湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

6/15 (後半)被災地の声を茅ヶ崎に届けるために

2012-06-16 05:37:25 | 引きこもり
2012/06/15(補)記
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ビッグイシューが届いていた。今日は配布できないので、土曜日からと思ったら、台風が近づき、梅雨前線が刺激されて、「ここしばらくは雨だ」とのこと。土曜日は母の検査の日。改札口まで送って、東京まで押し出すが大丈夫か。教材屋の仕事が入っているので、在宅作業の予定。

椿の実が300円/kg とは知らなかった。気仙地方は椿の北限。資生堂が入り込んで椿を植えることを推進し始めた。大洋会の青松舘作業所の椿油の精製の使用販路を広げようと、あれこれいじってみたが、あまり芳しいものではなかったが、最近少し味がまとまったメニューが出来た。なんとか土曜日のカフェに間に合わないか。

大槌町に「カタリバ」が教育支援を行なってる。見学に行きたいと思う。学生さんの被災地訪問活動企画のひとつに、子ども支援も考えうる。広田半島と周辺の支援は、外出困難者中心に家事援助、外出支援に加えて、冬期子ども学習支援もありうる。基軸は看護系学生と接点を持ちたい。そのために、大槌町訪問もできないかと思いはじめている。「カタリバ」の関係者を茅ヶ崎に招待講演はまだ無理か。

次のひとを呼びたい。生活見守り支援、地域保健サポートの具体的骨格を作る流れに位置づけたい。助成金とれないか。(調査中)

1)大関輝一 氏(遠野まごころネット大船渡担当・「舫」事務局長)
2)石木幹彦 氏(陸前高田市・高田病院院長)
3)広田町農協女性部から
4)陸前高田市被災地復興特区事業「ロッツ」関係者
5)三井俊介 氏(広田町在住・SET主宰)

要は被災地の日常セイフティーネット作りと、孤立化被災者の穴を作らないために。生活見守り支援企画化の作業。


以上

(校正2回目済み)




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6/15 前半は私用介護話と、語っても伝わらない経験とは何かという話>すみません(前半)

2012-06-16 04:45:38 | 引きこもり
2012/06/15 記
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猛烈な眠気が襲う。夜間傾聴の際、危うい相談が持ち込まれた後、生ゴミなどのゴミを捨てる日が重なるときにこれが起きる。笑わないで欲しい。片や明け方に緊張のピークがやってくる電話相談と、片や前日からのゴミ捨て禁止が自治会で決まっているからなのだ。明け方、午前4時、傾聴が終わったとき、10時台にゴミ回収がくるからと、6時以降にゴミ捨てにゴミ袋を下げて捨てにいくかということだ。実際それ以前に捨てに行くと、ゴミは回収していくが、注意の手紙が入ってくる。この2時間ほどの隙間に睡眠時間が削られる。折角いたずら防止に、モジュラージャックを抜いて就寝しても、ゴミに起こされるのではと閉口している。結局6時までブログの記事を書いて、ゴミ捨てをして寝るが、10時には起こされる。

先日の相談は、受難と苦痛の告白ではなく、受難に対する怒りと他害の告白のガス抜きだった。それが狂言のときもあるが、実際刃物沙汰を寸止めしたこともあった。大概、家庭内の出来事なのだが、引きこもりをなじる隣人がらみのこともあった。

昨日は某スポーツ活動で、彼が骨折からレギュラーをはずされたことに端を発し、他害に転じた例だった。この日、私の母を地区社協の老人会の食事会に連れ出し、会場まで付き添っていかねばならないし、父の入所している老健に「父の日」プレゼントを持っていくことになっていた。

一段落したとはいえ、こうした事例のときは、相模原の専任が後始末に向かうことになっていた。傾聴が終わった時点で、専任にメールを出した。その応答が無いと気になるものだ。結局、母を会場に送り、混雑する病院外来で仮眠を取って時間を合わせ、父の老健に持ち込むにぎり寿司を、機転の利かない若い子の店員に特注して、その寿司を持って老健に向かった。

到着時、父は排泄介助されてトイレからでてきたところだった。職員さんに挨拶をして、父を車椅子に乗せて、認知症フロアから老健のエントランスルームの一角まで車椅子を移動し、食事をさせた。父は昼食を食べた直後でもあり、初めは気乗りしない風でもあったが、好物とわかり、半身不随の片手で私から寿司折りを奪い去ろうとした。予測された行動だったので阻止できたが、まず手を拭かせることに難儀した。排泄の後である。父は素手で寿司を食べる習慣なので手を拭かせなくてはならないのだ。

寿司折りを開ける前、施設の自動販売機でお茶を買ったが、ハプニングが起きた。節電で暖かい飲み物が販売中止になっていたのだった。さらに折りを頼むとき、寿司屋の気の利かない若い店員を仲介したことで、「しゃりを硬めに」という指示が、全く守られていなかった。寿司は父の握り締める手で崩れ落ち、「沢山いれておいた」という寿司のガリは、湯のみ茶碗一杯ほども入っており、そのくせ紫(醤油)が入っていなかったのだ。これは、店員に半身不随のひとが、手づかみで食べるためのお願いだと私が説明したので、店員が余計わからなくなり、彼女の頭は「寿司ガリ(しょうが)」でサービスという思いつきに支配されて、醤油を入れ忘れたというお粗末の結果だった。

ビギナーは説明すればわかるというものではない。介護の世界では、十人十色のカスタマイズサービスが必要となり、ルーチンワークのミスが多大な影響を与えてしまう。醤油が入っていなかったことで、父への食事は食欲を満足させるものにはならなかった。たかが醤油と思うかもしれない。しかし、粉々になった寿司と冷たいお茶と重なれば、醤油は決定的なものになる。

父を認知症フロアに戻してから、散らかしたコーナーの掃除をする。目の前で掃除をすれば、父はまだ満足に食べられなかったことへの恥を感じることになる。それはまだ認知症が軽いことだが、以前、父の在宅介護を担当して退職した**さんが、うっかりこれをやって、父がその後の食事を食べなかった。相手はひとであり、この微妙な世界を演じるのが介護職員である。

帰りのバスの中、たちまち睡魔に襲われて目が覚めたら駅前だった。ドトールでコーヒーを飲み夕食の買い物を済ませて帰宅。母が「食事会の会場に知人がいた」という話にうなづきながら食事の下準備を整え、再び職場へ。帰宅時、橋本で相模線に駆け込む気力が続かず1本乗り遅れた。南口からの終バスがなく、茅ヶ崎駅北口からの辻堂駅行き終バスの1本前に乗り帰宅。食事後、再び夜間傾聴の待機に入った。生ゴミ、しかし生ゴミなのである。融通の利かない不協和音の一日が終わった。

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6/23 この日は、遠野で「遠野まごころネット復興支援報告会」がある。しかし会場が遠野では行くことができない。被災地側の運動がなかなか作れない悔しさのようなものをかみ締める。湘南からの運動をどうつなぐか、考えていた。同日、茅ヶ崎では、「茅ヶ崎『維新』カフェ」という企画がある。私は「維新」とか「事変」という言葉に,きな臭さと負の語感ゆえの嫌悪感があるのだが、それは歴史用語だったから。そのただれた言語感覚を流行語に持ち込んだ仕掛人がいることを思うと、乗りたくない。この言葉を自分から使おうとは思わない。まあ企画内容は別なのだが。

この「カフェ」、今回は「一心一」という団体の清掃活動を紹介する。「清掃する感謝と勇気」と題して、13:30茅ヶ崎駅北口ぺデストリアンデッキとハスキーズギャラリーを会場に、16時まで行なわれる。引きこもり青年のひとつの回答としての活動たちあげということで、仕事も夜なので、覘きにいくことにした。(追記:申込締切を過ぎていた。)失礼な話だろうが、心は遠野に飛んでいる。だから家にこもっているよりも、いいだろうという勝手な発想なのだが、お許しを。「カフェ」の企画、有料\500-である。

夜間傾聴:専任君(様子の打診、時間外、お疲れ様)


(校正3回目済み)
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