湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

5/31 とにもかくにも5月が終わっていく

2012-06-01 05:14:09 | 引きこもり
2012/05/31 記
--------------
月末の支払いに奔走していた一日。嬉しくないゴール。滑り込んで時計をみる。糖尿病の薬が切れるので昨日、医者に行っていなかったが、今日は木曜日、医者の定休日だった。集中して何かをやるとき、必ず底が抜ける。それを見切って行動すべしと心のなかで反復していたが、それでもやってしまっていた。ことはそれに止まらず、相模大野校の会議を「ポカ」していた。議題は専任たちだけの別会議で、すべてがきまっており、私のような契約講師は報告を聴くのが会議となっていた。関係あるのは、授業予定を組むときと、受験付き添い予定を決める位の時だけだ。まあ自分の非を言いくるめても仕方が無いのだけれど。

「にゃんだーガード」さんが保護しているワンちゃんを紹介する「被災したペットの新しい飼い主さん」紙No.08が完成した。明日から又配達を再開する。

ーーーーーーー

18時から、もとスペアちがさきのYさんと会った。特に用事と言うわけではないのだが、話し相手が欲しかった。今私が重ねている諸企画の無駄話のような部分が、この間全く途絶えていた。活動がだんだん爺ぃ方になってきたなあということ。契約講師の癖して「何で定年があるのだろう」ということに関連していた。契約が成立しなければ毎年私は解雇なのに、「何で定年?」という謎だった。しかし65歳という天井は数年先に近づいていた。またよりによって私の眼である。要するに、様子を見ていく以外ないと、治療法の無い「網膜色素変性症」の爆弾を抱えていることだった。実際右目は雲の隙間からものを見ている状態。左目もやや濃淡のある湯気の中に視野がある。明日眼が覚めたら失明しているかもしれないし、墓石の下に入るまで、無事かもしれぬ。ただ突然活字が読めなくなり幕引きとなるといううんざりする神のアイロニー。その限界の包囲網がじわり迫ってくるのを感じている。男って勲章が欲しいのだよね、と、昔、横浜の某高校教員の友人の顔がうかんで、「レッテル貼るな」と声を荒げたことを思い出した。この辺が爺ぃ臭い。

Yさん、きょとんとしつつ話に付き合ってくれた。QR-IDカードは付き合って欲しいのは事実なのだが、今日はそんなことが目的ではないので、バナナの叩き売りのように、チラシや企画書を彼の前に並べた。迷惑な話だろうけれど。

夕食が遅い、「空腹」だと母からメールで急かされて、不可思議な終わりにし。Yさんに感謝して話し合いは終わった。母の「空腹」は、胃が無いので、20~30gのスパゲッティを食べれば満腹という「規模」の「空腹」である。

帰宅したそのとき、**子から電話が入った。作業場に入った新人職員と、新通所者とのトラブルだった。傾聴体制に入り、45分間話をしたら、食事はすっかり終わっていた。

三井君への車の譲渡、これも危うい枯渇資金の綱渡り。広田半島通信を生み出す基本骨子をかき始めている。母がTVに飽きて寝室に入ったとき、炊事の後始末をやっつけて、再び基本骨子をかきはじめたところで、傾聴の時間となって、待機しながら、関連書(集団災害医療関連)を読んでまた朝が来た。

6月である。


夜間傾聴:なし。

(校正2回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする