洗濯物干し場に生まれ変わる。また人材ならば、民間ボランティアの車の助手席に乗り、ガイドや支援物資の積み下ろし等に活かしうる。災害のシュミレーションをしながら、丁寧に社会資本を発見し組み込んでいく作業を進めるべきだという話。これを小山氏が説明していた。

注意すべきことは、その物資を集中管理しないということ。各家庭に分散管理して、いざというときにとりだす。これは研究PJを立ち上げて民間の提言をまとめていくといい。

夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親)


(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/8 シンポ:「東日本大震災における介護問題と地域の役割」

2012-06-09 05:45:40 | 引きこもり
2012/06/08 記
--------------
昨日、日本認知症コミュニケーション協議会主催のシンポ「東日本大震災における 介護問題と地域の役割~高齢者の生活環境と認知症ケア」を聴きに行ってきた。

陸前高田に作ろうとしている「生活見守り支援」の「連れ出し活動」は、内容的には認知症の高齢者は大きなウェイトを占めるが、介護認定を受けている方々は行政も放置はしていないだろう。

特養などの施設のデイサービスのマイクロバスが、4月に広田町を訪問したとき、高寿園・成仁会の車が何台も行き来していたので、施設が被災から完全復活していなくとも、優先順位高く対応していると予測されるのだ。ただ宿泊が職員家族の被災等から人手不足で出来ないかもしれない。寝起きが可能な方はデイで預かり、夜は家庭に帰すという対応をしているかも知れなかった。

広田町の農漁協女性部のある方のお話を伺ったとき、在宅介護の方、寝たきり・徘徊の方もいらっしゃるとのこと。それ以上は個人情報に触れそうなので話していただけなかったけれど、私たちの企画に関連してくる方たちだった。

このときのインタビューは、時間に制限があったために、障碍者関連の具体的なお話を伺えなかったのだが、認知症は発症していないが、在宅介護されている方は多いと伺った。大概は主婦に任されており、例え車があっても、女性一人の手で車の昇降を行なうのは無理で、結局親御さんが眠ったときを見計らって、街の中の商店に大急ぎで買い物をして戻るという生活になっているとのこと。相互扶助の結びつきの強い島社会のような社会でも、実際の介護負担は介護サービスが十分な地域とはとても思えなかった。

だから、被災下のケアと生活再建という話は、重要性がマスコミで語られつつも、専門職のカンファなどの場以外では、そこを取り出した論議はなかなか登場してこなかった。その意味で、実態把握のための調査の糸口をつかめないかと、このシンポに関心があった。全国シンポなので、個別の具体事例がどの程度登場するかは怪しいと思ったが、ともあれ聞いて見ることにした。私たちの企画は、生活見守り支援を素人が担うために、活動のパッケージ、枠組みを再構成しなくてはならなかった。そこに合致する事例は一層検索条件が難しかった。

●1)基調講演

1)「東日本大震災における認知症ケアと地域の役割」長谷川和夫氏
・これは介護職のテキスト講義をうけているようだった。東日本大震災の現状のみに係わらず一般論で語られてしまうので、いただけなかった。アクチュアルな認識が裏打ちされているようには感じられなかった。

2)「認知症に対する国の取り組み」~震災と今日の認知症対策~堀部賢太郎氏
・肩書きの厚労省老健局高齢者支援課認知症・虐待防止対策推進室認知症対策専門官という立場から、震災発生時からの省内の具体的な議論の経過をダイジェスト版のように語るものだった。ここについては議論すべきいくつかの論点があるが、被災地の介護の現状を打開するための議論としては、結びつきの中間項が必要なので、改めて取り上げたい。

シンポ「東日本大震災から一年、災害現場からの報告と提言」

1)「自然災害と介護災害~介護災害からの脱出」小山剛氏
・(社福)長岡福祉協会/高齢者総合ケアセンターこぶし園総合施設長、認定NPO法人災害福祉広域支援ネットワーク・サンダーバード代表理事という、いわゆる災害対策のプロだ。話も行政の対応や、現場の状況について、その本音の部分をばっさりと切り口を見せていくという意味で面白かった。

今回の提言には「社会資本のネットワーキング」という大きな提案があった。これは、大事な内容を含んでいるので、別個記事を書くことにする。

話の中で出てきたグループホーム型の仮設住宅は、構造と設置基準が厄介で、認可されるのには、改正の手間隙に長い月日が必要となることで、そのままの形では緊急時にとても対応できないので、利用者の居室をひとつの仮設と考え、商店街ではないか、ひとつのアーケードでまとまり、公園のような集合スペースがあるのだと解釈し、グループホームの仮設住宅が実現したという下りは失笑してしまった。確かに行政交渉では、法解釈の隙間と連携によって、合法にも違法にもなる場面が有り、実情に合わせて解釈を引き寄せてくる場面が実際にある。

「サンダーバード」というキャンピングカーも派手だった。被災直下の現場に実務者を派遣するとき、現場までの移動と食事・宿泊施設が無いので、自前で寝る場所を持ち込もうという活動だった。蚕棚式のベッドが組み込まれた車の派遣活動だった。マークをみていると自衛隊の活動のようだった。ちょっと危険な香りもするが講演の切れ味もいいので、茅ヶ崎講演の候補にいれてもいい方だ。

ただ男の論理だと思うのだ。認知症の個々のお年寄りの顔が浮かばず、現場環境をどう整えるかという話だった。

入所者さんたちの緊急避難誘導が緊迫した状況下で実践訓練をしてきたところと、デスクワークで学習したところでは、臨機応変さというところで、結果的には大きな差として表れる話や、トリアージではないが誰を助けるかという時に、可能性の割り切りが必要となることなど、施設職員には役にする話が提供されたように思う。しかし在宅介護者にとっては、津波災害の際、連れて逃げるか、割り切って自分だけで逃げられるか、「津波てんでんこ」の「てんでんこ」のケーススタディを語った方がいいように思った。被災は倫理の境界を走ることになるからだ。「わーく」で取材かける予定。講演は助成金が取れないと無理。


「東日本大震災から学ぶ対応と復興に向けて」~安心できる暮らしを地域とともに~ 蓬田隆子氏

GH「よもぎ埜・なつぎ埜」の震災時の経過と取り組みが話の中心。被災後の生活物資や薬品確保などの被災したらどういう事態になるのかという場面説明が中心
。しかしこうした施設内対応の話は、外部支援者との連携は難しい。ただ避難は職員の手だけでは絶対に無理で、地域住民の方との非常時の避難応援を決めておかないと身動きがつかないという話は、在宅介護家庭の避難についても、家族だけでなく、地域の協力を作っておく必要があると語る。それはそうなのだ。しかし広田町のような相互扶助の結びつきの強いところではなく、都市型の被災のように、地域の結びつきが弱いところでは、行政指導のような契機がないと超えていけない。防災リーダーや消防団のような活動に、主婦が入って欲しいと思う。女性の眼がないと、弱者個々人に眼が行かないからだ。ここは検討課題だ。


「応急仮設住宅に暮らす人々への訪問看護」上野まり氏

仮設住宅期の巡回は、職種がよくわかるように赤いTシャツ・ジャンパー姿は、活動の状態が入居者の方の眼からもわかるため好評であること。ただ、病院・個人医院などの絶対数が足らないので、子どもの場合と同様に、遠方まで出かけないといけない。遠くという事は、救急車で搬送される時間も長く、秒分争う場合以外は、救急車利用に躊躇することも多い。高齢者や乳幼児などの夜間搬送は、満床とか診療時間外対応なしというような医療情報が足らないために、堂々巡りさえ起きてくる。ここには緊急出動のボラhティアがいていい。


未だ立ち直っていない地域医療の現場の動きと連携しながら、生活見守り支援は組んでいく必要がある。

会場は200人程度。施設関係者・医療関係者のみで、一般参加者は少なかったようだ。練らなくてはならない。三井君たち学生でもできる支援の形をだ。需要はある。それを再確認した。


夜間傾聴:南橋本君(仮名)

(校正1回目済み)


(参考)●シンポ:「東日本大震災における介護問題と地域の役割」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/7 認知症シンポ参加しました/車譲渡以降の活動概要について

2012-06-08 05:09:45 | 引きこもり
やっと生活見守り支援の出発点に来た。6/10にSETの三井君に車が譲渡される。彼は陸前高田の広田町に住民票を移して腰を据えた。車の件を踏み切ったのは、ことに始まっている。彼の活動はいわゆる福祉畑の活動とは、違っている。だから、すぐに破綻するかもしれない。しかし、彼が広田町に魅力を感じた感性には、きっと接点があると思っている。

災害救援活動から、仮設生活を中心とした見守り支援への重点移行は、非被災地からの支援を遠ざける傾向が進んでいる。今望まれることは、環境整備活動を含んで、被災地訪問型の活動だ。

このことは一面で活動の多様化を生み出しているけれど、避難所の集団生活から個々人の生活にシフトしたことによる被災者が抱えていた人生上の諸危機は、各人の責任に任されてしまうという、困難の沈潜化と、特に高齢者の孤独を生み出している。

怪我をして自然治癒を待つのと違い、今後の生活打開は被災者の表面とは異なる内面の危機を伴っている。この現状への「心に寄り添う支援」は、片方では被災地長期滞在型の支援と、専門職による支援に引き裂かれている。

生活再建は、子育て支援や街の復興支援など、未来への投資という内容に偏り、相対的に大きな困難を抱え込まされた社会的弱者(収入の乏しい、特に単身高齢者・高齢者夫婦・障がい者・独居軽度傷病者・失業者・家族被災喪失者等)を、見失った支援になること自身、ネットワーキングの触手を捨てた、膨らみを欠いた活動といえるのではないか。

私は被災地で、医療関係者・関連行政職員・ボランティア・当事者有志の会のネットワーク参加を通じて、素人の短期支援活動の枠組みを生み出し、活動研修を含む、参加と体験学習の道を訪問と併行して作り出したいと思う。また言葉を封じられた、手立てを見失い孤立化を深めている方への、日常接触として個人搬送とお付き合い支援(通院・買い物・友人交流・ゴミ出し・窓拭き等、訪問介護と接する支援等)また家族同士のお付き合いによる非被災地家族には田舎作り、被災地には親戚づきあいのような民間交流を育てたい。

一方非被災地では、農業・漁業体験・自然災害ボランティア体験への協力を拡げ、被災地の子どものホームステイを実現させたい。これは子どもの体験を拡げて行くく事だけでなく、被災地の親を休ませる活動、余力を他の生活再建に振り向けてもらう活動でありたい。こうした基盤のなかで、社会的弱者への活動を活性化させていく。インクルージョンの活動をセットしていく。初動は波及力の乏しさとゆえに、意図的な支援者の活動誘導が必要となるが、地元産自然食品等会場販売を交通費の捻出として踏まえた交流会を湘南で開催して行きたい。

ひとが相手を理解するには、直接対話を重ねていくような活動が必要。被災者の孤立化と孤立死を生み出す環境を変えたい。直接カウンセリングを行なうのは専門職に任せる。ただその仕事の中でも、引越しなどは協力できるだろう。被災地との距離が邪魔をする件は、TV会議やオンライン放送局の導入も大きなハードルではない。

こうした思いを実現するには、被災地の中で地域を設定し、親交を深めていく。そのために、被災地に常駐の協力者が必要だ。その位置に先々三井君が入ってくれればと思う、本来は「舫」の大関さんは、貧しさのことや、生活保護の関係を熟知している。だからぜひ連絡を取り合いたいのだが、三井君も学生さんとの広がりを持っているので、まずは巡回文庫と社会的弱者と接点をつくることによって、SETとの連携も生み出したい。

高齢者の見守り支援には、相手が若すぎると批判も大きかった。私が三井君に全権を委ねるというわけではない。わたし自身も数ヶ月ごとに現地に調整にでかけ

--------

●シンポ:「東日本大震災における介護問題と地域の役割」

ここの報告は、今夜。


夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/6 車検整備終了支払いを終えて/被災と高齢者介護のシンポ

2012-06-07 04:19:45 | 引きこもり
2012/06/06 記
-------------
車の車検整備が終わり、橋本からの帰り、寒川の業者さんのところに立ち寄る。予算がはみ出してしまったので、分割してもらう。とりあえず車は、6月10日13時三井君に譲渡される。譲渡に当たっては、

1)陸前高田市広田町・小友町・米崎町・大船渡市末崎町の仮設に高齢者向けを中心にした本を届ける。(巡回文庫活動)
----本は「セカンド・ブック・アーチ」の山本氏から配本を受ける。

2)広田町の単身高齢者・障がい者・高齢者夫婦の足になる。見守り巡回。

3)単身高齢者や単身留守番高齢者の援助サービス(ゴミ出し・電灯交換等)をはじめられないか検討する。

4)広田町の生活見守り支援ボランティアの活動仲介、コーディネート。

これを、地元の方々に寄り沿う形で、始められるところからはじめていく。

これを4月から3年間、頑張り、現地支援者を生み出していく。

当初、三井君との話で、車は出来る限り広田町の方に届けられるように人を探すという話だった。しかしその人物は得られず、三井君自身が湘南から広田町まで乗っていくことになった。その交通費と彼が湘南までくる費用をこちらで持つという話となった。譲渡手続き諸費を含んで3万円を三井君に手渡す。

完全には終わっていないが、これで車は三井君の名義になる。
彼は免許取りたてなので、長距離搬送が心配。私が網膜色素変性症でなければ、私が運ぶのだが、彼の身になにか起きたら、これからの計画が流れてしまう。またまだ名義変更前の車(岩手県陸運局に車を持ち込み、譲渡手続きを行なう為。)なので、他害事故のとき、車の提供者**さんに迷惑が及ぶ可能性もあった。

しかしこれで、やっと次のステップに進める。慎重運転に心がけてほしい。しかし、彼のスケジュールをみると、明日7日夜行バス、8・9日ともに朝から立て続けにスケジュールが入り、9日にはWoald Futの総会とパーティとある。若いから大丈夫だろうが、高速運転初体験?のコンディションではない。当日はつくばの実家に泊まるとあるので、少しほっとしている。

学生型の運動の立て方、公私の私のつながりの世界の生活見守りと、支援活動推進を目的化した公の活動の立て方はおのずと違う。ここのギャップが今後の不安の種となっている。

私の方は、彼の立ち上げたSETの活動をもっと知りたいし、今後の応援の対象になるか三井君と話すことになる。地元の人の顔が活動の中に息づいているか、その辺が気になる。

湘南に広田半島と、そこに生活する人々の邪魔にならない自律した活動を通じて、諸企画が紹介できないかと思う。

「見守り支援と民間交流を進める広田半島通信」

これを湘南側で編集発行していく。当座は文庫と三井君の活動紹介から始まる。

--------
今日13時から、水道橋駅前の「すまい・るホール」にて、

●シンポ:「東日本大震災における介護問題と地域の役割」

がある。(\1,500-)これに行って来る。看護師さんたちの話もあるようだ。主催は、「一般社団法人 日本認知症コミュニケーション協議会」ヒントが出てくるといいのだが。

冊子;「今後の災害ボランティアのふたつの道について」をサポチガに置いた。ビッグイシュー3部配達済み。今夜は半島通信と構想はお休み。睡眠時間確保。

夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/5 「民間交流をめざす広田半島日記(企画概要)」の中の湘南比較

2012-06-06 05:41:39 | 引きこもり
2011/06/05 記
--------------

「民間交流をめざす広田半島日記(企画概要)」の続きを書いている。

この中で私の脳裏に広がった問いは、もしも湘南が逆に震災被災地となったら、援助して欲しい生活支援は、気仙地方の生活支援と質的にどのように違ってくるだろうか。湘南は職場に通うベッドタウンとしての性格がある。職場と居住地双方が同時被災するかどうかは、いままでいくつか想定されている地震予測の設定に寄って様相が違ってくる。気仙地方の場合、仕事と居住がいっきに破壊され、湘南の場合は、家庭によって様々ということになる。また避難生活も、避難所に収容される家庭と、職場を同心円に自主避難が拡がり、市町村単位の管理というより、県単位の管理が必要となる場面も増える。つまり値域連携「絆」を頼りにすることはできない。こうした大枠の変化が生活再建の場面でも違ってくるだろう。

ならば、地方の生活であるからこそ、援助が必要な生活支援とは何だろうか。広田町のように、昔からの地域がそのまま仮設住宅に持ち込まれている地域、つまり地縁・血縁の自律的な生活復旧と外部から持ち込まれる生活支援は、どのように関係付けたらいいだろうか。外部の人間だからこそできる支援があるだろうか。

とまあ、現時点の陸前高田・大船渡の支援者ネットワークの状況はブラインドされているから、打診のきく定点をつくり、ネットワーク参加しなければ、絵に描いた餅になってしまう。しかし大上段振りかぶった枠の論議もしていかないと、当たり前に居座ったステレオタイプに占領されてしまう。

10日、車の譲渡後、初めて私は何をする者であるかを地元ネットワークに表明することができる。お祭りとしてではなく、日常のお付き合いの線上に相互扶助的な民間交流をどう形作っていくかということを絵にしておきたい。三井君との文庫活動・見守り活動と重なりつつ、湘南の課題として独自に生活支援の型を育てていくので、また夏休みなどの期間の見守りボランティア派遣の枠組み作りを設定して行きたい。

構想のジグソーパズルは、半分も埋まっていない。次のステップを踏み出すために、車の車検の件ではお世話になった**さんに、10日の譲渡の前の料金の支払いを済ませておきたい。ぎりぎり。**さんに無理難題を頼んできたので、けじめをつけておきたい。

---------

ペットレスキューの通信Vol.8を1ヶ所除いて撒き終えた。パンフレット「今後の生活支援のふたつの道について」を増刷した。サポセンなどに置いていく。市社協にも立ち寄る。

フォト神奈川の++さんのお店の前を通った。++さんの姿が見え、お互いに会釈。前を通りながらお店にたちよらなかったのは、珍しいことだった。++さんは南三陸町との仲介をされている。


夜間傾聴:南橋本君(仮名・久しぶり)


(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする