湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

6/2 伯母の四十九日法要に出かけていました

2012-06-03 05:51:40 | 引きこもり
2012/06/02 記
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伯母の四十九日だった。父の名代やら、足の調子や、めまいの件で、遠方外出に不安のある母の代理の件もあって、憂鬱な法事にでかけることになった。ところが母が「行く」と言い出した。年だから、こういう機会に親戚に会っておかないと、お互い、いつ亡くなるかわからないから、無理しても出てきてくれと説得されたと母は言った。ああ、これで今日一日が流れてしまうと、貴重な時間が減ることに落胆したのだった。急がば回れであるのは、わかっているのだが、昔の塾屋仲間に車の譲渡ボラの件で、借金にまわるつもりでいた。この法事はちと痛かった。覚悟はできているのだが、葬儀ふたつと、結婚ひとつ重なりで苦しくなってしまう自分が情けなくもあった。

無事母を寺に届け、私には遠い親戚ばかりだが出席、皆歳を食っても、それでも同世代が混じる。そうなると、私の仕事が必ず問われるのが憂鬱だった。手帳を持たない自閉症スペクトラムがかぶった引きこもり青年の社会復帰をしているというと、はて何やらさっぱりわからない、儲かりそうも無い正業ではない変態だと思われるのがおちなのだ。それも毎回出会うと、知っているはずなのに同じステレオタイプな問いが飛ぶ。いい加減放っておいて欲しいと思う。

さすがに「いい年をして、『障がい者なんか』の相手していないで家を守ることを考えるべきだろう」と説教するのは治まったが、私もその「差別言辞を撤回しろ」と衝突することは少なくなっていた。けんかがあれば、皆ギャラリーに徹するというのが「世間の常識とか」。いわゆる口論が冷えた頃、今度は私を除いて、私は変態であるという噂をたてる。

今回もどうせわからないならと、災害ボラをネタに回答してみたが、「被災者はかわいそうだが、危ないところに行かない方がいい」と忠告をもらった。そのような発想は、私には(お)釈迦に何とか、馬の耳に…いや馬耳…である。

しかし母の付き添いは難儀した。駅の乗り換え階段のエスカレーターは上りしかついていないことが多い。足が悪い者は、降りる方が辛い。体重移動が不安定だからだ。このことも、多くの方が気がつかない。

母は腰が曲がっているわけではないので、手すりを背に立ち止まる母に、乱暴に体当たりするものがいるので、私がガードする。長時間電車に乗るとき、優先席前に母を立たせるが、まず交代してくれる方はいない。少しして、明らかに体調を害している方ではないと思われる若い方に、席の交代を頼むのが私。半数は不快な顔をして絶対にどくものかと足を組む。残りは立場をなくしたことに腹を立てその場を立ち去る。前者の場合、隣の方が席を譲ってくれて母は座れるのだが、そうすると怒り露わに彼も立ち去る。それでも私は空席を前に意地で立っているから、まだ青臭いのだが。

なんとか無事ガードマンをやりきり、お清めの食事のとき、幸い私と話題が会う、民生委員・児童委員をしている者と隣合った。連絡会で被災地のツアーがあるという。仙台らしい。生活保護の件に話が及び、社会的孤立の話になったところでビールを持った方が「まあ、堅い話は、やめて、さ。」と再び世間話に引き戻し、私が手をつけないビールをついだ。「ゴルフは、やめたのかよ」と私に質問。「私はゴルフをしたことがない。誰かと人違いしている」というと、「まあいいじゃないか」と酒をせまられた。

焦るなと自分を言い含めても、砂時計の砂が刻々と落ちていくような、虚しさ・悟りが開けていない悔しさがある。

母をタクシーに詰め込んだ。全然食事に手をつけていないことがわかっていたので、途中下車して「粥の店」に立ち寄って、食事させてから帰宅した。案の定21時を回ってしまった。

一日、少しでも実が欲しいのだ。24時間すべて社会活動というのではない。大きくなくともいい、納得できる日々の実が一粒欲しいと願っているのだ。

また夜が明けた。


夜間傾聴:**子君(仮名)
     ペット相談(仮名)
     南大沢君(仮名)


(校正3回目済み)


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6/2 茅ヶ崎市と市民活動との協働に防災2案を再提案し(後)

2012-06-03 04:21:02 | 引きこもり
添付資料は、ふたつめの提案である。

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6/2 茅ヶ崎市と市民活動との協働に防災2案を再提案し(前)

2012-06-03 04:11:58 | 引きこもり
2012/06/02 記
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茅ヶ崎市市民活動推進課とNPOサポートちがさきの協働企画「市民と市が協働したらもっとよくなる事業の案の提案」(6/8締め切り)に2つの提案を行なった。

いつも思うのだが「もっとよくなる」というのは「現在もいい」という言葉が隠されている。そういう充足の上に充足を重ねるという発想は、社会認識がずれているような気がしてならない。さまざまな解決すべき課題が私を含む社会の中にあって、それらが覆い隠されてしまうような不快感を伴っている。

学生たちに「社会運動とは何か」と問うと、「より良い社会をつくるための活動」という応答が出てくる。東日本大震災に晒された東北各県で、同じことがいえるのかなと顔をじっとながめてしまう。そういう深刻な活動は別のところでやればいいという人の足元で、つい先日も震度3だが時間の長い地震があった。私はエレベーターしか脱出口のないビルの3階という密室の中に居た。昼夜を問わず、3.11前にはほとんど体験してこなかった長時間の揺れが頻発しているのに、あなたは「より良い」といえるのか。ため息が山になっていく。

そんな印象から提出を戸惑っていた提案の中で、実際に市との協働の場で、実現可能性の高い2案を、5/25夜の市行政と市民活動の非公式意見交換会の「カフェ」に持ち出してみた。時間の関係か全体論議の場がなく、すべてバズセッションのグループ討論であり、その途中でグループ交代が入る短時間のチャットがベースとなっていた。異領域の活動の方がランダムに組み合わさるので顔を知らない。だからほとんどが自己紹介で終わってしまう。出会いの場という意味はあっても、とても論議に立ち入れる状態ではなかった。もしこれを創造性のある議論があったと評するなら、それは嘘。出来レースのようなものになってしまう。形式が生で内容が不消化なのだ。

私は全体会Q&Aが最後にあると思い込んで、説明用資料を作った。自立した読み物にはなっていないので、私が参加できない残り3グループには、これはいったい何だろうと思うグループも出てきてしまう。ただ私の参加した2グループで接した方々の反応は、特に個人の医療生活情報カードのQRコード導入提案には、行政関係者側に手ごたえがあった。

既に市の防災対策課に提案済みの提案だったが、そのことを明記しながら、提案2案を書面で提出するという、ふんぎりがついた。「より良い」というより、震災被災確率が高まっている現在、協働の場面でなしうる、周辺に波及効果のある「防災2案」である。

ひとつは「災害初期避難誘導員制度の導入を」
もうひとつが
 「災害仕様緊急医療情報カードのQRコード化と、その更新システム」

だ。前者は「津波てんでんこ」の自主判断・自主行動の精神を受け継ぎ、そこに「社会的弱者の避難」と「誤誘導の回避」という内容を織り込んだものだ。正直言えば実現の証しには講習終了認定証は、まず引きこもり青年に手渡したいと考えていた。社会参加によるアイデンティティの切換えを文字面の裏に、自己脱皮の願いとして折りこんでいた。

後者は、震災以前の災害対策だったのだろうと思わせる対策がすでに行なわれていた。たいせつな保険証(コピー)や銀行通帳などとともに、医療情報と生活情報(銀行口座番号や家族構成・連絡先・職場等)を書いた紙カードをカプセルに入れて冷蔵庫保存するというものだった。独居の方が症状悪化・事故によって自宅で動けなくなった。そのとき、救急隊員が個人医療情報を部屋から探し出すという場面で培った発想だろう。

後日、友人のYさんに感想を伺ったとき、実際使ってみると冷蔵庫内で、カプセルが邪魔で、奥にカプセルを押し込んでしまうという。火災や水害などのとき、時間の予測が立てられる中で、在宅被害者を保護するという発想や、火事の時冷蔵庫は焼け残るとかいう具合で企画化されたものだ。

ところが突発的な災害のとき、この企画は限界を見せる。設定が被災者が在宅のときに限られ、冷蔵庫は津波のとき水に浮くが、震度7の揺れの中では、扉側に冷蔵庫は倒れ、ふたが開かなくなるという欠陥がある。家屋が全壊・半壊したとき、揺れの直後、室内に飛び込んで資料を回収することは難しいだろう。被災した方がその近くにいらしても、トリアージに手一杯で、緊急治療の場面に利用するという具合には、なかなかならない。病院搬送後、治療・看護の場面で初めて役にする。

だから1枚は携帯用、もう一枚は保存用にして、QRコード入りカードを2枚使えばいい。そのメリットは、これもふたつある。外出時にも携帯していれば治療時役に立つ。もうひとつはカードの汎用性だ。災害直後の生存と避難場所の表現・避難所生活諸支援の場面で使えることだ。(詳細は省く。)

ふたつの防災提案だが、茅ヶ崎市で採用された場合、あちこちの自治体にも伝わっていくだろう。真似できることが社会活動・市民活動の力となる。そういうありふれたものを使いながら、実を生む、「真似のできる」提案を重ねていくことだ。

今回の記事は、2つの記事にわけて、提案した文面を記載する。防災対策課に出したものよりはラフな概要提案である。

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