2012/06/01 記
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ペットレスキュー活動支援の通信No.08を3ヶ所の動物病院に届ける。そのうちの一箇所では2つのペットレスキュー団体が掲示していた。この分野は動物愛護の観点から行なわれるが、疫学的な視点から見れば放浪動物は放置しておくことはできない。しかしそれが放浪動物を殺すことと直結はしていないだろうとそこの医師が語った。私がこの分野の手伝いをしているのは、いくつかの経験があってのことだ。
有珠山噴火災害のとき、私の知り合いが、避難所の方々の犬を預かっている話を聞いており、その話を私の授業のとき、中学生に紹介したことがあった。予測されたとおり「かわいそう」論が噴出し、犬を保護することへの賛同が多数を占めた。ところがひとり、いつも黙っている子が「その動物は役割をもっているのに、殺すというのは、変だ」と言い出した。生か死かという話ではなく、いらなくなったら捨てるというのが嫌なのだという論だった。私も入っての話になったが、放置することは、心貧しいことだという話かという問いかけには、よくわからないと応答していた。
話をしていくうちに、彼の祖母の話が潜んでいることがわかった。彼の母親は大の猫嫌い。ところが祖母は猫が好きで、ずっと一匹の猫と暮らしていた。その祖母が同居することになり、猫もいっしょに引っ越してきた。ところがまもなく祖母は入院生活となり、その猫の担当は彼になった。担当してまもなく彼の祖母が逝去され、猫が残された。母親は、すぐに猫を保健所に持っていくと言い出し、彼と対立したという経過のようだった。
祖母の付属品のように猫を扱うことに彼は抵抗したのだった。祖母の遺品や日記などを全部焼却するのか、遺品を残して猫を捨てるのかという話だった。つまり、放浪動物は震災前、それぞれの家庭で家族との絆を取り結んで生きてきた。そういう経歴を持った動物としてあるのだから、保護すべきではないのかという話だった。誰かに抱かれていた猫であり、誰かとともに走り回っていた犬であるという眼差しのことだ。
中学生という世代から、こんな話が出てくるとは思っていなかった。私はなるほどと思った。
話は変わるが、今回の震災のとき、津波からの避難時、犬猫を放置して高台に逃げ延びた家族は多い。知り合った被災者にはかならず日々の生活の話の取材をするのだが、小学生の話の中に、「大人は勝手だ」という、黙らされた口を押し分けて噴出することばに聞こえた。兄弟のように仲良くしてきた動物たちだ。それがある日突然、犬の名前が消えて、「動物だから」と呼ばれ、中にはリードを小屋に結びつけたままにして避難した。「自分の兄弟を取り残すな」と怒りを感じているという。もっと幼い子だったら、泣き出しているところだ。「動物よりひとが大事」という言葉は、空中から表れた。ところが犬猫には様々な思いが詰まっている。この子の反発を「聞き分けの無い子」という、この子の性格のせいと、いわれてしまえば、彼は言葉の暴力に似た感触で受け止めていた。
津波の襲いかかってくるわずかの瞬間に、子連れの大人たちが、泣きじゃくる子どもの手を引いて走り去った。阪神淡路のときも、子どものPTSD(心的外傷)が問われたとき、生活の激変、人の喪失、死への恐怖というようなものの中の「ひとの喪失」は「断ち切られた絆」ということを思う。大人が彼を引いて、ペットを捨て去るその経験は、「動物と人は、ちがうんだ」という言葉を飲み込んで、無理に自分を納得させてきた。それが抑制の裏でしっかり本音が育っていたというような、心の中の対立を潜ませているが故の、症状となってPTSDの治療に、「傷」とよばれる不安定な激情となって問われていた。
こういう話を通じて、私は放浪動物に手垢まみれの痕跡をみる。分類上の問題ではないと思うのだ。私は動物愛護直結の立場ではない。犬猫の背後にひとを感じるときがあるからというようなことなのだ。
この掲示通信を貼らせてもらうとき、医師やトリマーさんと話が出来る。引きこもり青年の散歩係や、トリマー見習いの求人など就労支援につながっていく。
誰にも通じない思い。馬鹿かとおもわれるだろうが、子どもらの歪んだ顔が見えるから、シェルター閉鎖まで、この活動は続けてみたいと思うのだ。
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明日は故・祖母の四十九日。業者さんに中古車車検、いくらになったか聞いてこよう。
某大手教育関連出版者の教材開発の下請けをやっている。キャッチアップ教材が私の仕事の部分なり。やっとセーフ。5月分。
夜間傾聴:橋本2君(仮名)
p.s.茅ヶ崎市に提案した2つの本文は、まとまり次第、転載します。
(校正1回目済み)
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ペットレスキュー活動支援の通信No.08を3ヶ所の動物病院に届ける。そのうちの一箇所では2つのペットレスキュー団体が掲示していた。この分野は動物愛護の観点から行なわれるが、疫学的な視点から見れば放浪動物は放置しておくことはできない。しかしそれが放浪動物を殺すことと直結はしていないだろうとそこの医師が語った。私がこの分野の手伝いをしているのは、いくつかの経験があってのことだ。
有珠山噴火災害のとき、私の知り合いが、避難所の方々の犬を預かっている話を聞いており、その話を私の授業のとき、中学生に紹介したことがあった。予測されたとおり「かわいそう」論が噴出し、犬を保護することへの賛同が多数を占めた。ところがひとり、いつも黙っている子が「その動物は役割をもっているのに、殺すというのは、変だ」と言い出した。生か死かという話ではなく、いらなくなったら捨てるというのが嫌なのだという論だった。私も入っての話になったが、放置することは、心貧しいことだという話かという問いかけには、よくわからないと応答していた。
話をしていくうちに、彼の祖母の話が潜んでいることがわかった。彼の母親は大の猫嫌い。ところが祖母は猫が好きで、ずっと一匹の猫と暮らしていた。その祖母が同居することになり、猫もいっしょに引っ越してきた。ところがまもなく祖母は入院生活となり、その猫の担当は彼になった。担当してまもなく彼の祖母が逝去され、猫が残された。母親は、すぐに猫を保健所に持っていくと言い出し、彼と対立したという経過のようだった。
祖母の付属品のように猫を扱うことに彼は抵抗したのだった。祖母の遺品や日記などを全部焼却するのか、遺品を残して猫を捨てるのかという話だった。つまり、放浪動物は震災前、それぞれの家庭で家族との絆を取り結んで生きてきた。そういう経歴を持った動物としてあるのだから、保護すべきではないのかという話だった。誰かに抱かれていた猫であり、誰かとともに走り回っていた犬であるという眼差しのことだ。
中学生という世代から、こんな話が出てくるとは思っていなかった。私はなるほどと思った。
話は変わるが、今回の震災のとき、津波からの避難時、犬猫を放置して高台に逃げ延びた家族は多い。知り合った被災者にはかならず日々の生活の話の取材をするのだが、小学生の話の中に、「大人は勝手だ」という、黙らされた口を押し分けて噴出することばに聞こえた。兄弟のように仲良くしてきた動物たちだ。それがある日突然、犬の名前が消えて、「動物だから」と呼ばれ、中にはリードを小屋に結びつけたままにして避難した。「自分の兄弟を取り残すな」と怒りを感じているという。もっと幼い子だったら、泣き出しているところだ。「動物よりひとが大事」という言葉は、空中から表れた。ところが犬猫には様々な思いが詰まっている。この子の反発を「聞き分けの無い子」という、この子の性格のせいと、いわれてしまえば、彼は言葉の暴力に似た感触で受け止めていた。
津波の襲いかかってくるわずかの瞬間に、子連れの大人たちが、泣きじゃくる子どもの手を引いて走り去った。阪神淡路のときも、子どものPTSD(心的外傷)が問われたとき、生活の激変、人の喪失、死への恐怖というようなものの中の「ひとの喪失」は「断ち切られた絆」ということを思う。大人が彼を引いて、ペットを捨て去るその経験は、「動物と人は、ちがうんだ」という言葉を飲み込んで、無理に自分を納得させてきた。それが抑制の裏でしっかり本音が育っていたというような、心の中の対立を潜ませているが故の、症状となってPTSDの治療に、「傷」とよばれる不安定な激情となって問われていた。
こういう話を通じて、私は放浪動物に手垢まみれの痕跡をみる。分類上の問題ではないと思うのだ。私は動物愛護直結の立場ではない。犬猫の背後にひとを感じるときがあるからというようなことなのだ。
この掲示通信を貼らせてもらうとき、医師やトリマーさんと話が出来る。引きこもり青年の散歩係や、トリマー見習いの求人など就労支援につながっていく。
誰にも通じない思い。馬鹿かとおもわれるだろうが、子どもらの歪んだ顔が見えるから、シェルター閉鎖まで、この活動は続けてみたいと思うのだ。
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明日は故・祖母の四十九日。業者さんに中古車車検、いくらになったか聞いてこよう。
某大手教育関連出版者の教材開発の下請けをやっている。キャッチアップ教材が私の仕事の部分なり。やっとセーフ。5月分。
夜間傾聴:橋本2君(仮名)
p.s.茅ヶ崎市に提案した2つの本文は、まとまり次第、転載します。
(校正1回目済み)